これは押さえておきたい!三国志の大戦!

これは押さえておきたい!三国志の大戦!

三国志を知る上で押さえておきたいのは武将と大戦ではないでしょうか。そしてこの二つは切っても切り離せない間柄です。今回はそんな大戦に焦点を当て、三国志をより楽しんでもらおうと思います。ジャイアントキリングが多い三国志はやっぱり面白いです!


長坂坡(ちょうはんは)の戦い

長坂坡(ちょうはんは)の戦い

長坂坡(ちょうはんは)の戦い

長坂坡の戦いは曹操が逃げる劉備を追って攻撃を仕掛ける所から始まります。長坂坡で劉備(玄徳)に追いついた曹操に劉備の妻子が捕まってしまうがここに駆けつけたのが趙雲です。(ちなみに映画・レッドクリフはこの場面から始まります)

劉備軍数千に対して曹操軍は50万程度。誰がどう見ても適わない戦いですが、この趙雲が凄すぎました。趙雲が倒した武将は淳于導(じゅんうどう)、夏侯恩(かこうおん)、晏明(あんめい)、張郃(ちょうこう)、馬延(ばえん)張顗、(ちょうぎ)、焦触(しょうしょく)張南(ちょうなん)、と言った数多くの武将です。この戦いで趙雲が三国志トップクラスの武力である事を証明しました。

そして張飛もここでは大活躍。長坂橋で曹操軍を食い止めると彼が「命がけの勝負をする者はいないか!」と一喝すると曹操軍はビビってしまい劉備軍追走を断念しました。

赤壁(せきへき)の戦い

赤壁(せきへき)の戦い

赤壁(せきへき)の戦い

赤壁の戦いは三国志の中で最も有名な戦いで、レッドクリフで映画化されたほか、数多くのメディアでも取り上げられました。

人気の理由は一つに圧倒的不利な呉・蜀連合が悪名高い曹操に勝ったということと、呉と蜀が手を結んだ場面が感動的と言ったところがあるでしょう。

三国志の中で最も三本の指に入るであろう軍師周瑜と孔明の智略が凄く見る者を圧倒させてくれました。ちなみに呉と蜀合わせても5〜6万程度だったのに対して、魏の軍勢は80万以上とも言われています。

しかし魏の敵は呉と蜀だけではありませんでした。疫病にかかった上慣れない風土ということもあり力を出し切れず惨敗。ここでは戦で攻める難しさが如実に現れたと言ってもいいでしょう。それでも圧倒的不利な状況から魏を壊滅状態にまで追いやった連合軍はお見事です。

官渡(かんと)の戦い

官渡(かんと)の戦い

官渡(かんと)の戦い

曹操は三国志で最も偉大な君主の一人とされていますが、そうなったのも官渡の戦いで袁紹を倒したことによる功績が大きいでしょう。

この戦いは曹操の軍勢が7万だったのに対して袁紹の軍勢は70万人でした。圧倒的に有利とされていた袁紹が負けた理由の一つ目は個の強さでは曹操の武将(張遼や許褚)が相手より上手だったということが挙げられます。

二つ目は袁紹がダメ君主だったことでしょう。袁紹は言ってみればボンボンのお坊ちゃんで才能もない人間でした。結局は有能な武将たちも匙を投げ出してしまいました。三つ目は袁紹の危機管理能力不足です。

胡座をかいていた袁紹はあっさり食料保管庫を焼き尽くされ負けてしまうのです。戦は数だけじゃないというのを改めて学ばされた大戦と言っていいでしょう。

合肥(ごうひ/がっぴ)の戦い

合肥(ごうひ/がっぴ)の戦い

合肥(ごうひ/がっぴ)の戦い

合肥の戦いでは珍しく呉が積極的に魏に攻め込む戦いです。この戦いで勝っていれば歴史は大きく変わっていたかもしれません。しかしそこで立ちはだかったのが張遼です。孫権自ら戦に出向き、魏としては難しい戦でした。

