華佗(かだ)の医療実績はここがスゴイ!!(1)

華佗(かだ)の医療実績はここがスゴイ!!(1)

名医として名高い華佗は、三国演義でもたびたび登場して関羽をはじめ、孫策、周泰、曹操など主役級の武将の治療や手術を行っています。


暗殺未遂事件で瀕死になった孫策の治療

暗殺未遂事件で瀕死になった孫策の治療

暗殺未遂事件で瀕死になった孫策の治療

孫策暗殺未遂事件のきっかけ

孫策暗殺未遂事件のきっかけ

孫策暗殺未遂事件のきっかけ

父孫堅の偉業を受け継ぎ、袁術の幕下で一武将として武勇を競っていた孫策はその当時16歳の少年軍人でした。それからしばらく経った18~19歳の頃から破竹の勢いでどんどん江東勢力を拡大していきました。その勢いはまるで下り坂を転がり続ける手鞠のように徐々に加速し、小さな石や溝くらいならヒョイと跳び越えて留まることを知りませんでした。

そんな手鞠にも行く手を遮ろうとする数々の障害が立ちはだかります。
当時荊州を支配していた劉表や広陵の地を支配する陳登。その他江東周辺に散らばる大小の豪族たちが呉領拡大を阻止せんと戦や遊説(有力者のもとを巡回して演説すること)など文武の争いを展開していました。

そのうちの有力豪族のひとり、許貢という者が孫策の怒涛の快進撃を食い止めるため、かつて「覇王」と名乗り、楚漢戦争の時代天下に最も近い男と言われていた「項羽」を引き合いに出して朝廷にこのように上奏しようとしました。

「孫伯符は楚漢の覇王に似ています。このまま放置しておけば、漢にとって後顧の憂いとなりましょう。即刻誅すべきです」

この噂を耳にした孫策は怒った勢いに乗って、許貢を殺害しました。

孫策暗殺未遂事件

孫策暗殺未遂事件

孫策暗殺未遂事件

孫策が許貢を殺害したのを好機とばかりに、己の手を染めずに孫策の勢いを削ごうと考える豪族がいました。広陵の地で太守を務める陳登、その人です。

陳登は許貢の残党や食客を焚き付けて、孫策を暗殺するクーデターを起こすように操作しました。作戦は孫策が鷹狩りに興じて獲物を回収しようと護衛兵から離れた隙をついて行われました。
孫策が獲物をとりに行ったとき、不意に矢が飛んできました。あまりに咄嗟のことだったので、孫策は避けきることができず、矢は孫策の頬を貫通しました。

それくらいなら孫策を死に至らしめることはできません。茂みの中から黒装束を身に着けた3人の刺客が現れ、一斉に孫策に切りかかります。孫策はなんとか立ち回って次々襲いかかる白刃を躱したり防いだりしていましたが、防げなかった剣は容赦なく孫策の身体を切り裂きます。それでも組みかかって殴り殺したり、剣を奪い取って刺し殺すなどして3人の刺客は返り討ちにあいました。護衛兵が孫策を発見したころには、失血がひどく気絶している状態で事態は急を要しました。

その治療にあたったのが名医の華佗です。

孫策の手術

孫策の手術

孫策の手術

孫策が負った怪我の中で一番損傷がひどかったのが、顔面です。矢が両頬を貫き、孫策がその上で激しく動き回ったので、開いた穴が裂けて広がりそれが化膿していました。前身には擦り傷や切り傷がいたるところにあり、浅いものから深いものまであったそうです。

華佗の行った手術は化膿した傷口から膿を絞り出し、深い切り傷をチクチクと縫い合わせて、化膿止めや癒合を促す塗り薬を塗ったあと、薬草を包んだ包帯を孫策の身体に巻き付けるというものです。包帯は孫策の四肢、胴体、顔に巻かれ、施術後の姿はまるでエジプトのピラミッドに眠るミイラ。

