もし呂布が忠義に厚かったら
■ もし呂布が忠義に厚かったら
もし呂布が忠義に厚かったら
誰の配下になるのでしょうか?ここでは養父の丁原が他人に殺されたか、何らかの理由で絶縁になったとします。
魏の曹操なら、きっと呂布を欲しがるでしょう。誰よりも強く義理堅い武将です。曹操だったら、初めて見た日からずっと考えているかもしれません。金品や美女を毎日あげたくなると思います。実際同じように尽くされた英傑はいた気がしますが、たぶん気のせいです。
さて、魏には張遼や徐晃といった優れた武将が多くいます。誠実な呂布もそこに加わったら、蜀と呉が組んでも絶対敵わないはずです。しかも裏切ることがないので、曹丕の時代でも重宝されるでしょう。
そんな呂布が赤壁の戦いにも加わったら、また面白い展開になりそうですね。
裏切り無双な呂布
■ 裏切り無双な呂布
裏切り無双な呂布
呂布は、三国志トップを誇る武勇の持ち主です。血のように赤い馬・赤兎と共に中国を駆け抜けました。
丁原の配下でしたが、董卓の入れ知恵を受けて丁原を殺害します。
その後は董卓と義理の親子関係を結ぶものの、董卓の侍女を巡ったことで破たんします。
あるとき劉備(玄徳)の城を訪れますが、ここでも裏切りぶりを発揮します。そして劉備(玄徳)は留守の間に城を奪われたため、曹操と手を組んだのです。
やがて呂布は義父の殺害を理由に処刑されました。ちなみに、この頃の張遼は呂布の配下でしたが、誠実な人物だったので曹操に歓迎されました。
もし三国志に貂蝉(ちょうせん)が実在していたら
■ もし三国志に貂蝉(ちょうせん)が実在していたら
もし三国志に貂蝉(ちょうせん)が実在していたら
後世の恋愛観に変化をもたらしていたかもしれません。
「同じ城の男2人を誘惑する」という行為は難しいと思っているからです。話術に強い魔性の女といえば、クレオパトラが有名です。しかし、貂蝉(ちょうせん)が実在していたら、彼女も同じように語られていたのではないでしょうか。
また、貂蝉(ちょうせん)が美しい秘訣も研究されていたかもしれません。豪傑の呂布を振り向かせる力は、創作といえども侮れないでしょう。どんな化粧をしていたのか、どういう美容法を行っていたのか、気になって仕方がありません。
非実在の貂蝉(ちょうせん)
■ 非実在の貂蝉(ちょうせん)
非実在の貂蝉(ちょうせん)
貂蝉は演義だけの創作人物ですが、とても有名な存在です。モデルとなった人物は、董卓の侍女といわれています。
養父の王允が董卓の悪政を哀れんでいたため、貂蝉は董卓らを計略で誘惑しました。その結果、董卓と呂布の関係に亀裂が生じ、やがて呂布が董卓を殺害します。
しかし、その後の貂蝉について明らかになっていません。自決や行方不明など、フェードアウトの仕方は作品ごとに異なります。
ただ、どの作品でも「花のオーラを身に纏った舞姫」というイメージで描かれることが多いです。
もし左慈が董卓の味方だったら
■ もし左慈が董卓の味方だったら
もし左慈が董卓の味方だったら
董卓一族の滅亡は、かなり遅れていたでしょう。そもそも「三国志」という歴史が生まれなかったかもしれません。
左慈の術で財産を絞り取ったり、民を洗脳したりと歴史よりも好き放題になりそうです。
さらに董卓には呂布という護衛がいましたから、術と武勇が組み合わさって最強(最凶)になっていたはずです。呂布は近くの邪魔者を薙ぎ払いますが、左慈は離れた場所にでも飛べます。董卓の悪口を言った日には、背後に左慈が現れるでしょう。あるいは、彼の力で厄災が降りかかりそうです。
しかし、ひょんなことで左慈が裏切ったら、董卓の命運は尽きたも同然でしょう。呂布と結託すれば、一日で一族が滅ぶかもしれません。
大徳に与する左慈
■ 大徳に与する左慈
大徳に与する左慈
左慈は史実・演義ともに登場しますが、演義では劉備(玄徳)を陰から支える道士です。
曹操に「後の政治は劉備(玄徳)に託せばいいよ」と告げた程度なので、もしかしたら口実かもしれません。
基本的に曹操を困らせる役として登場します。彼の元に届いたみかんの中身を空にしたり、大量の分身で翻弄させたり。その一方で、みかんを運ばされる部下の負担を軽減させたり、曹操らが誤って殺害した家畜を生き返らせたりと奇跡を起こします。
彼からの拷問をものともしなかった左慈。しまいには、分身たちで一斉に曹操に襲い掛かります。
やがて曹操はこのストレスによって病に倒れてしまいました。
董卓って何をしたの?
