「孫子」には何が書いてあるの?(4) 戦争の勝敗はココで決まる―――三国志の実例から

「孫子」には何が書いてあるの?(4) 戦争の勝敗はココで決まる―――三国志の実例から

戦争の勝敗を見極める具体的ポイントとして、孫武は「七計」という考え方を提唱しています。それをただご紹介するだけでは解りにくいので、三国志での具体例を使ってお話して行きたいと思います(前回の続きです)。


孫武は、戦争の勝ち負けを事前に見通すことが大切だと考えました。よってそのための具体的ポイントとして、以下の7つの項目(七計)を挙げています。

【1.正しい政治】君主はどちらが正しい政治をしているか。
【2.将軍の能力】将軍はどちらが優秀か。
【3.法と命令の遵守】法律・命令はどちらが徹底して守られているか
【4.天の時・地の利】天の条件(気候や季節など)・地の条件(戦いを左右する地形の条件)はどちらに有利か。
【5.兵士の数】兵士の数はどちらが多いか。
【6.兵士の強さ】兵士の訓練度はどちらが上か。
【7.信賞必罰】功績への褒美・罪への処罰はどちらが明確・公平にされているか

前回は【1.正しい政治】というポイントについてお話しました。今回はその続きです。

七計(2)【将軍の能力】将軍はどちらが優秀か―――劉備(玄徳) VS 陸遜

七計(2)【将軍の能力】将軍はどちらが優秀か―――劉備(玄徳) VS 陸遜

七計(2)【将軍の能力】将軍はどちらが優秀か―――劉備(玄徳) VS 陸遜

劉備(玄徳)と陸遜(りくそん)。このふたりの名前を並べるだけで、筆者がなにを言いたいか、三国志ファンの方ならお分かりでしょう。
「陸遜と比べたら、さすがに玄徳さん可哀想だよ」との声も聞こえてきそうですが、とっても分かりやすい例ですので……。

話の流れとしては……
219年、劉備領の荊州(けいしゅう)を守っていた関羽が、曹操領に侵攻します。しかし曹操は、呉の孫権を使って関羽の背後を攻めさせました。そのため挟み撃ちにされた関羽は敗北し、孫権によって首を討たれてしまいます。さらには関羽の守っていた荊州まで、すべて孫権に奪われてしまったのです。
劉備(玄徳)にとって、長年苦楽をともにした関羽の弔い合戦は、避けて通れない道でした。加えて荊州は国家の建設に欠かせない要地であり、呉に奪われたまま放っておく事はできません。
こうして劉備(玄徳)は出陣し、呉の若き司令官・陸遜と雌雄を決することとなりました。これが夷陵(いりょう)の戦い(221~222年)です。

222年に入ると劉備軍は快進撃を続け、呉の拠点を次々に落としていきます。そして劉備(玄徳)自ら呉領の奥深くへと陣を進めようとします。これに対し、武将の黄権(こうけん)が反対し、こう述べました。
「先に進みすぎると、退却が困難となります。私が先を進みますから、陛下(劉備(玄徳))は後方に陣をお構えください」
しかし劉備(玄徳)はこの忠告を聞かず、自ら最前線である夷陵に軍を進めたのです。

勝負どころを見定めていた陸遜

勝負どころを見定めていた陸遜

勝負どころを見定めていた陸遜

一方の陸遜はしばらくの期間、あえて劉備(玄徳)との全面対決を避け続けました。
対陣が長期化した夏、陸遜の采配に異を唱える武将に対し、彼はこう述べたのです。
「劉備(玄徳)は経験豊富で油断ならぬ武将であり、攻めてきた当初は軍に勢いもあったため、交戦すべきではなかった。
 ところが今や敵地での滞陣が長期におよび、兵は疲れきって士気もおとろえ、将たちの策略も尽きている。いずれ間違いなく、奴らを倒す事ができるだろう」

こう言い放った陸遜は、劉備(玄徳)の陣営に攻撃を仕掛けますが、陣を打ち破ることはできませんでした。
しかしこのときすでに、陸遜は勝利を確信していました。
実際に劉備(玄徳)の陣を攻撃・観察することで、その弱点を見破ったからです。

