三国志・超絶仮想の「虎牢関の戦い」の光と影

三国志・超絶仮想の「虎牢関の戦い」の光と影

三国志の有名な場面に虎牢関の戦いがあります。董卓軍と反董卓連合軍が激突するシーンです。しかしここにはかなりの脚色が施されているのです。


反董卓連合結成

反董卓連合結成

反董卓連合結成

190年に反董卓連合が結成されます。盟主は名門・袁氏の袁紹。同じく袁氏の袁術、名士として名高い張邈や孔伷、王族の血統である劉岱、冀州牧の韓馥、他の太守では王匡や橋瑁、張超、袁遺などの面々が揃っていました。さらに孫堅や曹操なども積極的に参加しています。彼らの目標は都・洛陽を制圧した董卓打倒であり、朝廷から董卓勢力を追い出すことでした。董卓派と反董卓派は武力衝突を繰り返すことになります。董卓の兵は精強であり、将には呂布や華雄などの一騎当千の猛将が控えています。

はたしてどちらが勝つのか。誰がどんな武功をあげるのか。三国志の読者はワクワクドキドキしながら読み進めることになります。両勢力の激突は三国志の中でも見せ場の一つなのです。

三国志演義ではなぜメンバーが増えるのか

三国志演義ではなぜメンバーが増えるのか

三国志演義ではなぜメンバーが増えるのか

以上ご紹介したのが「三国志正史」の描写ですが、これが「三国志演義」になると反董卓連合のメンバーが増えていきます。「十八路諸侯」などとも呼ばれ、三国志正史では加担していない諸侯の名前も反董卓連合に組み込まれています。

北の雄・公孫瓚、青州刺史の孔融、ちょうどこの戦乱期に徐州刺史から徐州牧に昇進した陶謙、西の雄・馬騰、そして公孫瓚に身を寄せていた劉備(玄徳)。この顔ぶれを見るとあることに気が付きます。みんな劉備(玄徳)に係わりのある人物ばかりです。なぜ三国志演義では劉備(玄徳)とつながりを持つ人物たちが反董卓連合のメンバーとして加えられているのでしょうか。

劉備(玄徳)の正当性の主張

劉備(玄徳)の正当性の主張

劉備(玄徳)の正当性の主張

董卓といえば暴虐非道で有名な悪役です。朝廷を暴力で支配しました。漢の復興を志して尽力する劉備(玄徳)とはまさに対極に位置します。そんな董卓との戦いに主人公である劉備(玄徳)がいないという事態は問題です。劉備(玄徳)は参戦していなければならないのです。そして劉備に味方する諸侯もまた正義に与する側の人物であることをアピールするために無理やり反董卓連合に組み込みます。これは三国志演義が劉備(玄徳)のカリスマ性を高めるために仕組んだ脚色なのです。

読者はそんな裏側は知りませんから、無名に等しい劉備(玄徳)や関羽・張飛がどんな活躍をしてくれるのかと胸を高鳴らせることになります。三国志演義ではさらに劉備(玄徳)らの活躍の場を与えることになるのです。それが「汜水関」「虎牢関」の戦いです。

汜水関の戦い

汜水関の戦い

汜水関の戦い

汜水関を守る董卓側の守将は「華雄」です。華雄は鮑信の弟の鮑忠を討ち、兵糧が底をついて士気の下がった孫堅軍を撃退し祖茂を討ちます。さらに袁術配下の兪渉、韓馥配下の潘鳳を立て続けに討ち取っていきます。反董卓連合のメンバーがその武勇に震えあがっている中で、名乗りをあげるのが「関羽」でした。関羽は出陣前に勧められた熱い酒を「戻ってからいただくと」言い残して戦場に向い、一刀のもと華雄の首を獲りました。帰陣してその酒を飲み干しましたが、酒はまだ温かったといいます。

この仮想シナリオの問題点は、三国志正史では参戦していない関羽が登場することもありますが、汜水関そのものが虎牢関と同じであるという点も無視していることです。ちなみに実際に華雄を討ったのは陽人の戦いで孫堅軍によるものです。かなりの部分が脚色されていることに驚きますね。しかし関羽にとっては絶好の見せ場であり、これにより読書は関羽の無類の強さに驚愕することになります。

虎牢関の戦い

虎牢関の戦い

虎牢関の戦い

董卓は直々に15万の兵を率いて虎牢関に出陣します。ここを抜かれれば洛陽の都は目前となります。両軍は激突しました。ここで大活躍したのが、虎牢関の前に砦を築き、3万の兵と共に守っていた「呂布」です。その中から精鋭3千の鉄騎兵を率いて縦横無尽に反董卓連合を蹴散らしていきます。立ちはだかったのが地方の猛将たちです。河内太守・王匡の配下である方悦は槍の使い手でしたが5合も打ち合わずに討たれます。上党太守・張楊の配下である穆順もまた槍を持って立ち向かいますが、こちらは一突きで討たれました。さらに孔融の配下で鉄槌の使い手である武安国が挑みますが、数十合打ち合った後に腕を斬り落とされます。

読者はここで呂布の武勇の凄さに驚くわけですが、さらにビックリするのはその後の展開です。公孫瓚が呂布に追い詰められると、ここに「張飛」が登場。呂布と50合打ち合いますが決着がつきません。さらに「関羽」が加勢します。それでも呂布はびくともしないのです。最後には「劉備(玄徳)」までもが加勢。3対1という圧倒的に不利な状況でも呂布は倒されません。しかし疲れは出てきたために退却していきます。退却時の赤兎馬のスピードにもまた驚くことになります。

まとめ・劉備(玄徳)の活躍を脚色した一連の戦い

まとめ・劉備(玄徳)の活躍を脚色した一連の戦い

まとめ・劉備(玄徳)の活躍を脚色した一連の戦い

虎牢関での「呂布VS劉備・関羽・張飛」の戦いの引き分けぶりは、強烈なイメージを読者に残すことになります。董卓軍の猛将である華雄を討ち、誰も敵わなかった呂布を止めたのです。この劉備(玄徳)軍の活躍は素晴らしいものがあります。高い志だけでなく、高い武力も持ち合わせていることが証明され、劉備(玄徳)軍の株は上がるのです。劉備(玄徳)ファンがここで増加していくことになります。

ここで呂布まで討ち取っていたら、間違いなく関羽・張飛は三国志最強の武将となったことでしょう。しかしさすがの三国志演義でもそこまでの脚色は厳しかったようです。この戦場で呂布が死んでしまうと、貂蝉や王允らを巻き込んだ連環の計が成り立たなくなってしまいます。徐州を襲った背後を突いた呂布の動きも存在しないことになります。歴史がまったく別なものになってしまうわけです。三国志演義の脚色はあくまでも可能な範囲内ということになっているようですね。

どうせだったら、思い切って虎牢関で劉備(玄徳)三兄弟で呂布を倒し、長安を攻めて董卓を倒し、徐州で大虐殺を行う曹操の背後を突いて兗州を攻めるところまで脚色してしまうという手もあったと思うのですが。さすがにこれはやりすぎでしょうか。私には実際に戦っていない劉備(玄徳)軍が虎牢関などで活躍していること自体がやり過ぎだとも思うのですが。そこも三国志の魅力なのかもしれませんね。





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