天下最強の武人・【呂布】の軌跡と天下を取れなかった理由

天下最強の武人・【呂布】の軌跡と天下を取れなかった理由

三国志において、天下最強・無双などの称号を持つのが呂布です。英雄として描かれたり、悪役として登場するなど、小説や漫画、ゲームなどでは個性あふれるキャラクターとなっています。そんな最強といわれた呂布はどうして天下を取れなかったのか、その軌跡とともに見ていきましょう。


董卓配下で天下に名を轟かす

董卓配下で天下に名を轟かす

董卓配下で天下に名を轟かす

呂布は若くして并州の実力者であった丁原に仕え、その武勇を見込まれて寵愛されていました。黄巾の乱の勃発や霊帝の死去など、都が混乱を極めていた折、大将軍の何進は宦官を抹殺するために地方の将軍たちを呼び寄せて、その権勢を見せつけようとしていました。都へは丁原や西涼の董卓らが集結してきました。

しかし、逆に何進が暗殺されてしまい、付き従っていた袁紹や袁術らが蜂起して宦官を抹殺していきます。このゴタゴタが収まるころ、霊帝の子どもだった小帝と陳留王(後の献帝)が行方不明に陥り、慌てた袁紹たちは捜索に行きますが、帝を保護したのは董卓でした。董卓は幼い帝を保護して権力を牛耳ろうと考えていたのです。董卓は何進の軍を吸収し、もっと大きな力を手に入れようと、次に狙いを付けたのが丁原の軍で、董卓は暗殺部隊を送ります。

丁原を斬り、董卓の下へとはせ参じる

丁原を斬り、董卓の下へとはせ参じる

丁原を斬り、董卓の下へとはせ参じる

丁原は常に呂布を側に置いており、董卓の暗殺部隊が参じても一向に慌てず、呂布が冷静に対処して追い払いました。呂布の凄さを知った董卓は、何としても味方に付けたいと思い、呂布の懐柔策に力を入れていきます。

まだ若い呂布は董卓の甘言に惑わされたのか、丁原を殺して董卓の元へ降ってしまいます。呂布は体格もよくて腕力があり、槍の使いも一流で、馬術や弓も長けていました。圧倒的な存在感として董卓軍の中でも一気に出世していき、董卓の護衛として常に側にいました。

当時の呂布は自分が天下を狙う位置にいるとは夢にも思わなかったかもしれません。董卓は呂布を手に入れてから、都を本格的に牛耳り、政治の中心となって傍若無人な振る舞いで、人々から大きな恨み・怒りを買っていました。特に小帝を廃して献帝を立てたのは一番であり、その専横ぶりを先に眼にしていたら、さすがの呂布もきっと軍門に降ることはなかったといえるでしょう。

足場固めが出来ていなかった董卓暗殺

足場固めが出来ていなかった董卓暗殺

足場固めが出来ていなかった董卓暗殺

呂布は軍の中心にいましたが、反董卓連合軍が形成されると、各地の諸侯との戦いで大きな活躍はしていませんでした。これは軍を掌握している他の将軍と折り合いが悪く、本気で戦っていなからともいわれています。この戦いで董卓軍は敗れ、董卓は都を焼き払い長安まで撤退しました。

董卓は呂布を責めるようになると、両者には溝が出てきます。その隙を突いたのが司徒王允でした。王允は呂布を誘い、董卓暗殺を持ちかけます。呂布は帝に謁見する董卓を待ち伏せて暗殺し、王允とともに宮廷を支配していきます。

呂布は董卓軍を掌握しようとしますが、もともと西涼の地で長年結束されてきた董卓軍は郭汜・李カクを中心として反逆し、長安を襲撃します。王允は捕まって殺され、呂布は懸命に戦いますが、兵力の差が出て敗れてしまい、数百騎を連れて逃げ出していきます。

