マナーだらけの三国志
■ マナーだらけの三国志
マナーだらけの三国志
礼儀作法、孝行を重んじる中国では、上司や同僚、友人など自分の家族以外の人々と関わるうえで
マナーを大切にしています。マナーに関する歴史は古く、三国志の頃には社交辞令で交わす言葉の
決まり文句から動作に至るまでマナーが確立されていたそうです。
思い返してみると、我々日本人が疑問に感じる動作や「無礼者!!こういうときはこうするべきで
あろう!!」とマナー違反者を上司が叱責するシーンが三国志のドラマや漫画には多々見られます。
本記事では、三国志の登場人物たちが社会人として苦労しながら覚えてきたマナーに関する解説を
していきたいと思います。
拱手(きょうしゅ)
■ 拱手(きょうしゅ)
拱手(きょうしゅ)
三国志のドラマや漫画ではキャラクターが右手で作った拳の上に左手を包み込むようにして添える
ポーズをとり同僚や君主に挨拶をしているシーンが見られます。右手で作った拳の上に左手を包み
込むようにして添えるポーズは「拱手(きょうしゅ)」といい、きちんとした意味があります。
拱手(きょうしゅ)は自衛官や警察官が行っている右手を額の右上に掲げて額の中心を指し示す
敬礼と同様の動作で、「私はあなたに敵意がありません」ということを表しており、相手に対する
敬意や謝意を表すポーズなのだそうです。
さらに拱手(きょうしゅ)は男性だけでなく女性も行う動作らしく、男性は右拳の上に左手を
添えるのに対し、女性はその逆の左拳の上に右手を添えるのが正規の動作になります。
また、凶事(不幸事など)があった場合は、男性は女性の拱手(きょうしゅ)を女性は男性の
拱手(きょうしゅ)をするのがマナーです。
起居而問:起居を問う
■ 起居而問:起居を問う
起居而問:起居を問う
「起居而問(日本語直訳:起居を問う」はよく挨拶をするときに用いられていた決まり文句です。
この文言は社交の場で使用されていた名刺のような役割を果たす木の板にも書き込まれていたそうで、定番の社交辞令であったことが推測されます。
「起居を問う」とはどういう意味だろう?と筆者も疑問に思ったのですが、文字自体に深い意味はなく、「やあ、今日の調子はどうだい?/お元気ですか?」というニュアンスで用いられる挨拶だったそうです。
飲酒のお作法
■ 飲酒のお作法
飲酒のお作法
三国志ではよく君主と家臣が集まって酒宴を催しています。乾杯は勢いよく杯をぶつけ合うことで、
己の飲み物と相手の飲み物をわざと混ざり合うようにし、「この飲み物に毒はありませんよ」ということを表す動作ですが、それ以外にもマナーとする行動がありました。
お酒を勧められたときのマナー
■ お酒を勧められたときのマナー
お酒を勧められたときのマナー
お酒の席では上司から部下へお酒を勧められることが常です。三国志でもそのようなシーンは当たり前の
ように描かれており、呉の孫権(仲謀)や蜀の張飛(益徳)はそれがあまりに強引すぎて部下から
忠告されていたそうです。
さて、それではお酒を部下が上司に勧められたときの作法ですが、必ず2回は断るのが礼儀であるそうです。
あまり飲み会に参加しない人は想像しにくいかもしれませんが、もし劉備(玄徳)と諸葛亮(孔明)の2名が
このやりとりを行っているとすれば、以下のようになります。
劉備(玄徳) 「孔明、さあさあ飲みたまえ」
諸葛亮(孔明)「我が君、私はまだ仕事が残っているので…」
劉備(玄徳) 「仕事は後でやればよい」
諸葛亮(孔明)「しかし…明日は早く出立しないとなりませんので…」
劉備(玄徳) 「まーまーそう言わずに一緒に飲もうではないか」
諸葛亮(孔明)「そこまでおっしゃるのなら…頂戴します」
お酒を飲むときのマナー
■ お酒を飲むときのマナー
お酒を飲むときのマナー
