裏切り、仲間割れが多い三国志について
■ 裏切り、仲間割れが多い三国志について
裏切り、仲間割れが多い三国志について
史実と伝承では異なり、時代が経つにつれ話は誇張するというきらいはありますが、あくまで現代という視点で三国志を見た様を記載します。
三国志がここまで複雑で多くの人から面白いと言われているのは裏切りが、仲間割れが多いからと言っても過言ではないでしょう。
チェスみたいに「一度倒された敵は舞台から消える」ということではなく裏切りを何度も繰り返した呂布のように「元は仲間だったのにいつの間にか裏切られて敵になっている!」という将棋のような展開だったのです。
話は変わりますが、三国志で最も名前が挙げられそうな人物は董卓、呂布、曹操、劉備(玄徳)、関羽、張飛、孔明、孫権、周瑜と言ったところでしょうか。異国の地日本でも彼らの名は多くの人が知っていています。
しかし今回取り上げるのは董卓の元で悪名の限りを尽くした李傕(りかく)と郭汜(かくし)です。
超有名どころという訳ではありませんが、彼らの争いはまさに三国志の縮図ともいえるような動きをしていて面白いので簡単に紹介したいと思います。
いきなり彼らの争いを見るよりその前の歴史の流れをおさらいした上で彼らの争いを見ると一層滑稽に思えるでしょう。董卓軍と反董卓連合軍の争いから簡単に見ていきましょう。
董卓軍VS反董卓連合軍ダイジェスト
■ 董卓軍VS反董卓連合軍ダイジェスト
董卓軍VS反董卓連合軍ダイジェスト
三国志でも最も悪名高い人物の一人である董卓。そんな董卓は最強の将軍・呂布を味方につけ暴れに暴れていました。
董卓を倒そうと結集したのが反董卓連合。まさに三国志のオールスターが集まったと言ってもいいくらいの豪華な顔ぶれが袁紹のもとに集まりました。一軍一軍だと到底董卓軍に敵わないものの結集した強さは激しく、互角の戦いをすることができるようになりました。
幼いころ三国志をアニメなんかで見た人は曹操が悪者でそれに対し劉備(玄徳)達が立ち向かうという構図を思い描いているかもしれません。しかし反董卓連合の基、彼らは共に戦っていたのです。
袁紹をリーダーとして、曹操、孫権、劉備(玄徳)などが結託します。
董卓、華雄を失い一気にピンチに (華雄VS関羽)
■ 董卓、華雄を失い一気にピンチに (華雄VS関羽)
董卓、華雄を失い一気にピンチに (華雄VS関羽)
無敵とされていた董卓ですが、反董卓連合軍が相手だと楽勝という訳にはいきません。華雄という信頼のおける豪傑を関羽に打ち取られ一気にピンチに立たされます。
身の危険を感じた董卓は洛陽から長安に都を移しました。
こうなれば一気に反董卓連合軍の攻勢が始まり董卓軍は衰退していくのではないかと思われましたがそこは董卓、長安に都を移し体制を整えることに成功しました。
実は無敵ではなかった曹操!(曹操VS徐栄)
■ 実は無敵ではなかった曹操!(曹操VS徐栄)
実は無敵ではなかった曹操!(曹操VS徐栄)
三国志の漫画やアニメでは無敵に近かった曹操ですが、実は敗戦も結構ありました。
反董卓連合だった曹操はリーダーである袁紹の進言を聞かず単独で董卓は以下の徐栄軍に戦いを挑みます。
ここで曹操が徐栄の軍をつぶしていればいよいよ董卓の陥落も近いと思われていましたが、そう簡単に事は運びません。
徐栄は曹操を返り討ちにすることに成功。連合軍はその軍勢により戦に勝ちやすい、勝ったら勢いに乗りどんどん相手を滅ぼしていけますが、負けてしまったら一気に解散の危機に追いやられてしまうものです。(秦の始皇帝時代、秦を潰そうと他の国が結託し総攻撃をかけるも一つの敗戦を期に連合軍が解散するという事態に追いやられました)
三国志でも歴史は繰り返され、曹操の敗北により、反董卓連合軍内に亀裂が走り、内輪もめが続き、曹操、孫権が離脱してしまうという状況に追いやられました。
さらに曹操と袁紹の対立が激化し、董卓を倒すというのがいよいよ難しくなってしまったのです。
まさかの女?董卓を倒すにはまず呂布から
■ まさかの女?董卓を倒すにはまず呂布から
まさかの女?董卓を倒すにはまず呂布から
董卓が強かったのは、自身が強いということもありますが、最強の武将、呂布が側近としていたということが一番に挙げられます。
「じゃあその呂布を董卓から離れたらどうなるのか」
そんな視点で物事を見ていたのが宮中の役人だった王允(おういん)です。
王允は義理の娘である貂蝉(ちょうせん)(ちょうせんは中国四大美女と謳われるほどの美女)を利用し呂布を陥れます。いわゆるハニートラップってやつですね。
陥れられた呂布はなんと董卓を暗殺してしまうのです。
董卓が破れたのは大戦などではなく、「女がらみの暗殺」だというのだからちょっと拍子抜けしてしまいますよね!
李傕(りかく)と郭汜(かくし)に追われる呂布
■ 李傕(りかく)と郭汜(かくし)に追われる呂布
李傕(りかく)と郭汜(かくし)に追われる呂布
董卓を討った呂布ですが、もちろん董卓軍から追われることになります。
日本に置き換えると信長を打った明智光秀が信長の家臣たちから追われる羽目になるというところですね。
そして三国志内での豊臣秀吉役が李傕(りかく)と郭汜(かくし)です。二人は同僚であると同時に幼馴染でした。そのため非常に仲が良く、阿吽の呼吸で董卓軍をまとめあげました。武将としての能力も高く、呂布もあと一歩というところまで追いつめられました。
少し話は脱線してしまいますが、李傕(りかく)と郭汜(かくし)は似た者同士で董卓の元で悪名の限りを尽くしました。董卓が頭にいたため最も悪名高い武将として知られていますが、残虐性に関して言えば二人とも董卓以上と言われていたくらいです。
さて、そんな二人が同時に頭になったらどうなってしまうのか。誰もが予想できることで二人は争いを起こしてしまいます。力が拮抗していた二人だけに争いは激化し、ついには群全体の弱体化を招いてしまいました。その場は軍の同僚の仲裁で和解するも一度出来た溝は埋まらず、二人とも急激に求心力を失うこととなりました。
李傕(りかく)は討伐され、三族皆殺しにされ、郭汜(かくし)は部下に裏切られて殺されました。
問題の呂布がどうなったという話ですが、ここでは生き延びることとなりました。
(二人の秀吉がいたら明智光秀は討てなかったかもしれないということですね)
まとめ
■ まとめ
まとめ
三国志ではそこまで重要視されていないこの場面ですがいかがだったでしょうか。
裏切り、仲たがいなどここには三国志の縮図があり、一枚岩になりきれなかった軍の末路が表されていると思いませんか?強くないと戦には勝てない。しかし強いだけでも戦には勝てない。軍は将軍の私物ではないということが言えるでしょう。現代社会の会社でも同じことが言えるかもしれませんね!