「孫子」には何が書いてあるの?(3)「戦争の勝ち負け」を予測する方法

「孫子」には何が書いてあるの?(3)「戦争の勝ち負け」を予測する方法

前回、戦争の勝敗を見極める5つの要素―――「五事」についてご紹介しました。今回はそれを判断するための具体例、「七計」について、お話いたします。


勝敗を予知する、7つの基準

勝敗を予知する、7つの基準

勝敗を予知する、7つの基準

(第1章 計篇の続きです)

◆「故にこれを校ぶるに計をもってして、その情を索む」
(ゆえにこれをくらぶるにけいをもってして、そのじょうをもとむ)

【訳】よって、自軍と相手の優劣を計算する基準(七計)でもって、両者の実情を探るのである。

【コメント】前回、「五事」という考え方についてご紹介しました。これは戦争の見通しを考えるための5つの要素―――道・天・地・将・法―――のことです。
この「五事」について自軍と相手を比較するうえで、孫武はより分かりやすい基準を教えてくれています。それがいまからご紹介する「七計」です。

五事……戦争の勝ち負けを決める、5つの要素
七計……より比較しやすくするための、具体例

このように考えておけばいいでしょう。七計の方が、より具体的なのです。

戦の勝敗を決めるのは「国内政治」

戦の勝敗を決めるのは「国内政治」

戦の勝敗を決めるのは「国内政治」

◆「曰く、主いずれか有道なる、将いずれか有能なる、天地いずれか得たる、法令いずれか行はる、」
(いわく、しゅいずれかゆうどうなる、しょういずれかゆうのうなる、てんちいずれかえたる、ほうれいいずれかおこなわる……)

【訳】具体的に言うと、君主はどちらが正しい政治をしているか。将軍はどちらが優秀か。天の条件(気候や季節など)・地の条件(戦いを左右する地形の条件)はどちらに有利か。法律や命令はどちらが徹底して守られているか……」

【コメント】将軍の能力や、天地の条件などは、戦争の優劣を決める要素として分かりやすいでしょう。
しかしもっと注目すべきは、「政治の正しさ」や「法律・命令の徹底度」について言及している点です。戦争はただ将軍や兵士の戦闘力を競うものではなく、国の力量や、軍の組織力も大きく影響します。
「まともな政治が行われ、国民が結束している」国の方が、いざ戦争となったときには強いでしょう。
また国であれ軍隊であれ、「法律が厳格に守られ、命令が徹底されている」側の方が強いはずです。
孫武は将軍や兵士といった、目に見える強さだけではなく、「目に見えない強さ」も必要だと説いているのです。それこそが「正しい政治」であり、「法律の遵守」「命令の徹底」なのです。

戦場でも、強いだけじゃダメ

戦場でも、強いだけじゃダメ

戦場でも、強いだけじゃダメ

◆「兵衆いずれか強き、士卒いずれか練いたる、賞罰いずれか明らかなると。吾れ此れを以て勝負を知る」
(へいしゅういずれかつよき、しそついずれかならいたる、しょうばついずれかあきらかなると。われこれをもってしょうぶをしる)

【訳】兵士の数はどちらが多いか。兵士の訓練度はどちらが上か。功績への褒美・罪への処罰はどちらが明確・公平にされているか……といった点である。私はこうした基準によって、開戦前から戦争の勝ち負けが分かるのである。

【コメント】もちろん戦争である以上、兵士の数や、訓練度は重要です。しかしただ強い兵がたくさんいるだけでは、戦争に勝てません。強い軍隊にちゃんと力を発揮させるには、適切な賞罰(功績への褒美・罪への処罰)が必要になるのです。
もし将軍がエコひいきをして、手柄を立てた強い兵士に褒美を与えず、手柄のない兵士を褒賞したら……強い兵士は「なんだ、必死で戦っても認められないじゃないか」と、やる気をなくしてしまうでしょう。
また、法を犯したり、悪い事をしても罰せられない者がいたら、「ああ、ルールなんて守らなくてもいいんだね」と、他の兵士たちも思ってしまいます。
軍隊にかぎらず、組織というものに力を発揮させるには、賞罰が適切でなければならないのです。だからこそ組織マネジメントの世界では、「信賞必罰」という言葉が口うるさく言われるのです。

孫武が戦争での強さを比較する具体的な基準―――「七計」は、以上のような内容です。
この基準に当てはめる事で、孫武は戦争の勝ち負けが事前に分かるというのですから、スゴイですよね。

三国志にあてはめると、どうなるか?

