曹操とは何者だったのか(青年編 2) 侵入! 撲殺! 権力者をも恐れぬ度胸!

曹操とは何者だったのか(青年編 2) 侵入! 撲殺! 権力者をも恐れぬ度胸!

ヤンチャな少年時代を送った曹操も、20歳を過ぎて役人になります。しかし官職についても、個性的なところは相変わらずだったのです。権力者を恐れぬ曹操の気骨を、ご紹介します。


大臣ポストがお金で買えた時代

さて、曹操の父・曹嵩の話の続きです。
彼は慎み深く、真面目で、忠孝(主君への忠誠と親への孝行)を重んじる人だったと記録されてはいます。
しかしその一方で、お金を払って朝廷の官職を買ったという、あまり立派とは思えない行いも史書に記されています。なんと1億銭という大金を払ってまで、大尉(たいい/国防大臣のような地位)という要職についたのです。曹操の父だけあって、権勢欲が強かったのかもしれませんが……特に政治的な業績は残っていません。となると、それだけの大金をはたいてまで名誉が欲しかったのでしょうか。

ともあれここで重要なのは、曹操の父である曹嵩が、高位の官職を金で買えるほどの財産を持っていたということです(それだけ曹騰が大きな遺産をのこしたのでしょう)。後に曹操が挙兵するとき、私財を投じ、有力者の援助なども得たといいます。あるいはこの裕福な父・曹嵩からの資金援助もあったのかもしれません。

「グラマー女が好きだった」父・曹嵩

曹嵩は曹操の挙兵後も、しばらくは息子と合流せず、戦乱をさけて徐州に逃れていました。その後、曹操が兗州(えんしゅう)に根拠地を得たので、息子の下に行こうとしたのですが、徐州の支配者・陶謙(とうけん)の部下に殺されてしまったのです(これに激怒した曹操は、父の敵討ちとして徐州に攻め込む事になります)。

ある記録によれば、このとき曹嵩の屋敷の周りに陶謙の兵がやってきたといいます。曹嵩は屋敷の裏の土塀(どべい)に穴を開け、まず自分の妾(めかけ/側室の女性)を逃がそうとしました。ところが妾の女性が太っていたため、脱出に失敗しました。やむを得ず曹嵩は便所に逃げ込みますが、結局は発見され、妾とともに殺されてしまったといいます。

なんとも痛ましい話ですが……この記録の通りであれば、「曹嵩はグラマーな女性が好きだった」ということになります(それなりに財産のある人が側室を雇うのですから、望みさえすればスラリとした美人が手に入るわけです。それでもあえて太った女性を側室にしているのですから、そういうタイプが好きだったということになります)。

治世の能臣、乱世の奸雄

さて、話を曹操の若いころに戻します。彼の10代のころについては、こんな記述があります。

太祖(曹操)は若くして機転が利き、権謀術数にも富んでいたが、任侠放蕩(にんきょうほうとう)で、行いや振る舞いを慎む事がなかった。そのため世間に評価されなかった。

つまりは、「知恵は回るけれど素行不良の、ツッパリあんちゃん」といったところでしょう。特に鷹や犬をつかって狩をするのが好きだったといいます(なんだか織田信長が「うつけ者」と呼ばれていた時代に似ていますね)。若いときにヤンチャだった人が、歳を取って案外大物になったりするものかもしれません。

こんな曹操の才能を、早くから見抜いた人物がふたりいました。
そのひとりは橋玄(きょうげん)。彼は曹操に向かってこう言ったのです。
「天下はいままさに乱れようとしている。乱世を静められるのは、あるいは君のような人物であろうか」
また別の史書にはこうもあります。
「君のような人間を見るのははじめてだ。君のような人物にこそ、私の妻子を託したいものだ」
名声の高い知識人(=名士)である橋玄から、このように評価されたことで、曹操の評判も高まったといいます。

そしてもうひとり、許劭(きょしょう)という人物批評家もまた、曹操についてこう論評しました。
「君は治世においては能臣、乱世にあっては奸雄(かんゆう)となるであろう」
奸雄とは、悪知恵に長けた英雄のことをいいます。
許劭は曹操について、「平和な世の中にあっては有能な政治家になるだろうが、世が乱れれば奸智(かんち)に長けた英雄となるだろう」と評したのです。
この人物評に、曹操は思わず声を上げて笑ったといいます。
そして後漢末の世は乱れ、曹操はこの予言どおりに「奸雄」への道を歩んでいくのです。

張譲邸に侵入!

若き日の曹操には、その大物ぶりを髣髴(ほうふつ)とさせるエピソードがあります。そのひとつが「張譲(ちょうじょう)邸侵入事件」です。宦官の実力者であった張譲は、中常侍(ちゅうじょうじ)という要職についており、その権勢を利用して私利私欲をむさぼり、政治の乱れの元凶ともいうべき人物でした。
曹操は宦官である祖父(曹騰)を持ちますが、決して宦官勢力の味方ではなく、後漢王朝の政治の乱れを正そうとする志を持っていました。それゆえ、張譲をはじめとする宦官の横暴に対し、腹にすえかねるものがあったのでしょう。義憤(ぎふん)を持って張譲邸に侵入したものだと思われます。

曹操は首尾よく張譲邸に入り込みます。あるいは張譲の命を狙っていたのかもしれませんが、すぐに張譲に気づかれてしまいました。邸宅の使用人が、侵入者をとらえんと向かってきますが、曹操は庭で戟(ほこ)を振り回し、並外れた武技でもって敵を寄せつけません。そしてついには土塀を乗り越えて、逃走に成功したのです。
曹操は武将としては小柄な体格ですが、そのぶん動きが俊敏だったのでしょうか、この後も優れた戦闘力を発揮する局面が出てきます。

厳格な法の執行 有力者もおかまいなし!

ヤンチャな少年時代を送った曹操ですが、20歳を過ぎると役人になりました。型破りな人物ですが、とりあえずは後漢王朝の統治システムの中に組み込まれたのです。しかし……役人になっても、個性的なところは相変わらずでした。
いくつか官職を歴任する曹操ですが、あるとき洛陽北部尉(らくようほくぶい)という役目を命じられます。「尉」とは、ここでは警察部長といった意味ですので、首都・洛陽の治安担当官のひとつと考えていいでしょう。

曹操はこの職務で法を厳格に執行し、洛陽の人々を震え上がらせます。当時の法では夜間の通行が禁止されていましたが、曹操は違反者を容赦なく殴り殺しました。断固として法を執行する姿勢を示したのです。
あるとき、宦官の有力者として恐れられる蹇碵(けんせき)の叔父が、夜間の通行をして法を犯しました。曹操は有力者の親族でもおかまいなく、即座に彼を処刑したのです。人々は「曹北部尉」の断固たる姿勢に恐れをなし、あえて法を犯す者はいなくなったといいます。

洛陽の有力者たちは曹操を憎みましたが、失脚させようにも付け入るスキがありません。そこで彼らは曹操を推挙し、地方の県令(県の長官)に栄転させることで、曹操を洛陽から追い払ったといいます。

以上見てきたように、曹操はまだ出世しないうちから、なかなか強烈なキャラクターを発揮しています。彼も若いころは「漢王朝の臣」として、世の乱れを正そうとしていたのですね。

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三国志 曹操

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