魔王・董卓の真実(8) 暴力政治がとまらない

魔王・董卓の真実(8) 暴力政治がとまらない

董卓についての記録を読むと「これは本当にあった出来事だろうか?」と思わされることが多くあります。それくらいに彼の事跡というのは「悪事のデパート」なのです。読んでいるだけで背筋が凍る、董卓の悪行三昧を見ていきましょう。


ウラミは忘れない! 執念深い董卓

ウラミは忘れない! 執念深い董卓

ウラミは忘れない! 執念深い董卓

歴史家が董卓の性格を評した言葉に「わずかなウラミにも必ず報復する」というものがあります。
とてもプライドが高い彼は、過去の人間関係での不愉快なことは決して忘れず、根に持ち続ける人だったようです。こんな人が独裁者になってしまうと、とっても恐ろしいことが起きます。

かつて董卓は涼州の反乱討伐に従軍し、上官である張温(ちょうおん)の指揮下に入りました。
しかしこの張温が自分の意見を取り入れてくれないことなどがあって、董卓は内心不快に思っていました。また、同じく反乱討伐に参加した孫堅が、張温に董卓を処刑するよう進言したことから、董卓は孫堅だけでなく張温にもウラミを抱いていたといいます。
結局、董卓は張温に罪を着せたあげく、ムチで打ち殺してしまったのです。
(孫堅の進言に従い、董卓を処刑しておけば、張温もこんなことにはならなかったのですが……)

名将・皇甫嵩(こうほすう)もあやうく処刑…

名将・皇甫嵩(こうほすう)もあやうく処刑…

名将・皇甫嵩(こうほすう)もあやうく処刑…

もうひとり、董卓と因縁のある武将に、皇甫嵩(こうほすう)がいます。
皇甫嵩は黄巾の乱をはじめとする多くの反乱を鎮圧した、後漢王朝の英雄ともいうべき人物でした。
かつてふたりがともに戦ったとき、上官である皇甫嵩は、董卓の進言をまったく聞き入れずに戦いを進めました。さらには皇甫嵩の策がことごとく的中したため、董卓は赤っ恥をかかされたのです。
皇甫嵩は名将であるがゆえに、かつての董卓にとっては目の上のタンコブでした。

独裁者となった董卓は、かつてのウラミを忘れることなく、皇甫嵩を都に呼び寄せて殺そうとしました。
皇甫嵩は捕らえられ、いまにも死刑が執行されそうになりますが、そこに息子がかけつけて必死の助命嘆願をします。運よく、皇甫嵩の息子は董卓と親しかったため、皇甫嵩は許されることとなりました。
もっとも、このさき皇甫嵩は董卓の前で卑屈にふるまい、心にもないお世辞を言わなくてはならないという、屈辱の日々が続きます。後漢王朝の英雄であり、名門の出身で、軍事的にも董卓以上の功績をあげた皇甫嵩。そんな彼にとってはなんともツライところですが、これが政治の世界の残酷さかもしれません。

とにかく董卓は、遠い過去のウラミも決して忘れない、かなり根に持つタイプの人物だったようです。
こんな人が独裁者になると、本当にコワイですね。いちど機嫌をそこねたら、命すら奪われかねないのですから……。

こんなにスゴイ 董卓の暴力政治

こんなにスゴイ 董卓の暴力政治

こんなにスゴイ 董卓の暴力政治

董卓についての記録を読むと「これは本当にあった出来事だろうか?」と思わされることが多くあります。
歴史書に記されている、董卓の主な悪行は、こんなところです。

・祭りに集まった地域住民たちを殺す(理由は不明)
・富豪に罪をかぶせて捕らえ(あるいは殺し)、財産を没収する
・捕虜に火をつけて燃やす(または煮殺す)
・宴会の席で捕虜を虐殺させながら、平然とディナーを食べる
・宮女や公主(こうしゅ)に暴行する

