三国志・もしもこの二人が激突していたら!?夢の対決を想像してみよう
三国志夢の対決「趙雲VS張遼」、「周瑜VS陸遜」、「曹操VS諸葛亮(孔明)」が実現した場合を想像してお伝えしていきます。
魏との戦いにも勝利した陸遜は晩年に常勝となり、名実ともに軍務と政務で最高権力者となります。孫権からの絶大なる信頼を得ていましたが、後継者争いに巻き込まれてしまいます。不遇ともいえた晩年の陸遜の働きと跡を継いだ次男の陸抗をみていきましょう。
夷陵の戦いで勝利し、続く魏との決戦に臨むこととなります。周瑜や魯粛、呂蒙といった名将たちが亡くなる中、呉の重鎮として軍務では三国一の能力を発揮していきます。蜀を率いる諸葛亮と和睦をしてからの陸遜をみていきましょう。
三国志・諸葛亮(孔明)の評言を見抜き、豪語した任務を有言実行した甥の諸葛格とは
孫権から将来を期待された「諸葛格」。慢心過ぎる人物として人気がありませんが、確かな実績はあげています。今回はそんな諸葛格についてお伝えしていきます。
呂蒙の後継者となっていく陸遜は、劉備(玄徳)との一大決戦に臨みます。実戦経験が豊富な劉備(玄徳)に対して、まだまだ知名度も低い陸遜は大都督として呉の諸将を率いることとなりました。この夷陵の戦いでは陸遜の名が天下に知らしめることとなり、以降は呉の重鎮として活躍していきます。
呉で最も貢献した武将といえば「周瑜」「魯粛」「呂蒙」「陸遜」の四都督が挙げられます。中でも孫権が皇帝として即位できたのは、長い期間呉のために貢献してきた陸遜の力が最も大きいといえます。そんな陸遜の功績をここで解説していきます。
三国志の登場人物の多くは「人情味あふれる武将」「一騎当千となるような豪将」と言った男性に好かれる面を押し出していることが多いです。そういった場合あまりルックスや、モテ要素などは語られないのですが、ここでは逆にそういった要素たっぷりの呉の武将を紹介します。架空で誰と付き合いたいか考えてみてください。
呂蒙の最大の見せ場となるのが、荊州攻略で関羽を撃破したことです。どの諸将でも成し遂げられなかった関羽を処罰することができたのも、呂蒙の軍略が冴えていたことに違いありません。呂蒙の荊州奪回を見ていきましょう。
三国時代の知将として代表的なのは蜀の諸葛亮(孔明)と魏の司馬懿(仲達)です。三国志のシミュレーションゲームでも、軍師として誰もが欲しがるビッグネームですが、呉の孫権(仲謀)配下には彼らのような大物軍師はいませんでしたが、知将として名高い武将たちがリレー形式で孫一族を支えていったのです。
壮大な国盗りゲームである三国志の勢力図がほぼ固まるのが夷陵の戦いです。関羽を討ち、荊州を孫権が奪いとると、関羽の仇討ちと荊州奪還を目指して劉備(玄徳)が出陣しますが、敗れます。その結果、魏・呉・蜀漢の三国の領土が決定します。一体どんな戦いだったのでしょう
100年に1人の逸材と言われたのに、そんなに目立たなかった呉の陸遜(伯言)。どんな人?
呉に所属して、そこまで目立ってはいなかったが蜀の将軍たちを脅かしていたため、蜀キラーとも言える武将である陸遜(伯言)についての記事を紹介します。
三国志には知略を用いて戦場で大勝利を収めたり、勢力を拡大する場面も数多く登場します。はたして最も知略に最も優れているのは誰なのでしょうか?
220年代、中国に大きな打撃を与えました。蜀の劉備(玄徳)と魏の曹操が世を去った後、三国時代は晩期に入ります。三国志の目玉といえる戦いは数多くありますが、最後を飾る「五丈原の戦い」も欠かせません。また、新たなる国・晋はどのように誕生したのでしょうか。今回は、三国志終焉の経緯についてご紹介します。
三国志・大軍を率いた劉備を破った名将・陸遜(りくそん)の忍耐力
呉の英雄・陸遜。孫策や周瑜と並び人気があります。周瑜は曹操を破りましたが、陸遜は劉備(玄徳)を破っています。夷陵の戦いの際の陸遜の采配に注目してみました。