事実、攻勢の劉備軍にも不安がありました。それは孫権領の奥深くまで攻め込んだため、補給が難しくなっていたのです(多くの兵糧を、遠い本国(蜀)から運ばなくてはならないので、輸送が大変になるわけです)。
そのため劉備(玄徳)は補給ルートを確保するため、後方に向けて50近くもの陣を並べて設営していましたが……これが結果的に、蜀軍の命取りとなりました(曹操の息子・曹丕(魏の文帝)はこの事を知るや、「劉備(玄徳)は戦を知らない。必ずや敗北するであろう」と述べたといいます)。
そう。多くの陣を連ねた劉備(玄徳)の陣立てには、「火攻めに弱い」という弱点があったのです。

敵の弱点を見破った陸遜

敵の弱点を見破った陸遜

敵の弱点を見破った陸遜

陸遜ほどの歴史に名を残す知将が、こうした劉備軍の弱点に気づかぬはずがありません。
彼は―――おそらくは風の強い夜を選んだのでしょう―――劉備軍の陣に一斉に火攻めをかけました。
こうして、火計に弱い劉備(玄徳)の陣はあっという間に燃え上がり、蜀軍は陸遜の前に大敗を喫したのです。

生涯を戦場にささげた劉備(玄徳)に対しては、酷な評価になってしまいますが……
劉備(玄徳)は各地を転戦した歴戦の将ではあったものの、決して曹操などのように、戦が上手い武将ではありませんでした。そこに陸遜との違いがあります。
陸遜は蜀軍の鋭気がおとろえたところで、その最大の弱点である火攻めを的確に用いて、戦場のキャリアでははるかに上の劉備(玄徳)を破りました。

「勝負どころを見定めるセンス」「敵の弱点を見抜く観察眼」
こうした、将としての力量の差が、老いた劉備(玄徳)と若き陸遜の運命を分けたのです。
「将はどちらが有能か」―――これが戦の勝敗を見定めるポイントであることは、いうまでもないでしょう。

七計(3)【法と命令の遵守】法律・命令はどちらが徹底して守られているか―――諸葛亮 VS 司馬懿

七計(3)【法と命令の遵守】法律・命令はどちらが徹底して守られているか―――諸葛亮 VS 司馬懿

七計(3)【法と命令の遵守】法律・命令はどちらが徹底して守られているか―――諸葛亮 VS 司馬懿

この例では、宿命のライバル同士である諸葛亮と司馬懿(しばい)の戦いを取り上げますが、主役になるのは蜀の有力武将である李厳(りげん)という人です。

これは231年、諸葛亮の第4次北伐(ほくばつ)でのことです。蜀軍は司馬懿率いる魏軍を局地戦では破ります。しかし本国から、長雨のために兵糧輸送が上手くできないという報告がありました。このとき輸送の任務についていたのが、李厳だったのです。
諸葛亮とて、兵糧がないことには戦いを続ける事はできません。結局蜀軍は、撤退を余儀なくされました。

ところがこの後、おかしなことが起きます。李厳が軍の撤退の責任を、諸葛亮に被せようとしたのです。彼は「兵糧は不足していないのに、なぜ撤退したのだろう」などとうそぶき、自身の責任を逃れようとしました。
しかし諸葛亮もさるもの、李厳とやり取りした手紙などをそろえ、その発言の矛盾点を厳しく指摘しました。結局李厳は諸葛亮の追及にかなわず、自らの罪を認めました。こうして彼は免官され、庶民の位に落とされたのです。

この話の重大性は、李厳ほどの重臣が兵糧輸送の命令を守らなかった(守れなかった)うえ、虚偽の説明をしてまで責任逃れをしようとしたことです。
この第4次北伐において、諸葛亮は少なくとも局地戦では勝利を重ねていました。ところが本国から、思わぬ形で足を引っ張られて、全軍退却を余儀なくされました。
重臣・李厳が法と命令を遵守しなかったために、蜀の軍事計画は大きく狂ってしまったのです。

「法と命令の遵守」―――これまた、孫武の説いた「戦の勝敗を分けるポイント」として、極めて重要なものでしょう。
いくら将軍が有能で兵士が強かろうが、法律や命令が徹底して守られないことには、勝てる戦も勝てなくなるからです。


この記事の三国志ライター

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