ラスボス司馬懿仲達(前編)

ラスボス司馬懿仲達(前編)

三国志を題材にしたゲームや小説・漫画で多いのは劉備(玄徳)あるいは諸葛亮を主人公とした作品です。やはり蜀漢を正当な王朝として考えるのが架空の話の中では流行りなのでしょう。その場合、ラスボスに当たるのは誰でしょうか?董卓や曹操が悪役でそれになることもありますが、圧倒的に多いのは司馬懿です。何故、彼はそのようなポジションになるのでしょうか?


司馬懿のイメージ

司馬懿と聞くとどういうイメージがあるでしょうか?一般的に挙げられるものとして
1.魏の将軍&軍師
2.諸葛亮と戦って、守り勝った
3.曹操,曹丕,曹叡,曹芳と魏の国に仕えた
4.孫の司馬炎が晋の国を興した
などでしょう。演義ファンの中で特に有名なのは2の諸葛亮率いる蜀漢軍と戦って魏の国を守り抜いたことではないでしょうか。演義において諸葛亮の読みや采配は正に神のごとく書かれています。周瑜・曹操・孫権・孟獲・曹真らの名だたる名将がみんな手玉に取られてやられてしまいます。その諸葛亮が魏の国を倒すために北伐に出てきた時、迎え撃ったのが司馬懿です。そして、司馬懿は見事に諸葛亮の攻撃を防ぎきります。
演義における司馬懿の主な功績は
・関羽を孫権と挟撃するように曹操に進言する
・孟達が蜀漢に寝返った際に打ち取る
・蜀漢の先鋒の将軍である馬謖の陣形の弱点を見破り撃破する
・諸葛亮の挑発に乗らず、最後まで陣地を守り、蜀漢軍を撤退に追い込む
などです。諸葛亮の実績が演義で大幅に脚色されているように、司馬懿の功績も正史にはないのでしょうか?それとも、正史での活躍の数多くが演義では蜀漢の人物の功績にすり替えられているように、司馬懿も小さく書かれているのでしょうか。

司馬懿の家柄

曹操は乱世を制するため、人材を登用する際に実力を重視していました。荀彧や王朗のような名門出身もいますが、許褚や典韋のように、出自がよくわからないものもいれば、張遼や徐晃のように降伏してきた敵将もいます。では、司馬懿はどうかといえば、家柄も超名門でした。先祖は楚漢戦争の時代に殷王となった司馬卬です。王の子孫ですから、漢の相国であった曹参の末裔である曹操一族より格上かもしれません(相国という地位は本当に特殊なものなので比較が難しい)。少なくとも曹操の血筋の祖先である夏侯嬰よりかは格上です。
血筋のせいもあり、司馬一族は代々尚書などの高官を排出してきました。そういった家柄ですから司馬懿自身も厳格な家風の元で育ちました。八人兄弟の次男で、兄である司馬朗と共に曹操に仕えました。八人兄弟は全員優秀で、字に全員「達」の字がつくことから「司馬八達」と呼ばれていました。そして、司馬懿はその中でも最も聡明であると言われていました。

司馬懿と曹操

紀元201年、司馬懿が優秀であるという噂を聞いた曹操は自分に仕えるように使者を送ります。ところが司馬懿は漢王朝がどうなるかわからない状態で、漢の高官である曹操に仕えるのをためらい、仮病を使って断りました。ところがその後、曹操が丞相になると
「縄でふんじばってでも連れてこい」
と命令が出たので、仕方なく曹操に仕えることになりました。当初は文官として仕えていましたが、次第に軍略などの検索で認められるようになってきます。
曹操がその後、漢中を支配下におくと、司馬懿は勢いに乗じて、劉備(玄徳)が支配してから日がたっていない巴蜀に攻め入るように進言します。ところが曹操は、後漢の光武帝の言葉である
「隴を得て蜀を望む」
はするまいと断ります。
また、荊州で関羽が大きく勢力を伸ばすと、曹操は恐れ、遷都を考えるまでになりますが、司馬懿は劉備(玄徳)と孫権の間がしっくりいっていないから、孫権と同盟を結び関羽を討つように進言します。その結果、見事関羽を討ち取り、荊州方面の憂いを取り除くことに成功します。
曹操は有能すぎる司馬懿を警戒していたようですが、息子の曹丕が司馬懿を気に入っていました。司馬懿の方も曹丕に対して懸命に仕えたので、絶大な信頼を曹丕から得るようになりました。

