今でも使う!?三国志が元となった故事成語

今でも使う!?三国志が元となった故事成語

昔の中国でおこった出来事を元にしたことわざである「故事成語」。今でも多く使われています。これらの中には三国志中の出来事が元になったものもたくさんあります。それらを紹介していきます。


苦肉の策

三国志にまつわる故事成語で、現代でも非常に多用されている故事成語は
「苦肉の策(苦肉の計)」
でしょう。赤壁の戦いで、曹操に対して偽りの降伏をするため、黄蓋がわざと周瑜に鞭打たれました。実は三国志以前の時代にも「苦肉の策」は実行されたことが多々あります。有名な孫氏の三十六計の三十四番目にも記されています。
そんな有名な「苦肉の策」ですが、非常に残念なことが二つあります。
一つ目は「苦肉の策」という言葉が現代では全く別の意味で使われてしまっていることです。黄蓋のエピソードから分かる通り、元々の意味は
「自分の体を痛めつけて、相手を信用させる」
というものです。ところが現代では、「苦し紛れに」とか「苦渋の決断」という意味で使われています。本来の意味とは全くかけ離れているのです。
二つ目は、上記の黄蓋のエピソードが、演義オリジナルであるということです。正史には、黄蓋を鞭打ったという記述はありません。「苦肉の策」のおかげで、黄蓋は呉の武将としてはかなり有名な方に入りますが、その「苦肉の策」は実際にはなかったという皮肉です。ですが「苦肉の策」こそありませんでしたが、赤壁の戦いで黄蓋が、曹操に偽りの投降をして、曹操軍の軍船を焼き払ったということは正史に記載されています。そういった活躍があったからこそ、さらに上乗せということで「苦肉の策」が演義に書かれたのでしょう。

羊陸の交わり

「羊陸の交わり」は三国志の末期、晋と呉の合戦の中で生まれた故事成語です。両国の睨み合う土地である荊州。晋軍の総司令官は羊祜。呉軍は陸抗(陸遜の息子)です。晋の方が圧倒的に強国ですが、陸抗は名将として名高く、西陵の戦いでは羊祜を打ち破り、退却させています。
羊祜と陸抗の任されている土地は国境を挟んで隣り合っていました。当然、警戒を解くことはありません。油断があったら攻め入ったでしょうし、それが二人の役目でした。ですが、相手の力量に対しては認めるしかありませんでした。晋・呉両国の最も優れた将軍だからこそ国境最前線を任されているたのでしょうし。互いを認め合い、ある意味信頼していました。二人は互いの領土を攻め合うことはしませんでした。
ある時、陸抗が病になりました。羊祜はそれを聞き、陸抗に薬を贈りました。呉の将兵は
「敵から送られてきたものです。用心しましょう。」
と進言しましたが、陸抗は疑うことなくその薬を使用しました。薬の効果か体力が戻ったのか、あるいは現代で言うプラシーボ効果(薬だと思いこんで飲むと、効果のないものでも効果を発揮すること)だったのか、陸抗は回復します。
回復した陸抗は
「薬のお礼です。」
と、言って、酒を羊祜に贈ります。羊祜は毒味もせずにそれを飲みます。もちろん普通の酒で毒など入っていませんでした。
羊祜と陸抗の友情はこのようにでしたが、二人は私情を公務で挟むことはありませんでした。戦場に出れば、お互いの国のため、全身全霊で戦いました。政治的な立場に差別されず、友情を結ぶこと、それが「羊陸の交わり」です。
この話、さすがに少し出来すぎだと感じさせられます。実際はこういうものであった、という説話もたくさん伝わっています。ですが、「互いの領土を侵さなかった」というのは正史に記載されています。相手の力量を認め、無益だと考えたのでしょう。敵国同士で、相手の力を認め合う、戦乱の時代、それだけでも素晴らしい関係だと当時の人は考えたのではないでしょうか。

白眉

「白眉」
は優れた人物、あるいは何人かの中で最も優れた人物を示す時に使用します。現代では、「人」ではなく「もの」に対しても使用する場合があります。
蜀漢の馬良・馬謖らは五人兄弟でした。五人共、字に「常」の字が入っていました。五人共優れた才能をもっていましたが、その中でも四男の馬良が最も優れていました。そして、彼の眉の中に白毛が混ざっていてました。このため
「馬氏の五常、白眉最も良し(馬さん一族には五人の「常」の付く人がいるが、その中でも白い眉の「常」が最も良い)」
と言われていました。これが元となり、「白眉」という言葉が生まれました。
また、同様に生まれた「馬氏の五常」という故事成語があります。これは兄弟相並んで才能が優れている場合に使われます。現代の日本ではあまり使われませんが、知っておいて損はないですし、三国志好きの増えている日本で将来的に普通に通用する可能性もあります。

破竹の勢い

三国志の末期、蜀漢は既に滅亡し、魏は晋に禅譲し、残るは呉のみの状態でした。晋の武帝は呉を滅ぼしたいと考えていました。同じことを将軍である羊祜・杜預が考えており、戦略を練っていました。荊州の総督で、対呉の最前線を任されていた羊祜が病没すると後任に杜預が就きます。この隙をついて、呉の張政が攻めてきますが、杜預は撃退します。張政はこの敗戦を呉帝孫晧に報告しませんでした。優れた将軍である張政を退けたい杜預は、捕虜を呉の首都である建業に返しました。すると、張政の敗戦の件が呉に広まり、張政は呼び戻されました。このことによって国境の呉軍は動揺します。
武帝は年明けから呉を攻めることを考えていましたが、杜預は
「現在、呉は計略もなく勢いもありません。この隙をついて攻め入るべきです。この期を逃せば、呉は計略を巡らせてくるかも知れませんし、城を修復してしまうでしょう。遷都をして住民を大量に移動させてしまえば、占領するべき土地も亡くなってしまいます。そうなってしまっては攻め入ることも出来ません。」
と上奏します。武帝は呉討伐を許可します。
杜預は総司令官として江陵に攻め入り、また、益州の方からも別働隊が攻め入ります。次々と城を落とし、土地を平定し、首都である建業に迫ります。晋の諸将は
「今は雨季で、疫病が流行るかも知れません。乾燥する冬を待って攻め入りましょう。」
と杜預に申し出ます。すると、杜預は
「晋軍の勢いは凄まじく、今攻め入れば、竹を割くようなものだ。刃を少し入れれば、後は手で割くことも出来る。」
と返答しました。そして、晋軍は勢いそのままに建業を攻め、呉帝孫晧を降伏させます。
この逸話が元となり、勢いが凄まじく、止めることが出来ないような状態のことを
「破竹之勢(破竹の勢い)」
と言うようになりました。
上述した故事成語に比べると、現代でも、当時と意味が変わらず、非常に多用される故事成語です。

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