ところが、孫策の傷はあまりにもひどく、傷が完治する前に命を落としてしまいました。

周泰の怪我も治療した

周泰の怪我も治療した

周泰の怪我も治療した

実は孫策暗殺未遂事件の裏側で、その災いは弟の孫権にも降りかかっていました。孫権の居城にも刺客が現れていたのです。
孫権が居たのは宣城。宣城に現れた刺客は、護衛兵を次々に殺害していき孫権の居住スペースにまで踏み込みました。しかし、孫権の場合は忠臣の周泰が己の身を投げ打って早急に孫権を逃がしたので、孫権は無事に避難することができました。
孫権の身代わりになった周泰は一人で大勢を相手に戦い、全身傷だらけになりながらも救助されました。

周泰が担ぎこまれたときにはほぼ絶望的な状態でした。孫権の臣下のひとりが「私の友人が名医と親しいそうなので、友人に頼んで名医を寄こしてもらいます」と進言し、連れてきたのが華佗でした。
治療についての詳細はここには出てきませんが、華佗があの手この手を尽くした甲斐もあり、生死の境をさまよった周泰は奇跡的に意識を取り戻しました。

周泰の孫権に対する忠義の厚さはこの場面だけに留まりません。これから数十年後に起った合肥の戦いでは、張遼の猛追撃にあい、目と鼻の先まで追い詰められた孫権の殿を務めて主君の討死を防ぎました。

曹操の頭風は応急処置だけ

曹操の頭風は応急処置だけ

曹操の頭風は応急処置だけ

曹操は青年期から偏頭痛と目眩の持病がありました。政務を自ら執るようになると、その持病はますますひどくなる一方で、一度発作が起きると立つこともできなくなりひどい頭痛に襲われました。本人曰く「頭が割れるー」、「頭の中で誰かが頭蓋を鉄槌で殴っているようだ」と痛みを表現しています。

そのため、曹操は名医として名高い華佗を召し抱えて自分の主治医にしました。そして、曹操は華佗に「いつ発作がおきても対処できるように、常時わしのそばから離れず控えているように」と命令していたそうです。

ある日、曹操が許都にある政務殿(国会議事堂のような場所、皇帝や大臣が集まって朝議を行う所)の石段を降りているとき、不意に頭風の発作が起こりました。
「ううう…」と唸り声を上げてその場に腰が砕けた曹操を周りにいた文官武官たちが支え、「丞相っ!!丞相っ!!」とあたふたしていると、華佗がチョコチョコと小走りでやってきて、曹操の背中に鍼を打ちました。鍼を打たれた瞬間、曹操の頭痛はピタリと止みました。
華佗が鍼を打ったツボは膈愈穴という背中にあるツボでした。広い背中にあるツボを咄嗟でしかも的確に打つことができたので、華佗の鍼灸術の腕前は相当なものです。
しかしこの施術はあくまで応急処置なので、その後も曹操は頭風に苦しみ続けました。曹操は末っ子の曹沖が亡くなるとき、華佗を殺してしまったことを後悔していると話した後でこのような皮肉も言っています。
「華佗は頭風を治せなかったのではない。もし、わしが華佗の言うことを聞き、脳中の腫瘍をとってくれと話してもヤツはやらなかったはずだ。わしの頭風は治らなくてもよい、ただ沖になにもしてやることができず、ただ苦しんで死にゆくのを見ているだけしかできないのは口惜しい。ヤツなら沖を救うことができたのに…」。

三国志演義中での華佗の治療シーン

三国志演義中での華佗の治療シーン

三国志演義中での華佗の治療シーン

三国演義でもこのように主役級の登場人物の治療や手術を行っています。華佗の手術シーンでは「関公刮骨療毒」が有名ですが、それは正史三国志にも描かれています。そのため、あえてこの記事には記載しませんでした。次回は正史三国志や後漢書など正式な歴史書に書かれている華佗の医療実績を書きたいと思います。


この記事の三国志ライター

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