司馬懿と諸葛亮

曹操の死亡後、後継者争いを制した曹丕が後を継ぎ、漢王朝から禅譲を受けて、皇帝となり、魏王朝を開きました。司馬懿は曹丕の友人、ブレインとして重宝され、司馬懿もそれに応えます。ところが、曹丕は即位からわずか六年で死亡してしまいます。後継ぎは明帝こと曹叡です。曹丕は死ぬ間際に曹真・曹休・陳羣、そして司馬懿に曹叡のことを託します。曹叡は宮廷から遠ざけられていた時期もあり、臣下とほとんど面識がなかったそうです。なので、父の代からの重臣である司馬懿らを引き続き重用しました。
曹丕の死の機会を狙って呉の諸葛瑾らが荊州北部に攻め入ってくると司馬懿は迎え撃ちに出陣します。そして見事に撃退に成功します。これにより驃騎将軍に出世します。
そして、いよいよ諸葛亮の蜀漢との戦いが始まります。まず、上庸の孟達が諸葛亮と通じ、魏に背きます。司馬懿はそれを知ると、孟達に書面を送って迷わせたり、正常な判断が出来ないようにさせ、その間に全力で上庸に向かいます。通常なら一ヶ月くらいかかる道のりを八日間でたどり着きました。そして、司馬懿の到着で孟達から将兵が次々と離反していき、孟達は捕らわれ、処刑されます。
孟達との連携はできなくなりましたが、諸葛亮率いる蜀漢軍は魏の国へ攻め入ります。そして、演義でも有名な「街亭の戦い」が起こります。演義では馬謖の慢心の陣形を見た司馬懿が、馬謖を打ち破り、蜀漢軍を退却へ追い込みますが、正史では司馬懿は街亭の戦いに参加していません。張郃率いる魏軍が馬謖の軍を打ち破ったため、蜀軍は退却したとあるのみです。演義にある王平が孤軍奮闘したことや趙雲が兵をうまく退却させたことは正史に記載されています。残念ながら名シーンの一つである諸葛亮が空城の計で司馬懿を退却させるというのは完全な演義の創作です。
魏の国で警戒していた蜀漢の人物は劉備と関羽だけでした。その二人が死亡した後は蜀漢に対する備えはかなりゆるくなっていました。諸葛亮はその隙を突いて、孟達との連携を図ったり、街亭の戦いを起こしたりしたのですが、司馬懿、張郃らの前に敗れました。この戦い以降、魏の国の対蜀漢の防備が強固なものになっていきます。
やがて、対蜀漢の最高司令官であった曹真が死亡すると司馬懿がその後釜に付きます。諸葛亮は五度に渡って魏の国に攻め入ります(北伐)が、街亭の戦いの時ほどにも戦果を挙げられません。そして、ついに「五丈原の戦い」において、病没してしまいます。諸葛亮を失った蜀漢軍は退却していきます。諸葛亮の残した陣形の跡を見て司馬懿は
「諸葛亮こそ天下の奇才だ」
とうめき漏らしたといいます。
司馬懿は蜀漢軍を追撃しようとしましたが、蜀漢軍が反撃する素振りを見せたため、退却をします。これが「死せる孔明生ける仲達を走らす」の元となったと言われる出来事です。司馬懿は後に
「生者の相手をすることは出来るが、死者では相手することも出来ない」
と言ったと言われています。

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