徐州--三国志前半の激戦区

徐州--三国志前半の激戦区

三国志演義、序盤から数々の見せ場があります。その中で印象深いものの一つが曹操による徐州での大虐殺でしょう。父親を殺された曹操が復讐のために徐州に攻め入り、劉備がわずかの援軍を率いてやってくる。二人の対称的な姿が映し出されます。その後、呂布や袁術が絡んできて、複雑な人間模様が描かれます。では、正史の徐州での攻防はどのようなものだったのでしょうか?


徐州をめぐる背景

徐州をめぐる背景

徐州をめぐる背景

当時の中国で強大な勢力であったのが袁紹と袁術です。どちらも漢王朝の名門で勢力を伸ばそうとして、お互いをライバル視していました。今も昔も勢力争いをしている者が考えることは同じです。まずは、自分の味方につけようと各地の群雄を引き込みにかかります。その結果
袁紹側:曹操 劉表
袁術側:孫堅 公孫瓚 陶謙 (劉備(玄徳))
となります。
まず、袁術は曹操の本拠地である兗州に攻め入ります。袁術は公孫瓚に救援を求めました。公孫瓚は陶謙・劉備(玄徳)を派遣します。一方曹操は袁紹と協力し、これらの軍勢を全て打ち破ります。また、劉表が袁術の退路を断ったため、袁術は本拠地の南陽を捨てて寿春に落ち延びていきます。
その頃、陶謙は曹操の父や弟を含めた一族を殺しました。演義ですと陶謙は曹操の父親をもてなしたが、黄巾党崩れの部下が勝手に殺したとあります。しかし、正史では、ここまでに述べた通り、陶謙は曹操と対立してました。そのため、陶謙は殺したとあります。

徐州大虐殺

徐州大虐殺

徐州大虐殺

曹操は陶謙に父親や弟を殺された恨みから復讐戦を挑みます。徐州に攻め入り、陶謙の軍勢を散々に打ち破ります。その時に大量の兵士を殺害します。そして、進軍していく途中の地域で大虐殺を行います。後漢書では「曹操は数十万の男女を殺害し、曹操の行くところには鳥や犬さえもいなくなった。血の流れで川がせき止められるほどの惨劇であった」と記されています。将来的に曹操のこの虐殺は、曹操の評判を落とすことになります。後に対立する袁紹や劉備(玄徳)らが曹操と戦う時の大義名分としてしまいます。曹操は翌年にも再び徐州に攻め入り、大量の虐殺をします。
徐州は黄巾の乱や董卓の乱の際に、大勢の者が避難してきて、人口が増え、豊かな州となっていたのですが、この曹操の虐殺によって壊滅的なダメージを受けます。

徐州の危機を救ったのは!?

徐州の危機を救ったのは!?

徐州の危機を救ったのは!?

徐州の軍勢も援軍も曹操の前に壊滅していました。ところがひょんなことから曹操は兵を引きます。曹操が互いの家族を託し合うほど信頼していた親友張邈が曹操を裏切ります。まず、軍師の陳宮と計らい、中央から逃げてきた呂布を迎え入れます。そして、曹操の本拠地である兗州に攻め入ります。呂布は兗州の大半を征しますが、荀彧・程昱・夏侯惇らが曹操の本拠地を守り抜き、必死に抵抗します。そうこうしている内に蝗害が襲ってきます。これには呂布も兵を引かざるを得なくなり、曹操は無事兗州に戻ってきます。
一方、徐州では陶謙が寿命を迎えます。演義と違い、正史の陶謙は自ら曹操の父親を殺したり、領民の評判は良くなかったようですが、寿命を全うすることは出来ました。そして、演義と同じく、自分の息子にはとても徐州を託すことは出来ないと考え、劉備(玄徳)に徐州を譲ります。こうして劉備(玄徳)は初めて、しっかりとした基盤を持つことが出来るのです。

