三国志 人物・武将

三国志 の登場人物を端的に紹介。三国 時代 赤壁の戦い 人物 相関 図

三国志 人物・武将

初めての方へ。超入門。そもそも三国志って?あらすじ わかりやすく

三国志 人物・武将

三国志・一騎打ち最強の武将は誰なのか!?

三国志 新着順記事


劉備(玄徳)と曹操の死後。三国志終焉の経緯とは

220年代、中国に大きな打撃を与えました。蜀の劉備(玄徳)と魏の曹操が世を去った後、三国時代は晩期に入ります。三国志の目玉といえる戦いは数多くありますが、最後を飾る「五丈原の戦い」も欠かせません。また、新たなる国・晋はどのように誕生したのでしょうか。今回は、三国志終焉の経緯についてご紹介します。


三国志の全てを決めたと言っても過言ではない官渡の戦い

RPGゲームをしたことがある人ならよく分かるかもしれませんが、ゲームはたいてい弱い敵から倒し、徐々に強い敵になり最後にラスボスを倒すというシナリオになっています。しかし、三国志は違い、序盤に天王山ともいえる官渡の戦いが勃発します。その官渡の戦いについてご紹介したいと思います。


劉備の母に見る親の存在と役割について考えてみました

蜀漢の皇帝にまで成上がった劉備玄徳。「母親思い」「親孝行」というのが通説ですが、劉備の母が前面に取り沙汰されることはほとんどありません。しかし、三国志を語る上で劉備玄徳は欠かせない存在であるならば、「劉備の母」はその土台を築き上げた存在と言えます。ここでは「劉備の母」から鑑みる「親の存在と役割」を考えます。


三国志・蜀の後半を支えた武将・張翼と張嶷とはどのような人物なのか

蜀の後半を支えた数少ない名将の中に「張翼」と「張嶷」がいます。三国志演義では目立たない二人ですが、三国志正史からその活躍ぶりを紹介していきましょう。


漢の後継にあたる正統王朝は魏?それとも蜀?

この問題は、「陳寿が『三国志』で魏だって言ってるから魏」という結論で終わるほど簡単な話ではありません。かといって「『三国志演義』では蜀ですね」という話でもありません。『演義』成立の背景にある、中国の大思想家・朱子が説いた蜀漢正統王朝説を踏まえ、改めてこの問題を考えてみましょう。


蜀を守るために最後まで見届けたショウ周と羅憲

三国時代で劉備(玄徳)が建国した蜀は、その死後も諸葛亮(孔明)や多くの有能な家臣が盛り立てていきました。しかし、魏の強大な力に対抗する人材も乏しくなり、遂には降伏の道を選んでしまいます。その後、蜀の人材や土地を守るために降伏後も貢献し続けた功臣であるショウ周(允南)と羅憲(令則)をここで紹介していきます。


悪名高い董卓は何をした!

三国志で一番の悪者は?と問われた際に半数の人が真っ先に董卓を挙げるのではないでしょうか。そんな董卓が何をしたのかハイライト的にまとめてみましたので簡単に知ってもらえたらと思います。董卓は敵が多かったわけですが、実は高官を抑える能力も高く、相国にまで上り詰めました。


三国志・袁紹の配下で最も優秀だったのは誰なのか

一時期は天下統一に一番近づいたのが河北を制した「袁紹」です。袁紹には有能な士が多かったといいますが、はたして誰が最も優秀だったのでしょうか。探っていきます。


コーエー『三國志』シリーズの おすすめ・魅力とは?