三国志にあてはめると、どうなるか?

三国志にあてはめると、どうなるか?

それでは、せっかく孫武が「勝ち負けを予見するための具体例」を挙げてくれたのですから、実際に三国志のケースに当てはめて、考えてみましょう。
「七計」は、以下の7項目です(ご紹介しやすいように、一部、並びかえをさせてもらいました)。

【1.正しい政治】君主はどちらが正しい政治をしているか。
【2.将軍の能力】将軍はどちらが優秀か。
【3.法と命令の遵守】法律・命令はどちらが徹底して守られているか
【4.天の時・地の利】天の条件(気候や季節など)・地の条件(戦いを左右する地形の条件)はどちらに有利か。
【5.兵士の数】兵士の数はどちらが多いか。
【6.兵士の強さ】兵士の訓練度はどちらが上か。
【7.信賞必罰】功績への褒美・罪への処罰はどちらが明確・公平にされているか

これらを三国志の具体的な例とあわせ、孫武の「七計」の理論をどう応用するか、見ていきましょう。

七計(1)【正しい政治】君主はどちらが正しい政治をしているか―――蜀(劉禅) VS 魏(司馬昭)

七計(1)【正しい政治】君主はどちらが正しい政治をしているか―――蜀(劉禅) VS 魏(司馬昭)

七計(1)【正しい政治】君主はどちらが正しい政治をしているか―――蜀(劉禅) VS 魏(司馬昭)

この項目については、蜀漢の滅亡を例に考えると、解りやすいでしょう。
諸葛亮死後の蜀は、姜維(きょうい)がたびたび魏を攻撃しますが成果は上がらず、いたずらに国力を消耗してしまいました。さらに宮中では宦官の黄皓(こうこう)が権勢をふるい、政治が大いに乱れました。

このような状況下で、魏の事実上の支配者である大将軍・司馬昭(しばしょう/司馬懿の子)は、蜀漢への大規模な侵攻を決意します。263年、司馬昭は鄧艾(とうがい)・鍾会(しょうかい)らに大軍を率いさせ、蜀への攻撃を開始しました。
これを受け、蜀軍の前線の指揮官である姜維は、すぐに皇帝・劉禅(りゅうぜん)に援軍を要請します。ところが側近の黄皓は、この要請を無視するよう劉禅に進言しました。
(なんと黄皓は、占いによって魏が攻めてこないと信じていたのです。占いを信じるあまり、前線からの報告を無視するのですから、もはやメチャクチャな話です)
このため、蜀軍は十分に体勢が整わないまま、魏の侵攻軍を迎え撃たなくてはならなくなったのです。

この対応の遅れも響き、蜀は鄧艾の軍の進撃を許してしまいます。このとき諸葛亮の孫である諸葛尚(しょかつしょう)が頑強に抵抗しますが、もはや戦の大勢は決していました。
諸葛尚は「黄皓のような者を、早く斬っておかなかったから、こんな事態を招いたのだ」と悔恨の言葉を残し、敵軍へ突撃して戦死したといいます。
こうして魏軍は蜀の首都・成都に迫り、劉禅は成すすべもなく降伏。劉備(玄徳)の創建した蜀漢は、あっけなく滅んだのです。

蜀のあっけない滅亡は、単に魏との国力差だけが原因ではありません。蜀は小さな国とはいえ、姜維の率いる前線の軍は士気が高く、また地形的にも防衛戦には適していました。
やはり滅亡を早めた大きな原因は、黄皓のような人物が政治を乱したことにあります。彼が安全保障上の重大な政策判断まで狂わせてしまったことが、蜀という国にトドメを刺したといえるでしょう。