儒教では「目上の人に食べ物や飲み物を口に入れる瞬間を見せるのは失礼な行為だ」としています。そのため、お酒を飲むときや食べ物を口元に運ぶ際には杯や箸を持っている手と逆の方向の袖で顔を隠しながら飲んだり食べたりするのが礼儀であったそうです。
また、「爵(しゅく)」という杯は三本の脚と飲み口に角が付いており、中身の量が少なくなると上を向かなくては角が口元に当たって邪魔となるのですが、その様子が不格好に見えるので爵を使用するときのお作法としても口元を隠すのが通例となっていたそうです。
政務殿におけるマナー
■ 政務殿におけるマナー
政務殿におけるマナー
漢朝廷の宮殿内では皇帝が文武百官の大臣たちを招集し、会議を行う場所があります。
日本の国会議事堂に相応する場所のことを政務殿または宣政殿といい、漢では都を遷都するのを機に
政務殿の名称をたびたび変更しているのですが、本記事では統一して政務殿と呼称します。
政務殿では皇帝をはじめ三公九卿と呼ばれるような位の高い大臣から都尉と呼ばれる城の門番長官までが集まり会議を行います。
そして、この場が当時の文武百官たちが神経を研ぎ澄まさせて礼儀作法に力を注いでいた場所です。
政務殿では原則武装解除
■ 政務殿では原則武装解除
政務殿では原則武装解除
文武百官の中には当然軍事関係の大臣や将軍などの軍人も含まれています。彼らの仕事着と言えば鎧兜を着用し、剣や弓などの武器を帯びる武装ですが、政務殿では文官と同じ正装の衣装を身に着け、
武器類は皇帝の侍従や親衛隊(近衛兵)の隊員に預けることがマナーであり、ルールでもあります。
しかし、特例で皇帝が武装や帯剣の許可を下した場合は、武装解除の義務を免除され、帯剣した状態で政務殿に上がることができます。
また、職務上免除されている人々もいて、その職業は皇族の警護や宮廷内での犯罪者を逮捕する親衛隊(近衛兵)、戦から凱旋することを報告する軍人、戦の状況を知らせる伝令兵などです。
土足厳禁
■ 土足厳禁
土足厳禁
政務殿に参内した文武百官は入場する前に出入口で必ず履物を脱がなくてはなりません。脱靴(だっか:靴を脱ぐこと)を免除されるのも上記のように特例で皇帝が許可した者か職務上履いていなければ任務を遂行できなかったり、脱靴すると装いが醜くなってしまう場合に限ります。
退場時は出入口まで後ろ歩き
■ 退場時は出入口まで後ろ歩き
退場時は出入口まで後ろ歩き
政務殿を退場する際は出入口まで最敬礼をしながら後ろ歩きで移動しなくてはなりません。つまり、退場するまでは皇帝の座る玉座という椅子と正対していなくてはならないのです。
一斉解散をする際は列を崩したり後ろの人とぶつからないようにしなければならないので、周りの人と歩幅を合わせて(だいたい一歩あたり一足長半が基準)チョコチョコと後退し、拝礼を済ませた者から退場するのがマナーでした。
発言・召喚時は小走り
■ 発言・召喚時は小走り
発言・召喚時は小走り
三国志のドラマや映画を見た方はで朝議を行っているシーンの記憶はございませんか?
皇帝に呼ばれたり、発言することを許された大臣たちが両手を組んで前に突き出し、身体を屈めてチョコチョコと御前まで移動してから挨拶や上奏をしています。
なぜこのような行動をしているかと言いますと、宮殿内では原則走ることが禁止されているのですが、皇帝や目上の方を待たせることは不敬にあたるので小走りをするようになったそうです。
また、両手を組んで突き出し身体を窮屈そうに曲げているポーズは最敬礼のポーズで、相手に対して最大の敬意や謝意を示すための動作です。
まとめ
■ まとめ
まとめ
あなたも三国志のドラマや映画を見ていてキャストの俳優たちのしぐさや動作に疑問を抱いたことがあるはずです。
いかがでしょう?その疑問は解消されましたか?マナーにまみれた世の中を生きるためには、本記事で紹介したような礼儀作法を覚える必要がありました。きっと曹操(孟徳)や袁紹(本初)などの人物も就職した当初はマナー違反を注意されたり、作法がわからず困ったこともあったに違いありません。