三国志に関するゲームの中でも最も長くそして重厚な歴史を持つ、コーエー テクモゲームスの『三國志』シリーズの 魅力 と おすすめ その歴史、ナンバリングタイトル13作のゲーム概要について簡単にご紹介していきます。


レッツ想像。もし三国志 演義の人物がSNSをやっていたら

「もし貂蝉(ちょうせん)がインスタグラムをやっていたら」「あの逸話をSNS風に表現するとしたら」そう考えたことはありませんか?今回は、有名武将と逸話にSNS要素を取り入れてみました。(注意:あくまで筆者の考えるイメージです。あらかじめご了承ください)


諸葛亮が命をかけた北伐の戦歴

漢王朝の復興をかけて、蜀を建国した劉備(玄徳)ですが、志半ばで倒れてしまい、後の全権を諸葛亮(孔明)に託すこととなります。諸葛亮(孔明)は全身全霊をかけて、強大な魏に立ち向かい、幾度となく北伐を繰り返します。最終的には魏を倒すことができなかった北伐ですが、その戦歴はどのようなものだったのでしょうか。


もしも三国志の武将になったら誰を倒しに行く?~攻撃編6選

三国志を学び知っている武将が多くなると「この武将に仕えたい」「この君主の力になりたい」と思うことがあるかもしれません。今回は別の角度から「こいつが嫌い!」「だからこいつを討ち滅ぼしたい」と言う解釈をしてみました。非道な君主、無敵の将軍、もしあなたが三国志の世界に放り込まれたら真っ先に攻撃対象とする武将は誰ですか?


三国志・偽りの投降が成功したのは赤壁の戦いだけではない「石亭の戦い」

偽りの投降が功を奏したのは「赤壁の戦い」だけではありません。孫権が皇帝に即位する前年に行われた「石亭の戦い」も同様です。その背景とともにお伝えします。


実は魅力たっぷり?呉をまとめあげた孫権(仲謀)について!

三国志と聞いたら劉備(玄徳)、諸葛亮(公明)、もしくは曹操(猛徳)という名前が浮かび上がるのではないでしょうか。正義を掲げる「蜀」に対し悪の「魏」が立ちはだかるという構図を思い浮かべている人もいるでしょう。そんな人たちにとっては孫権(仲謀)?呉?と思うかもしれませんが実は魅力たっぷりなのでご紹介します。


三国志・夏侯淵の息子である夏侯覇はなぜ蜀に亡命しても重用されたのか

名門・夏侯氏の出である「夏侯覇」。あの夏侯淵の息子です。右将軍にまで出世した夏侯覇は突如、蜀に亡命します。なぜ夏侯覇は亡命したのか、蜀はなぜ夏侯覇を受け入れたのかについてご紹介します。


三国志・史上最悪女と言われている賈南風

三国志で悪名高い武将や君主は多数存在します。アンケートを取ったら董卓(仲穎)がトップになるのではないかと思う訳ですが、もしそれが「女で!」というアンケートだったらどうでしょう。間違いなくノミネートされるのは賈南風ではないでしょうか。そんな最悪な女、賈南風について紹介したいと思います。


意外と知らない?! 暴君といわれる袁術の影響力

三国志の中でも悪役といわれるのが袁術(公路)です。三国志の初期から登場し、名門袁家の出身で多くの兵を持ちながら天下を手にすることができませんでした。それでも曹操(孟徳)や劉備(玄徳)、孫堅(文台)、董卓(仲穎)といった権力者たちに与えた影響力は大きいものでした。そんな袁術はどのような人物かみていきましょう。


三国志 正史でも演義でも評価の高い魏の 李典 は、まさに蜀の趙雲

三国志(時代)の魏には多くの名将や智謀の臣がいますが、その中のひとりに「李典」がいます。地味なイメージの強い李典ですが、蜀の趙雲のような活躍をしているのです。


中国史からひも解く三国志の服装~文官・武官編~

三国志の登場人物の服装と大河ドラマに登場する武将の着物をよく見ると、大きな違いがあることがわかります。国や文化の違いはさることながら、着こなしに注目してもその差は歴然です。 本記事では中国服装史が伝える三国時代当時の服装について、詳しくご紹介します。


中国史からひも解く三国志の服装~皇帝編~

「誰でもよいから三国志の登場人物をイメージしてみて」と言われたら、あなたはどんな人物像を想像しますか?趙雲のように鎧を身に纏った武将でしょうか。それとも諸葛亮のように白い着物と冠を被った文官でしょうか。今回は、我が国の服装にも影響を与えた中国服装史から、当時の衣服や冠についてご紹介します。