■ 董卓って何をしたの?
董卓って何をしたの?
董卓は、「黄巾の乱」のあと混乱に乗じて政権を握った政治家です。といっても、その中身はまさに悪政。三国志に名を残すほどの暴君でした。
前項でも書いたように、傍らには呂布がいました。演義では、赤兎馬で彼を釣ったとされています。酒と女性に溺れる日々を過ごしていました。
董卓が政権を掴めたのは、皇族争いによる影響が大きいです。元々は少帝という人物が皇帝でしたが、董卓が少帝とその皇后を脅したことで一変。献帝を保護したことで、董卓は好き勝手に暴れることができたのです。
余談ですが、この献帝という人物は三国志の終盤近くまで在位しました。期間はおよそ30年以上になります。
もし張角が反乱後も生きていたら
■ もし張角が反乱後も生きていたら
もし張角が反乱後も生きていたら
劉備(玄徳)、すなわち蜀に帰順しそうです。張角と黄巾党はやりすぎましたが、この当時の皇帝(霊帝)の堕落ぶりに嫌気がさしたのは確かです。
人の病を治す力はいつの時代も貴重です。黄巾党も蜀に鍛えられたら、屈強な兵士たちになるでしょう。
諸葛亮の計略と黄巾党の妖術が合わされば、歴史よりも強い国になりそうです。
蜀のイメージカラーは多くの作品で「緑」が挙げられます。黄巾党が加われば戦力になりそうですが、緑に染まるのはなんだか不思議な感じがしますね。
反乱に生きた張角
■ 反乱に生きた張角
反乱に生きた張角
三国時代突入前、中国は霊帝の政治によって乱れていました。やがて民は飢饉で苦しむこととなります。
そんななか、道士としての修行を重ねた張角とその兄弟が立ち上がります。彼らには病を治す力があったため、支持者が次々と集まります。
その支持者の群れが、「黄巾党」という集団になったのです。「蒼天死すべし」と掲げた彼らの圧力は、霊帝たちを驚かせました。
黄色い布を頭に着けていたことが由来となります。
霊帝の部下や曹操らは、黄巾党を鎮圧。張角の病死後も残党はいましたが、(正式な訓練を受けていないため)そう長くはありませんでした。
なお、史実では水を飲ませることで病を治しました。かつての有名な宗教団体といった扱いです。
誰もが想像したくなるif人生
■ 誰もが想像したくなるif人生
誰もが想像したくなるif人生
呂布や貂蝉らは三国のどこにも属していません。しかし、強い個性と残された出来事が、三国志ファンの心をつかんでいます。
配下として忠義を尽くす呂布、董卓を護る左慈。そして、反乱後も生きる張角。
もし史実や演義と真逆の人生を送っていたら、それはそれで面白い歴史が生まれそうです。
また、貂蝉が実在していれば、女性向けの生きるヒントを残していたかもしれません。
実際に起きた出来事は時に残酷ですが、一部の歴史は反面教師ともいえるでしょう。