あまりにスゴイ話ばかりですが、はたして本当にすべて本当なのか……とすら思わされます。
特に「公主に乱暴する」というのは、いくらなんでも考えられない気もするのです。
公主とは皇帝の娘のことです。そんな特別に高貴な女性に対し、いくら董卓といえど乱暴できるものでしょうか?
(とはいえ、皇帝すら辞めさせたうえに殺してしまう董卓ですから、なにをやっていてもおかしくないのかもしれませんが……)

あるいは董卓の悪行が、実際以上に誇張された部分はあるのかもしれません。
とはいえ彼の政治には、悪評がでてくるだけの乱暴な部分があったことも、おそらくは事実なのでしょう。何事も強引なやり方が目立つ人で、政治的な配慮や気配りなどは、望むべくもない人だからです。

美しい未亡人を虐殺?

美しい未亡人を虐殺?

美しい未亡人を虐殺?

董卓の横暴を示すエピソードのひとつが、「皇甫規(こうほき)の妻」の逸話です。
皇甫規とは、あの名将・皇甫嵩の叔父に当たる人物で、その若妻は賢く美しい女性として知られていました。
皇甫規の死後、董卓は未亡人となったこの若妻をなんとかモノにしたいと考えました。彼は未亡人に豪華な贈り物をし、自分の妾(めかけ/側室)となるよう求めたのです。
亡き夫に操(みさお/注)を立てたいと願う皇甫規未亡人は、董卓の要求を断り、許しを請います。
しかし董卓が見逃してくれるはずもなく、彼は未亡人を恫喝(どうかつ)し、使用人に刀でおどしをかけさせました。

もはや逃げられぬと覚悟した未亡人は、董卓に向かい大声で罵声を浴びせます。
「そなたは羌族の生まれ(注)でありながら、漢の天下に害毒をばらまいて、まだ満足できぬというのか!
 皇甫氏は代々文武に優れた、漢の忠臣の家柄である。
 そなたの親は、皇甫氏の使い走りをしていたではないか。
 そなたは主君の夫人に対し、無礼を成そうというのか!?」

(注)操(みさお)……女性が純潔を守ること。貞操。
(注)羌族(きょうぞく)の生まれ……董卓が羌族の生まれだとするたしかな記録はないが、罵声の中で出身地をけなしているのか?

魔王・董卓にむかい、ここまでの罵声を浴びせられる人間は、他にいないでしょう。
董卓は激怒し、この皇甫規未亡人をつるし上げ、ムチと棒で代わる代わるに殴らせました。
「もっと強く殴るがいい。情けあらば、早く死なせておくれ」
未亡人は処刑人に言いつつ殴られ続け、ついに絶命したのでした。

本当の話だろうか……と思う反面、董卓ならやりかねんという気もしますね。

董卓に直言できた男

董卓に直言できた男

董卓に直言できた男

恐ろしいエピソードでいっぱいの董卓。こんな人の機嫌をそこねたら、命すら危うくなりそうで……だれもが面と向かってモノを言いたがらないのは当然です。
しかし、董卓に向かって正々堂々意見を述べ、時には納得させられる男がいました。
その名は蔡邕(さいよう)。学問・書道・詩など、あらゆる分野でマルチな才能を発揮した、当代一級の名士(社会的名声のある知識人)です。
名士には董卓に仕えるのを嫌う人が多かったのですが、この蔡邕は董卓の招きに応じ、その政権に参画します。

董卓は独断専行の人物ですが、この名高い知識人には一目置いていたようで、蔡邕の進言がときどき採用されることもありました。
たとえば董卓が有力者を斬ろうとしたところをとりなし、処刑をやめさせたこともあります。
また、董卓が皇帝と同じ仕様の馬車に乗っているのをたしなめ、人臣としての分を守らせたこともあります。

後に董卓が非業の死を遂げたとき、蔡邕は悲しみをあらわにしたといいます。
あるいはこの知識人の胸中にも、董卓とのキズナが生まれていたのでしょうか?


この記事の三国志ライター

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