都を牛耳っていた董卓を倒した呂布の行動は賞賛されますが、やはり簡単に行動を起こしたのが間違いで、根回しが足りていませんでした。董卓軍の残党を味方に付けるのが一番でしたが、それが出来ない可能性が有る場合には、献帝を保護して諸国の群雄たちを取り込むべきであるといえたでしょう。結局は献帝も置いて逃げ出しているのは、何の後ろ盾もない状態で中原を彷徨っていることを意味しています。

牙があるも、流浪の身となり天下から遠ざかる

牙があるも、流浪の身となり天下から遠ざかる

牙があるも、流浪の身となり天下から遠ざかる

呂布は各地を放浪しますが、最初は袁術を頼っていきます。しかし、部下たちが略奪を行ったため、仕方なく袁術の支配下を逃れて袁紹を頼るようになります。呂布を歓迎した袁紹は、1万以上の兵を持つ黒山賊という山賊に苦しめられている最中でした。呂布は愛馬の赤兎馬を存分に走らせて、何度も突撃を繰り返していき、山賊をわずか数十騎で追い払う大活躍を見せました。

この武勇を恐れた袁紹は次第に呂布を遠ざけるようになり、袁紹を見限った呂布はまたもや各地を転々として、報復を恐れた朝廷からやっと潁川太守を任命されるようになり、落ち着けるようになりました。

曹操を敵に回したことが一番大きい失敗

曹操を敵に回したことが一番大きい失敗

曹操を敵に回したことが一番大きい失敗

呂布はもう一度天下に号令をかけようと目論んでいましたが、現状の太守では一勢力にしかならず、なかなか機会に恵まれませんでした。転機が訪れたのは曹操が徐州に侵攻する際、陳留を留守にすることがありました。張超と陳宮、張バクといった面々が陳留に攻め立てるために呂布に応援を依頼し、呂布は好機とみて参戦しました。呂布の勢いは凄まじく、陳留一帯は一気に制圧されていきます。

曹操が反撃してくると、呂布は応戦し、精鋭揃いの曹操軍を蹴散らしていきます。体制を整え直した曹操軍をまたしても破り、さすがの曹操も生きた心地がしなかったといえるでしょう。しかし、干ばつとイナゴの被害に遭ってしまい、呂布たちもそれ以上戦闘を続けることが困難となって引き上げました。

曹操は命からがら助かり、袁紹の助けを借りて再度呂布へと戦いを挑みます。1年以上の長い戦いの後で、兵力に勝る呂布は力任せに押し込みますが、曹操の巧みな戦術の前にわずか数千の兵力でも敗れてしまい、人徳者で評判の劉備(玄徳)の元へと逃げ込みます。

呂布がしてはいけなかったことは曹操との対戦だといえるでしょう。たとえ本拠地を留守にしていても、曹操には有数な人材が豊富に集まり、兵隊も精鋭揃いといえました。力を巻き返してきた曹操の前には呂布といえど、一筋縄ではいきませんでした。

時代の流れを読めなかった呂布は天下を取れなかった

時代の流れを読めなかった呂布は天下を取れなかった

時代の流れを読めなかった呂布は天下を取れなかった

呂布は徐州の劉備の元で過ごしていましたが、劉備(玄徳)が袁術と戦うようになると、劉備(玄徳)の本拠地を奪います。この行為は各地で批判を浴び、呂布の人望を失う大きなきっかけとなってしまいました。呂布は袁術と戦って勝利し、一時の勢力を戻してきたかに見えましたが、遂に曹操が大軍を以って徐州に攻めてきて、呂布は懸命に戦いますが、郭嘉や荀攸の水計が実行されると、呂布軍は壊滅状態に陥ります。この戦いを経て、呂布はとうとう曹操に降伏しています。

降伏してからの呂布は命乞いしますが、曹操に処刑されています。呂布は時代の流れを読めず、董卓の暗殺後に周辺基盤を固めていなかったこと、実力者の曹操を敵に回したこと、人徳者の劉備(玄徳)を裏切ったことが天下を取れなかった理由といえるでしょう。





