魔王・董卓の真実(4) 知識人には気をつかっていた?

魔王・董卓の真実(4) 知識人には気をつかっていた?

反乱討伐・異民族対策でキャリアを積み、ついに政権をにぎった董卓。武将としてすぐれた力量を示した彼ですが、勝手が分からぬ朝廷の政治では、かなりの苦心をしています。董卓は自分の政権を強化するため、名士(社会的名声のある知識人)の支持を取りつけようとしました。はたして彼の人事政策は上手くいったのか?じっくり見ていきましょう。


幼帝を保護! 一気に政権を掌握

幼帝を保護! 一気に政権を掌握

幼帝を保護! 一気に政権を掌握

大将軍・何進(かしん)が宦官(かんがん)に討たれたあと、都は大混乱におちいりました。
袁紹(えんしょう)・袁術(えんじゅつ)ら、何進に味方していた有力者たちが、兵を率いて宮中になだれ込んだのです。彼らは宦官の皆殺しをはじめ、その大多数を討ち取りました。しかし宦官の生き残りが、幼い皇帝(少帝/しょうてい)とその異母弟(陳留王/ちんりゅうおう)を連れ去ってしまったのです。

そのとき、都の近くまで来ていた董卓は、都が火で燃えているのを見て、異変が起きたことを知りました。すぐさま軍を率いて急行し、少帝と弟を発見したのです。
董卓はまず少帝に話しかけますが、泣きじゃくるばかりでまともな受け答えができません。一方、弟の陳留王に聞いてみると、幼いながら事件のいきさつをしっかり話すことができました。
董卓はこの幼くも賢い陳留王を大いに気に入ります。このことが後に、兄の少帝の廃立(はいりつ/注)につながっていくのです。

(注)廃立(はいりつ)……臣下が君主(皇帝、王)を廃して、別人を君主に立てること。

【軍事政策】兵士を横取り! エゲつない勢力拡張

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董卓を取り上げるにあたって、「彼はその野蛮なイメージに似合わず、頭がいい」というお話をなんどもさせてもらいました。
実際、都に入って政権をにぎってからも、彼はありとあらゆる試行錯誤をします。
以下、大きく軍事と人事に分けて見ていきましょう。

軍事(1) 兵士を多く見せるトリック

軍事(1) 兵士を多く見せるトリック

軍事(1) 兵士を多く見せるトリック

皇帝の帰還を助けて権力を得た董卓は、実は兵力の不足に悩んでいました。都に入った時点で、彼の手元には意外にも、3000人ていどの兵しかいなかったといいます。
そこで董卓は、自分の軍勢が強大であると見せかけるため、あるトリックを思いつきます。
まず夜のうちにこっそり軍勢を外に出し、次の日に派手派手しく入城させて……
「董卓殿の軍勢、またしても到着いたしました!」と、宣伝させるのです。
これを何度もくり返すことで、董卓のもとにとんでもない兵力が集まっているように見せたのです。

都の人々はこのトリックに気づかず「また董卓殿の軍勢が増えたぞ! なんて大軍だ」とウワサしあい、董卓の威名(いめい)は大いに高まったといいます。
まあ、セコいといえばセコいですが……なかなか面白いトリックですよね。

軍事(2) 他人の兵士を横取り―――何進兄弟

軍事(2) 他人の兵士を横取り―――何進兄弟

軍事(2) 他人の兵士を横取り―――何進兄弟

もちろん、トリックで兵士を多く見せるだけでは、本当の軍事力にはなりません。
そこで董卓は、亡き大将軍・何進と、その弟でやはり殺された何苗(かびょう)の残党に目をつけました。主人を失った兵士たちは、行き場がありません。そんな彼らに「ウチに来れば食いっぱぐれないよ」と声をかけてあげれば、多くの兵士はよろこんで董卓軍に参加するでしょう。

当時、都には他にも有力者がたくさんいました。たとえば袁紹・袁術などは名門出身で、資金力もそれなりにあり、なおかつ何進とも近い関係でした。彼らだって、何進の残党を取り込もうと思えば可能だったはずですが……董卓に機先(きせん)を制されてしまいました。
やはり董卓は、即断即決(そくだんそっけつ)の実行力を備えていたということでしょう。名門のお坊ちゃんである袁紹・袁術とは、武将としての実力がそもそも違ったのです。