しかし張遼(ちょうりょう)は李典(りてん)、楽進(がくしん)らと共に7千程度の軍で10万程の呉軍に対抗します。圧倒的有利と見られていた呉でしたが張遼の策にはまり結局は退却せざるをえなくなったのです。規模は違いますが赤壁の戦いのリベンジを果たしたと言ってもいいのではないでしょうか。それ以来呉では張遼を恐れるようになってしまったのです。

しかし実はこの戦いは孔明が仕組んでいたことでした。結果までは予想してなかったかもしれませんがこの戦いの勝者は蜀だったかもしれませんね。

博望坡(はくぼうは)の戦い

博望坡(はくぼうは)の戦い

博望坡(はくぼうは)の戦い

この戦いは劉備(玄徳)が孔明を軍師に向かい入れての初の戦でした。趙雲はわざと負けるふりをして夏侯惇を博望坡までおびき寄せ火の海に陥れるという作戦でした。

関羽や張飛は孔明の実力をまだわかっていなかったのであまり乗り気ではない作戦でしたがあまりにも策がはまりすぎたのでこの一戦で孔明を認めることとなりました。この戦いは劉備軍が数千だったのに対して、曹操の軍勢は10万程でした。

サッカーでいうとデビュー戦でハットトリック以上の活躍をしたという活躍をしたと言ってもいいでしょう。さらにこのあたりで広大な土地を統括していた劉表がなくなったため劉備(玄徳)は血を得ることにも成功しています。

この瞬間から、関羽、張飛、趙雲と言った一騎当千の武将に孔明を加えた劉備(玄徳)は少数ながらも精鋭ぞろいで簡単には落とせない国となったと言っても過言ではないでしょう。

綿竹(めんちく)攻防戦

綿竹(めんちく)攻防戦

綿竹(めんちく)攻防戦

綿竹攻防戦では魏の鍾会と鄧艾が蜀に進行します。対抗するのは孔明の子である諸葛瞻。しかし鄧艾の勢いの方が勝り、呉に対して援軍を要請しました。呉はこの要請を受け入れたため諸葛瞻は籠城して援軍を待っていました。

しかし援軍が来るのに日数がかかった為しびれを切らした諸葛戦は城を出て攻撃をしに行ってしまいました。結局援軍は間に合わず諸葛瞻は捕らえられてしまいます。諸葛瞻が敗れると求心力のない劉禅ではどうしようもできず、あっけなく降伏をし、魏に飲み込まれる形となりました。

この戦いにより、群雄割拠だった戦国時代の国々は魏と呉だけになってしまったのです。

三国時代の終焉

三国時代の終焉

三国時代の終焉

三国志最後の戦いは晋と呉による争いです。えっ?魏じゃないの?と思う人も多いでしょう。最終決戦を前に司馬一族が魏を乗っ取り曹一族が降伏してしまったのです。

それにより魏から晋に変わりました。しかし国は割れることなくみんながみんな晋の初代皇帝である司馬炎(孔明のライバルだった司馬懿の孫)についていきました。対する呉は孫権以降ダメ君主しか生まれず、最後の孫晧(そんこう)なんて酷いもので、宮廷内で気に入らないことがあると相手の目玉をくりぬいたり、女中に対しても酷い扱いを施していました。

その為国で守ろうと本気で思うものはおらずあっけなく晋に敗れました。きっと呉の民の多くが「負けてよかった」と思ったことでしょう!

まとめ

まとめ

まとめ

上記の様な大戦続きの後晋が統一を果たしました。しかし結局晋は長続きせずまた分裂してしまうという一途を辿っています。

三国志の大戦を追っていくと「正義が勝つと言うよりは、勝てば官軍」と言う方が正しいと思うのではないでしょうか。もちろんここで挙げた以外にも歴史を動かす様な大戦は沢山ありました。

その大戦を追っていくと自然と武将に注目が行き、「この武将かっこいい」、「こんな生き様に憧れる」という風になると思います!





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