記事総数:107
公開中の記事
我が国日本と三国志の舞台中国は、古代より国同士の交わりがありました。そして、三国志の武将や軍師が中国全土の覇権を争っている間にも、日本と中国は国交を行い受け継がれた文化があります。
イメージ崩壊計画(2)~劉備(玄徳)は本当に理想の君主像なのか?~
三国志演義の著者である羅貫中は、劉備(玄徳)を聖人君子として描いています。実話を採用しているところもありますが、蜀の印象が悪くなるようなことはことごとく削除や修正を加えています。一般に広く知れ渡っている劉備(玄徳)のイメージは羅貫中の作り出したものなのです。
イメージ崩壊計画(1)~劉備(玄徳)は本当に理想の君主像なのか?~
劉備(玄徳)についてどんなイメージを持っていますか?タイトルの通りこの記事では、そのイメージをひっくり返す情報を提供します。第1回目は三国志演義前半の主人公である劉備です。
前回までは、諸葛3兄弟が散り散りになり、諸葛瑾が呉へ諸葛亮と諸葛均は荊州へ流れたところまでを書きました。さて、後半はいかに…!?
漢の劉氏や魏の曹氏、夏候氏、蜀に仕えた馬氏の五常など、通常はどこの国でも親兄弟、親戚は同じ君主に仕えています。ところが、諸葛亮孔明の兄弟、親戚はみな優れた功臣ですが、兄は呉に、はとこは魏に仕えています。血の結束は固いと言いますが、兄弟、親戚同士で争うことになってしまった諸葛家の悲劇の一部始終をお伝えします。
三国志の魅力どっぷり浸かってしまったそこのあなた!!そろそろ他の三国志ファンのことが気になり始めていませんか?三国志ファンに「三国志にハマったキッカケ」をインタビューしてきました。
三国志のお笑いネタとして、前回も下らないエピソードをご紹介しました。爆笑とまではいきませんが、クスっと笑えるネタを今回もお届けします。
魏・呉・蜀がそれぞれ滅亡してから約1000年後。「三国志」の娯楽化が進むことで、まさかの三国志を題材にした漫談や喜劇が生まれました。本記事では、三国志をテーマにしたお笑いネタをご紹介します。
関羽の武勇伝のひとつ「関公刮骨療毒」ですが、この手術を行ったのが華佗です。これ以外にも華佗は様々な外科手術を行い、それの詳しい手順が歴史書に書かれています。
中国古代の医学書、正史三国志、後漢書などの歴史書には、華佗の輝かしい医療実績が収録されています。映画やドラマでは決して知ることのない華佗の手術シーンをご堪能ください。
華佗の手術の様子、治療の方法については陳寿の書いた正史三国志の華佗伝にも書かれています。
名医として名高い華佗は、三国演義でもたびたび登場して関羽をはじめ、孫策、周泰、曹操など主役級の武将の治療や手術を行っています。
これまで編案されてきた、24種類の歴史書の中でも名著と言われる正史三国志の生みの親陳寿は、山あり谷ありの人生を歩みました。前編では正史三国志を記す前に諸葛亮の伝記を書いたことで、司馬炎のお気に入りになったところまでを書きました。しかし、彼の波乱万丈人生はまだ後編でも続きます。
中国四大奇書のひとつ「三国志演義」は長い間人々に愛されている大傑作です。その大本になった書物が魏志、蜀志、呉志から成る正史三国志です。この書物を記した人物こそ晋の史家である陳寿です。
大喬とねんごろな関係になってしまった周瑜の親友孫策。再三にわたる彼の誘いを受けて会いに行ってもいいかな…と思い始めた周瑜。いよいよ周瑜の嫁取り物語のクライマックスです。
周瑜と最愛の妻小喬の出逢いに関するエピソードはいくつか存在し、三国志演義、京劇、講談、寓話の内容はそれぞれ異なっています。そのうちのひとつをストーリー仕立てでご紹介しましょう。
赤壁大戦では自軍の約25倍の曹操軍を退け、呉の軍事に外交に内政にと尽力し、夢なかばに散った稀代の智将:周瑜公瑾。「美周郎」の異名を持つ周瑜の出自と人生を大きく左右する出会いに迫ります。
太古、仏教の伝来とともに中国から日本に伝来したものの中には、かの曹操が奨励したスポーツや関羽が好んで遊んでいたボードゲームなどもあります。
娯楽やギャンブルとして今でも遊ばれている遊戯の中には、元は戦略シュミレーションの模型だったり、軍隊の訓練の一環として取り組んだものもありました。
三国志の時代もボードゲーム、ダイスゲーム、カードゲーム、球技などのお遊戯が盛んに行われていたようです。実際三国志演義では、関羽や曹操が碁を打っているシーンが出てきます。