軍事(3) 他人の兵士をまた横取り―――丁原と呂布

軍事(3) 他人の兵士をまた横取り―――丁原と呂布

軍事(3) 他人の兵士をまた横取り―――丁原と呂布

次に董卓が目をつけたのは、丁原(ていげん)という武将の軍勢でした。
丁原は盗賊の討伐で出世した、武勇にすぐれた武将です。彼もまた董卓と同様に、大将軍・何進のまねきで都にやってきた、軍事の実力者でした。
その丁原の軍勢を、董卓はなんとか奪いたいと考えたのです。

そして董卓は、丁原の部下である勇猛な男に目をつけます。
その名は―――呂布(りょふ)。
後に三国志で最強の武将といわれることとなる、勇猛の士です。
丁原に仕えていた呂布ですが、董卓に誘われるやあっさり裏切り、主人の丁原を殺します。そして丁原の軍勢をそっくり率いて、董卓の家来になってしまったのです(ちなみに呂布という人は、この後も行く先々で、似たような裏切りをくり返します)。

【人事政策】意外とハト派? 苦心の政権運営

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人事(1) 人気取り

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後漢王朝は長きに渡り、宦官(かんがん)に政治をめちゃくちゃにされ続けた時代でした。末期になればなるほど宦官の汚職・横暴はすさまじくなります。そんな中、多くの知識人が宦官の専横(せんおう)を止めようとして果たせず、主だった人たちは殺され、その他多くの人は追放されたのです。
董卓はこれら犠牲者の名誉を回復しました。
なぜこんなことをしたのか? そこにはやはり、政治的なねらいがありました。

董卓は地方の出身であり、その軍人としてのキャリアのほとんどを、辺境(へんきょう)での反乱討伐・異民族対策ですごしています。
つまり、都での政治基盤をほとんど持たないまま、政権をとってしまったのです。
董卓のもとには、戦争で役に立つ荒くれ者はいても、政治を動かしてくれる官僚や、名門出身者、知識人が完全に不足していたのです。こうした知識層・名門出身者の支持を得るためには、人気取りをすることも必要でした。
力ですべてを解決するイメージの董卓ですが、なれない政権運営のために、有力者の支持を得ようと苦心していたことが読み取れます。

人事(2) 名士の抜擢

人事(2) 名士の抜擢

人事(2) 名士の抜擢

董卓はまた、自分の政権の支えとすべく、知識人を積極的に登用します。
董卓が政権を取るまで、後漢王朝の人事は宦官の介入によってゆがめられてきました。有能で社会的評価も高いのに、登用されない人材も多く存在したのです。
そうした名声のある知識人―――名士(注)を、董卓は積極的に起用しました。なにしろこれまでの部下には中央の官僚や知識人がほとんどいないのです。ぜひとも足りない人材を味方につけて、政権運営力を強化したい―――それは、董卓の切実な願いであったに違いありません。

(注)名士(めいし)……社会的名声のある、知識人のこと。名門出身者が多い。

しかし……こうした「名士の抜擢」が、董卓の政権に思わぬ影響をもたらします(詳しくは後ほど…)。

人事(3) 身内を要職につけず

人事(3) 身内を要職につけず

人事(3) 身内を要職につけず

董卓は意外なことに、古くからの自分の部下を、あまり高い位につけることはありませんでした。
董卓の古い部下には、官僚や知識層がほとんどいません。よって朝廷のポストを彼らに与えるよりも、抜擢した「名士」に与えてやるほうが、政権基盤を強化できると考えたのでしょう。
とはいえ自分の血縁者については、董卓も高い位を与えました。弟の董旻(とうびん)は左将軍、甥の董璜(とうこう)は中軍校尉という、軍の要職につけています。やはり軍に限っては、身内ににぎらせておかないとこわいですからね。

董卓政権、人事は大失敗…

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以上、董卓の政策を、軍事・人事の面から見てきましたが、両極端で面白いですよね。
武将として抜群の実績を持つ董卓は、軍事については自信を持っており、強気の姿勢で兵力を増強していきます。
しかし中央政府の運営となると勝手が分からないので、名士の支持を得ようとひたすら苦心し、気をつかっているのです。こうした二面性も、董卓の意外な素顔といえるでしょう。

そして……そこまで苦心して進めた董卓政権の「人事」は、結局どうなったのか?
結果からいうと「大失敗」でした。
せっかく抜擢した人間の多くが、後に董卓に反旗をひるがえしてしまったのです。
(詳しくは次回……)





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