このように、正しい政治が行われていない国は、戦争になっても戦力を生かすことができず、結局は敗れてしまうのです。





この記事の三国志ライター

関連する投稿


「孫子」には何が書いてあるの?(1) 著者・孫武は「平和主義者」だった

「孫子の兵法書」という言葉、三国志でもよく見かけます。どうやら曹操や諸葛亮が愛読した、戦争のノウハウ書らしいのですが……その具体的内容については、あまり知られていません。せっかく三国志が好きなのだから、武将たちが愛読した「孫子」の内容を、簡単に見ていきましょう。


「孫子」には何が書いてあるの?(2) 戦争を考える「基本条件」

さて、いよいよ「孫子」の本文に入っていきましょう。さすがに中国の古典なので、漢字も言葉も難しい……。しかし、難解な用語などはあまり気にせず、孫武さんの主張の要点だけを見ていけばいいと思うのです。


「孫子」には何が書いてあるの?(4) 戦争の勝敗はココで決まる―――三国志の実例から

戦争の勝敗を見極める具体的ポイントとして、孫武は「七計」という考え方を提唱しています。それをただご紹介するだけでは解りにくいので、三国志での具体例を使ってお話して行きたいと思います(前回の続きです)。


『孫子』の兵法書を作ったのは曹操だったってホント?

非常の人・超世の傑こと曹操が趣味で残した色々な業績の中でも傑作中の傑作、『魏武帝註孫子(ぎぶていちゅうそんし)』の成立の経緯と、その歴史的意味合いについて解説します。


三国志 小説 おすすめ 読んでみたくなる?本、書物

私は以前三国志を知る上でいろいろな本を読んでいました。しかし有意義な本もあれば「これはいったい何が言いたいんだろう」というものまであり、特に「これから三国志について勉強したい」という人がそういった書物、本から読んでしまったら迷走すること間違いなしだと思います。そうならないために 三国志 小説 おすすめ を紹介します!


最新の投稿


三国志ってなんなのさ? 魏・呉・蜀って世界史で学んだような?

『三国志』は、後漢末期から三国時代にかけての中国大陸を舞台に、魏・呉・蜀の三国が覇権を争う壮大なドラマと言えます。 その魅力を伝えたい。なぜ、魅力があるのか考えながら解説していきます。


”匈奴”草原を風のように駆け抜け帝国を震え上がらせた遊牧の戦士

想像してみてよ。広大なモンゴル高原を、風のように馬を駆け巡る人々がいたんだ。彼らは「匈奴(きょうど)」って呼ばれる遊牧騎馬民族。時は紀元前3世紀末から後1世紀末。彼らの暮らしはまるで大地と一体化したようで、馬と共に移動しながら生きていた。その姿は勇猛果敢で、各地の国々を相手に壮絶なバトルを繰り広げていたんだよ。


キングダム 蒙恬の死因とは? その真実に迫る

蒙恬は、コミック、キングダムにおいて主人公・信と同世代の武将であり、名門武家の出身でありながら、飄々とした性格で周囲を和ませる一方、戦場では冷静沈着な指揮官として才能を発揮。楽華隊、その旗印である「楽」の文字通り、戦場においてもどこか余裕を感じさせる姿は、多くのファンを魅了しています。史実では?死因は?興味あり。


キングダム 李牧 の史実を知りたくなった方、必見!

キングダムの李牧の活躍シーンを見て、その圧倒的な存在感に心を奪われた経験はありませんか? 趙の名将・李牧は、作品の中でも特に印象的な人物として多くのファンの心を掴んでいます。漫画やアニメ、映画で 李牧 の活躍を追っている人も少なくないでしょう。最強の知将として知られる李牧の人物像をご紹介します。


秦の始皇帝の時代、李信 の実像と影響

李信(りしん)は、中国春秋戦国時代末期の秦国で活躍した将軍で、秦の始皇帝(秦王政)の下で多くの戦役を指揮しました。彼の正確な生没年は不明ですが、紀元前3世紀の秦の統一戦争で中心的な役割を果たしました。『史記』においては、「若く勇壮で、軍事的才能があった」と記されており、特にその若さと大胆さが目立った人物として描かれ