華佗(かだ)の医療実績はここがスゴイ!!(2)

華佗(かだ)の医療実績はここがスゴイ!!(2)

華佗の手術の様子、治療の方法については陳寿の書いた正史三国志の華佗伝にも書かれています。


正史三国志では内科治療の記録が多い

「神医」と称賛される華佗の治療・手術歴については、正式な歴史書である正史三国志にも「華佗伝」という列伝として記録されています。
三国志演義では、「関公刮骨療毒処」という章でトリカブトの毒に侵された関羽の右肘を外科手術を行って治療しています。

正史三国志―華佗伝―には、内科治療をメインに収録しています。当時医者の身分は今とは比べものにならないほど低く、医術の記録などは軽視される傾向にありました。しかし、正史三国志の著者である陳寿が慣例を重要視しない斬新な考えを持っていた甲斐もあり、正確な華佗の治療・手術の様子が後世まで伝わっています。

怒らせると病気が治る?

とある郡司(郡主)が病を患って、華佗の往診を依頼しました。郡司の屋敷にやってきた華佗は早速病状を尋ね、脈をはかりました。
華佗は郡司の患った病は、一度怒り狂えば治ると考え、特に薬を処方することも施術も行うこともなく多額の診察料を受け取ると、郡司に挨拶をすることもなくそそくさと帰りました。

郡司 「あのジジイ、高い金だけとって何もしてねーじゃねーか!!」

イライラしていたところに郡司の息子が一通の手紙を持ってやってきました。その手紙は華佗が郡司宛てに書いたもので、華佗にあてがった控室の机に置いてあったものでした。

(急用でもあったのだろうか…?もしかしたら処方や指示が手紙に書いてあるのかも知れない)

一度頭の冷えた郡司は、この手紙に治療方法の指示が書いてあるだろうという期待を胸に置手紙を開封しました。

ところが、その手紙には治療方法どころか薬草の分量すら書いておらず、郡司の悪口やバカにしているような罵詈雑言が並べられていました。

郡司 「あのヤブ医者めーーーーっ」

手紙を読んでおおいに怒った郡司は、配下の兵士に華佗を捕縛して殺すように命令しました。短く返事をして兵士が走り出そうとすると、

郡司息子 「いや、待て。その必要はない」

このように郡司の息子が制止しました。

郡司 「息子まで、我をバカにするのかーっ!!」

郡司はゆでダコのように真っ赤な顔になり、まるで顔中の穴という穴から湯気が出そうなくらい怒りました。怒りレベルがMAXに達したころ、郡司は大量のドス黒い血を吐きだして気絶していました。
寝台の上で目が覚めると、病はすっかり癒えていました。

実は華佗、郡司の息子だけに「怒らせて治す」という治療方法をとることを打ち明けていました。そして、郡司の息子と共謀して郡司を怒り狂わす作戦を練り、実行したのでした。

汗をかけば完治、出なければ…

尹正という県の役人が、手足が発熱し、口内が渇いて、人の話し声を聞いただけでムカムカしてしまう。その上、尿が排出できないという症状に悩んでいました。

尹正に呼ばれた華佗は診察すると、とても冷淡な診断を下しました。

「熱いものを食べて汗をかけば病はたちまち治るでしょう。しかし、もし汗が出なければ…3日後に泣き崩れながらあなたは死にます」

尹正は華佗のいう通りに熱い料理を口にしましたが、どれだけ食べてもまったく汗が出ず、3日後に泣きながらこの世を去りました。

緊急搬送中の患者を救う

ある日華佗が市場や山に薬草の買い出しと採集をするために出かけたときのことです。
「うーん…ぐぐっ」といううめき声を発する1台の車とすれ違いました。華佗は急いでその車に駆け寄ると「私は医者だ。車を停めなさい」と身分を明かして、病人を乗せた車を引き止めました。

車の中には患者である男性とその患者の家族が乗っていました。苦痛に身もだえしている患者に華佗が症状を聞くと、なんでも喉がつまって食べ物を飲み込むことができず、息をするのもままならないということでした。

華佗は冷静に脈をはかったり、眼球の色や口の中を観察した後、病原を特定しました。そして、その治療方法を患者とその家族に告げました。

「今しがた走ってきたこの道を引き返しなさい。そう遠くないところに餅(ピン)を扱う店がある。その店にはニンニクをすりおろしたものとお酢があるはずなので、それらを混ぜた液を3升(5.4リットル)飲みなさい。さすれば病は治る」

病人を乗せた車は急いでさっき来た道を引き返し、道沿いにある飯店(料理を提供する店)を発見しました。その店の主人に事情を説明し、華佗の指示通りのニンニク酢ドリンクを3升作ってもらいました。病人はそのニンニク酢ドリンクを藁にもすがる思いですべて飲み干すと、飲みきった途端に口からひも状の寄生虫を吐き出しました。

その寄生虫は蛇のような形をしており、吐き出したニンニク酢ドリンクの中を苦しそうにのたうちまわっていたそうです。
寄生虫を吐き出した病人はすっかり気分がよくなり、病気が治ってしまいました。

刺激が届いたら教えなさい

華佗は薬の調合のスペシャリストでありましたが、鍼とお灸についても神業級の腕前でした。東洋医学では、鍼やお灸などの刺激や熱を利用して人間が本来持っているデトックス効果や血流促進によって悪いところを治すというのが基本です。華佗は鍼やお灸で十分治せるような病気であれば無理に外科手術を行わず、鍼灸術を施したそうです。

そして華佗が鍼を打つときの特徴のひとつとして、患者に対しこのような指示をすることでした。
「今から鍼を打つので、鍼の刺激が悪い部分まで届いたと感じたら教えてね。すぐに抜くから」という指示です。

華佗の診断により、鍼灸術で事足りると診断された患者は寝台に乗せられて、おおよそ上記のような指示をして、患者に鍼を打つのだそうです。
そして、患者が「きましたっ!!」と声を発すると華佗は鍼を抜きます。すると、患者の病はたちまち全快したそうです。


華佗は、ふつうの鍼灸医では危なくてとうていできない深さまで鍼を打つことができたそうです。よく剣山のように身体じゅう鍼を打たれる患者をテレビなどで拝見しますが、華佗の鍼灸術では1~2ヶ所打つだけで済んだそうです。

華佗の不思議な治療法

華佗の内科治療には上記のように不思議な診断が見られます。
そもそも人間が5.4リットル飲み物を一度に飲むことができるのか?医術の素人に刺激が悪いところまで届いたのがわかるのか?華佗は何を根拠に怒らせれば治せると判断したのだろう?とさまざまな疑問が発生します。
しかし、正史三国志だけでなく中国古代医学書にも華佗の行った治療法が記載されているので、もしかしたら後世の医者も試したことがあるかも知れません。

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