「泣く子もだまる」最強の武将 張遼(6) 冷静な知将・李典

「泣く子もだまる」最強の武将 張遼(6) 冷静な知将・李典

呉の孫権の攻撃に備え、重要拠点である合肥(がっぴ)の守備を命じられた張遼。しかしともに任務に当たる同僚たちとは、人間関係がうまくいきません。はたして彼らは無事に孫権の攻撃に対処し、任務を果たせるのでしょうか?


できる武将・李典は補給が得意

できる武将・李典は補給が得意

できる武将・李典は補給が得意

せっかく張遼の同僚たちをご紹介したので、もう少し李典の話をさせていただきましょう(地味ながらキラリと光る知性を感じさせる人なので、素通りするのはもったいないのです)。
官渡の戦いで勝利した後、曹操は華北平定のため、袁氏の残党を攻撃していました。このとき後方にいた李典に、兵糧を輸送するよう命じたのです。このとき、曹操のいる前線への輸送には、水路を用いることができました(つまり船での輸送です)。しかしそこは敵も用心しており、曹操のもとに新たな兵糧がとどかないよう、川を遮断(しゃだん)してしまったのです。
曹操もこのことを予期しており、「水路がダメなら、陸路で輸送してもいい」と命令していました。ところが李典はあくまで水路での輸送を主張し、同僚たちに言いました。

「敵兵は劉備(玄徳)が貧弱なうえ、だらけている。攻撃すればきっと勝てるだろう。
 国のためになるのであれば、担当者の独断も許される。すぐに敵を撃破して、水路で輸送すべきだ」

こうして李典は、川を遮断していた敵軍を打ち破り、予定通りに船で兵糧を輸送できたのです。

なぜ李典は、水路での輸送にこだわったのでしょうか? 理由は簡単で、船で運ぶほうがずっと早く、楽だったからです。当時はいまとちがって自動車(トラック)や貨物列車がありませんから、馬車もしくは人力で荷物を運ぶ必要があります。万単位の兵士たちの食料は膨大な量であり、馬や人力での輸送は多大な労力を要し、時間もかかります。だからこそ李典はできる限り船で兵糧を運びたいと思い、川で待ち構える敵の状況を見たうえで、強行突破を試みたのです。
この李典の機転によって、曹操軍は少ない労力で輸送を成功させ、前線にすばやく食料を運ぶことができたのです。地味ではありますが、輸送は戦争に欠かせない業務であり、それをソツなくこなす李典はデキる武将だったということです。

キラリと光る、李典の知性

キラリと光る、李典の知性

キラリと光る、李典の知性

輸送の業務以外でも、李典はキラリと光る知性を発揮する武将でした。
201年、曹操軍は荊州北部に駐屯する劉備との間で、戦闘状態に入りました。このとき劉備を撃退すべく、曹操軍の猛将・夏侯惇(かこうとん)を大将とする軍が派遣され、李典も従軍しました。
すると劉備(玄徳)は、自らの陣に火を放ち、軍を引き上げました。夏侯惇はただちに追撃にかかろうとします。敵が引き上げるところを背後から討つのは、戦争の常道でした。しかし……このとき李典は、劉備軍の行動に「なにかアヤシイぞ?」と感じ、夏侯惇に進言しました。

「劉備(玄徳)は特に理由もないのに、軍を退きました。きっと伏兵(ふくへい)を置いているのでしょう。
 この先の道は狭いうえに草木が生い茂っており、伏兵を置くにはもってこいの地形です。追撃するべきではありません」

伏兵とは、相手の進軍先にこっそり待ち伏せさせておく軍勢のことです。もし伏兵の存在を知らずに進軍すると、待ち伏せされている地点で奇襲攻撃を受けるため、とても危険なわけです。李典は劉備(玄徳)の退却した先に、この伏兵のワナが仕掛けてあると考えたのです。
しかし夏侯惇は、李典の進言を聞かず、劉備軍を追撃しました。そして案の定、伏兵の待ち伏せにあってしまったのです。李典はすぐに夏侯惇の救援にかけつけ、その危機を救いました。

これがいわゆる「博望坡(はくぼうは)の戦い」と呼ばれるもので、小説「三国志演義」では諸葛孔明のデビュー戦として描かれ、曹操軍に大々的なダメージを与えたとされています。実際は孔明が指揮を取ったわけではなく、また曹操軍の被害もそこまで大きくはなかったようです。
ともあれ、この戦いではむしろ、李典の知略こそがたたえられるべきでしょう。軍を退いた劉備の意図を察し、地形を見たうえで伏兵の存在を予言したのですから、大した知恵者だと言えます。こうした知略と堅実な仕事ぶりが曹操に認められたのでしょう。李典は張遼・楽進とともに、合肥の守備を命じられたのです。

張遼・楽進・李典……なぜ仲が悪かった?

張遼・楽進・李典……なぜ仲が悪かった?

張遼・楽進・李典……なぜ仲が悪かった?

こうして張遼・楽進・李典は、ともに合肥の防衛を担うこととなったのですが……そもそも張遼は、どうして楽進や李典と仲が悪かったのでしょう?
張遼がヘンクツな人だったのか……とも思いましたが、見る限りそうした記録はありません。むしろ彼は、気難しくプライドが高い関羽とも親交があったといいますから、特に性格に難がある人物ではなかったようです(こう言うと、関羽に悪いですが……)。

不仲の原因として考えられるのは、張遼がかつて呂布に仕えていたことにあるのかもしれません。曹操と呂布は熾烈(しれつ)な戦いを繰り広げたので、張遼も曹操軍の武将たちとは激しく戦っていたことになります。張遼ほどの武将を敵に回せば、曹操軍にも相当の被害が出たと考えられます。かつて呂布陣営にいたときに、張遼は曹操軍の武将たちのウラミを買っていたかもしれないのです。
また、李典はおじを呂布の部下に殺されていますから、呂布の配下だった人間に、いい感情を持たなかったのかもしれません。

もっとも、張遼と楽進、張遼と李典だけでなく、楽進と李典まで仲が悪かったといいますから、もはやなにがなんだか分かりません。李典は謙虚な人だったといいますが、楽進はいろんな人といがみ合っていたそうです。よってこのふたりの不仲については、楽進の性格が原因……とも考えられるのですが、あくまで推測の域を出ません。

どうしてこの3人を組み合わせたの?

どうしてこの3人を組み合わせたの?

どうしてこの3人を組み合わせたの?

とにかく張遼・楽進・李典の3人は、そろって仲が悪かったわけです。とくれば、「どうしてそんな3人を組み合わせたの?」と、疑問に思ってしまいますよね。特に曹操は、人材をよく観察して仕事を与える人であり、この3人が不仲なことも知っていたはずです。それでもあえて彼らを組み合わせ、合肥の防衛を命じたのはなぜでしょうか?

まずはなんといっても、曹操が3人の能力を高く買っていたことがあるでしょう。張遼の圧倒的な武勇、楽進の闘魂、李典の冷静な判断力……いずれも武将として優れた要素を備えています。対呉戦線の最重要拠点である合肥の防衛には、能力面で彼らが最適だと考えたのは間違いありません。
もうひとつは、曹操の3人に対する信頼が、それだけ強かったことがあるのでしょう。たとえ普段は仲が悪くても、いざ合戦となれば一致団結して、仕事に徹してくれる……曹操は張遼たちを、戦いのプロフェッショナルとして信頼していたのだと思います。

以上、ちょっと長くなりましたが、張遼の不仲な同僚である楽進・李典について見てきました。次回はいよいよ、そんな彼らの共同戦線についてお話しできればと思います。


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