「泣く子もだまる」最強の武将 張遼(5) 大物食いの武将・楽進

「泣く子もだまる」最強の武将 張遼(5) 大物食いの武将・楽進

三国志の大きな見せ場でもある、曹操軍と孫権軍の攻防戦。曹操軍の将として、要地・合肥(がっぴ)の守備を任せられた男こそ、勇将として名高い張遼でした。張遼はいかにして孫権軍と戦ったのか、じっくり見ていきましょう。


同僚たちとは不仲……大丈夫なのか?

同僚たちとは不仲……大丈夫なのか?

同僚たちとは不仲……大丈夫なのか?

張遼が守備を命じられた合肥は、長江下流域の北岸にあり、孫権の本拠地である建業(けんぎょう/現在の南京市)のほぼ真西にあたります。曹操軍と孫権軍の境界線にあり、曹操軍の重要拠点となる都市でした。孫権軍からすれば、合肥を征服すれば曹操との戦いで大きく優位に立つことができます。逆に曹操の側からすると、合肥を奪われれば防衛の拠点がなくなり、周辺地域まで孫権についてしまいかねません。曹操にとって何が何でも守らなければいけない生命線―――それが、合肥だったのです。

だからこそ曹操は、最も信頼を寄せる張遼に、合肥の守備を任せました。しかし張遼ひとりに任せたわけではありません。これだけ重要な都市ですから、念には念を入れて、張遼以外にも有力武将たちを配置しました。その武将こそ、曹操軍の名将として知られる楽進(がくしん)と李典(りてん)でした。さらには3人の武将の目付役・調整役として、薛悌(せつてい)という人物もいました。
張遼の圧倒的な武勇については言うまでもありませんし、楽進や李典も武将としての力量・実績は十分な男たちです。まさに万全の配置で有事に備えたわけですが……この合肥防衛軍には大きな問題がありました。それは、この3人の将軍がとっても不仲だったことです。

楽進―――曹操軍の爆弾小僧

楽進―――曹操軍の爆弾小僧

楽進―――曹操軍の爆弾小僧

せっかくですので、張遼以外の武将についても簡単に触れておきましょう。
まずは楽進。彼は曹操軍の武将では最古参の部類であり、旗揚げの頃から曹操に仕えました。しかし曹操は当初、この楽進を武将として用いるつもりはなく、事務仕事をさせておくつもりだったようです。なぜならこの楽進、とっても小さい人だったからです。
背が小さいといっても、1800年以上も昔の中国の話であり、現代とは栄養事情も違えば平均身長も異なります。曹操自身が小柄な人で、身長は150センチ台~160センチ前半くらいと言われていますが、武将としても大活躍しています。その曹操から見ても「武将にできないくらい小さい」のですから、楽進は下手をすれば150センチか、あるいはそれ未満の人だったのかもしれません。

しかしこの楽進、小さい背丈をおぎなって余りある長所を持っていました。彼は非常に闘志あふれる男だったのです。あるとき曹操に、故郷へ帰って兵隊を集めてくるよう命じられたところ、楽進はなんと1000人もの兵を集めてきたのです(たとえばいまの日本で自衛隊の入隊者を募集することを考えると、兵隊をいちどに1000人集めることのスゴさが分かりますよね)。

この戦闘意欲マンマンの楽進という男に、曹操も一目置くようになります。
「小男だが、このガッツがあれば武将としても十分だ」
と考えたのでしょうか、以後の楽進は武将として起用され、各地を転戦しつつめきめきと頭角をあらわしていきます。
あの呂布との戦いをはじめ、楽進は数々の合戦で一番乗りの功を挙げました。真っ先に敵陣に乗り込むのは危険もともないますが、成功すれば一気に味方が勢いづきます。小さな身体に秘めた闘志と勇気で、楽進は曹操軍を何度も勝利に導いてきたのです。

大物たちを打ち破った楽進

大物たちを打ち破った楽進

大物たちを打ち破った楽進

こうして武将としてキャリアを重ねた楽進は、曹操を覇者に導く大きな仕事をやってのけました。曹操が華北のライバル・袁紹と激突した官渡の戦い(200年)で、袁紹軍の兵糧を守っていた大物武将・淳于瓊(じゅんうけい)を討ち取る大功をあげたのです。曹操は淳于瓊の守っていた兵糧を焼き払い、劇的な勝利を収めたのです。楽進の果敢な戦いぶりが、曹操を華北の覇者にのし上げたとも言えるでしょう(なお淳于瓊については、捕虜となった後に斬られたとする記録もあります)。

袁紹の死後、曹操軍が袁紹の息子たちが支配する黎陽(れいよう)を攻めた際は、敵の大将である厳敬(げんけい)を討ち取りました。そして同じく袁氏の残党の拠点であった鄴(ぎょう)を攻めたときは、東門突入の一番乗りを果たします(この人、血の気が荒いのか勇気があるのか、一番乗りが大好きなのです)。さらには袁紹の甥である高幹(こうかん)に勝利するなど、曹操の華北平定に大きく貢献したのです。
その後も楽進は、大物相手に堂々たる戦いを展開します。荊州北部の拠点・襄陽(じょうよう)の守備についたときは、劉備軍の関羽(かんう)を迎え撃ち、撃退しています。あの名将関羽を返り討ちにしたのですから、楽進の武名はいよいよ高まったといえるでしょう。
こうして小さな体格ながら数々の戦場で手柄を立て、大物を相手に勝利を収めた楽進。曹操もその力量を高く評価し、対呉戦線の最重要拠点である合肥の守備を任されたのです。

と、ここまで見てくると、楽進という人は完全無欠の武将のように思えてしまいます。しかしこんな彼にも欠点がありました。それは闘志あふれるゆえに性格が激しく、周囲と衝突しやすい人物だったのです。よって合肥に駐屯した際も、同僚である張遼や李典とたびたびいがみ合ったといいます。
こうなると、ちょっと不安に感じますよね。戦争もチームワークが必要ですから……。

李典―――学問を好む、謙虚な武将

李典―――学問を好む、謙虚な武将

李典―――学問を好む、謙虚な武将

張遼のもうひとりの同僚・李典。彼は張遼や楽進ほどの華々しい戦歴はないものの、曹操軍古参の武将として重んじられたひとりです。
曹操の旗揚げに、李典のおじが馳せ参じたことから、李典も曹操陣営に加わることとなりました。その後おじ達が死去したため、李典が一族を率いることとなります。若い頃から謙虚で学問を好む人だったため、曹操に気に入られたといいます。
曹操が袁紹と対決した官渡の戦いでは、李典は食料や物資を前線に送り続けました。食料や物資なくして戦争は続けられませんから、補給も戦争における重要な業務でした。楽進のような華々しさはないものの、地味ながら大切な仕事をきっちり果たしているところが、いかにも李典らしいところです。

当初は地味な仕事が多かった李典でしたが、もともと知性を備えた人で、曹操にも評価されていたことから、徐々に大きな仕事を任せられることになります。

以上、対呉戦線の拠点である合肥と、そこで張遼の同僚となる楽進・李典について、簡単に見てきました。もう少し李典の話には続きがあるので、次回引き続きご紹介いたします。





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