劉備(玄徳)VS呂布

劉備(玄徳)VS呂布

劉備(玄徳)VS呂布

呂布は曹操と一年以上戦い続けましたが、結局敗れ去ります。その後、張邈と別行動を取り、徐州を支配していた劉備(玄徳)の元に逃げ込みます。演義や漫画では、仁徳の劉備(玄徳)が呂布を丁重に迎えたとなっていますが、正史では、呂布の言動を不快に思っていたようです。その後の経過は演義と同じです。徐州を巡って袁術と劉備(玄徳)が戦を始めます。その隙をついて、呂布が徐州を奪います。残念ながら張飛が酒を飲んでいたからという記述はありません。後漢書によると呂布は袁術の誘いに乗って徐州を奪ったとあります。袁術の計略が成功したのですね。
袁術はさらに劉備(玄徳)を滅ぼそうと紀霊を将軍として三万の大軍を繰り出してきます。劉備(玄徳)は呂布に救援を求めます。呂布はそれに応じて兵を出し、劉備(玄徳)と紀霊を陣に招きます。そして、演義でも屈指の名シーン、陣中で戟を矢で射って両軍を引かせます。
その後、呂布は兵士を集め出した劉備(玄徳)の城である小沛を攻めます。小沛は陥落し劉備(玄徳)は曹操の元に逃亡します。

呂布の最期

呂布の最期

呂布の最期

徐州を支配した呂布に対して袁術は婚姻を持ちかけます。ところが、呂布はその使者を捉えると調停の曹操に送ってしまいます。使者は処刑されます。激怒した袁術は張勳を大将とし、徐州に攻め入ります。呂布は陳珪の策略を用い、楊奉・韓暹を寝返らせます。これによって張勲軍を撃破し、袁術の勢力を大いに後退させます。
その後、曹操が袁術を破った後、劉備(玄徳)を再び徐州の小沛に派遣します。続いて、呂布が再び袁術と手を組み、高順が小沛を攻め、劉備(玄徳)を破ります。そして、曹操が自ら徐州にやってきて呂布との決戦が開始します。徐州の下邳で呂布は曹操と戦いますが、大敗を繰り返し、下邳城に籠城します。曹操軍は下邳城を破ることが中々出来ません。曹操は弱気になり、撤退を考えますが参謀の荀攸・郭嘉の進言した水攻めの計を用います。そして、呂布軍の中から裏切り者が出て、ついに呂布は捉えられ、下邳城は落城します。こうして、徐州は曹操の支配下に入ります

劉備の謀反

劉備の謀反

劉備の謀反

呂布を破り曹操と劉備(玄徳)は共に、曹操の本拠地である許昌へ行きます。そんな時、袁術討伐のために劉備(玄徳)は朱霊・路招らと袁術討伐に出兵します。袁術は勢力が大きく交代し、兄である袁紹を頼ろうとし、徐州を通過しようとしますが、劉備(玄徳)が待ち構えていたので、引き返し、やがて病死します。袁術が病死したので、朱霊らは許昌に戻りますが、劉備(玄徳)は徐州に留まります。そして、徐州の刺史である車冑を殺して再び徐州を支配します。
劉備(玄徳)は下邳を関羽に任せ、自らは小沛を守ります。そうなると、多数の群県が劉備(玄徳)に味方するようになります。劉備(玄徳)はさらに孫乾を派遣して、袁紹と同盟を結びます。一方曹操は、劉備(玄徳)を討伐するため、劉岱・王忠を派遣します。劉備(玄徳)は彼らを撃破します。劉岱らが撃破された曹操はいよいよ激怒し、自らが徐州に攻め入ります。そうなると劉備(玄徳)はとても持ちこたえられず、逃亡し、袁紹の元へ逃げ込みます。
こうして、徐州は完全に曹操の支配下に入ります。

その後

その後

その後

その後、徐州は三国志では正史でも演義でも大きな役割を果たす場所ではなくなります。孫権が
「徐州に攻め入ろうか」
と会議で提案し、却下されるくらいです。三国志の物語の中心は東の徐州から北の冀州、中央の荊州・予州、西の益州・涼州へと移っていくのです。






この記事の三国志ライター

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