この記事の三国志ライター

関連するキーワード


呂布 董卓 後漢 曹操

関連する投稿


三国志・超絶仮想の「虎牢関の戦い」の光と影

三国志の有名な場面に虎牢関の戦いがあります。董卓軍と反董卓連合軍が激突するシーンです。しかしここにはかなりの脚色が施されているのです。


時代は違うがどっちが強い?最強 呂布と項羽 が 三国志にいたら

後漢末期の三国志最強の武将といえば、呂布(奉先)が真っ先に挙がることでしょう。史実や演義でも無類の武力を誇り、曹操(孟徳)や劉備(玄徳)といった他陣営から恐れられていました。一方、史記に登場する項羽も呂布と並んで最強武将として君臨しています。この両者、もし、項羽 三国志 にいたら、どちらが最強なのでしょうか。


忠義に厚い呂布!?貂蝉(ちょうせん)ら他軍のif人生

「もしあの人がこんな人生を歩んでいたら」。三国志 が好きな方なら、違った展開を考えることがあるでしょう。三国志 といえば「魏・呉・蜀」ですが、呂布や張角ら他軍のif人生について想像してみました。史実や演義での活躍も少し紹介しています。


三国志・最強の武将・呂布を選んだ名士・張邈と軍師・陳宮

三国志最強の「呂布」の独立に手を貸した陳留郡太守「張邈」と呂布を最後まで支え続けた軍師「陳宮」。この3人の関係はどのようなものだったのでしょうか。宿敵「曹操」を交えてお伝えしていきます。


関羽が惚れた馬!赤兎馬 ってどんなところが凄いの?

元々は呂布奉先の持ち物で、関羽雲長が魏に理由あって下ったときに曹操孟徳から贈られたものがいくつかありますが、その中で関羽雲長が最も喜んだのが 赤兎馬 でした。しかし、赤兎馬 って普通の馬とどう違うのでしょうか?気になったのでそのあたりについて迫ってみました。


最新の投稿


三国志ってなんなのさ? 魏・呉・蜀って世界史で学んだような?

『三国志』は、後漢末期から三国時代にかけての中国大陸を舞台に、魏・呉・蜀の三国が覇権を争う壮大なドラマと言えます。 その魅力を伝えたい。なぜ、魅力があるのか考えながら解説していきます。


”匈奴”草原を風のように駆け抜け帝国を震え上がらせた遊牧の戦士

想像してみてよ。広大なモンゴル高原を、風のように馬を駆け巡る人々がいたんだ。彼らは「匈奴(きょうど)」って呼ばれる遊牧騎馬民族。時は紀元前3世紀末から後1世紀末。彼らの暮らしはまるで大地と一体化したようで、馬と共に移動しながら生きていた。その姿は勇猛果敢で、各地の国々を相手に壮絶なバトルを繰り広げていたんだよ。


キングダム 蒙恬の死因とは? その真実に迫る

蒙恬は、コミック、キングダムにおいて主人公・信と同世代の武将であり、名門武家の出身でありながら、飄々とした性格で周囲を和ませる一方、戦場では冷静沈着な指揮官として才能を発揮。楽華隊、その旗印である「楽」の文字通り、戦場においてもどこか余裕を感じさせる姿は、多くのファンを魅了しています。史実では?死因は?興味あり。


キングダム 李牧 の史実を知りたくなった方、必見!

キングダムの李牧の活躍シーンを見て、その圧倒的な存在感に心を奪われた経験はありませんか? 趙の名将・李牧は、作品の中でも特に印象的な人物として多くのファンの心を掴んでいます。漫画やアニメ、映画で 李牧 の活躍を追っている人も少なくないでしょう。最強の知将として知られる李牧の人物像をご紹介します。


秦の始皇帝の時代、李信 の実像と影響

李信(りしん)は、中国春秋戦国時代末期の秦国で活躍した将軍で、秦の始皇帝(秦王政)の下で多くの戦役を指揮しました。彼の正確な生没年は不明ですが、紀元前3世紀の秦の統一戦争で中心的な役割を果たしました。『史記』においては、「若く勇壮で、軍事的才能があった」と記されており、特にその若さと大胆さが目立った人物として描かれ


アクセスランキング


>>総合人気ランキング