赤兎馬 の所有権
■ 赤兎馬 の所有権
赤兎馬 の所有権
三国志演義などでも 赤兎馬 は一日に千里を走るという稀代の名馬として描かれていますが、次々に所有権が変わっていくのも 赤兎馬 の面白いところです。もとはと言えば 赤兎馬 は董卓仲穎の持ち物でした。その董卓仲穎が 赤兎馬 を手放すことになったのは当然ながら次の持ち主である呂布奉先に 赤兎馬 を与えたためでした。
なぜ董卓仲穎が呂布奉先に赤兎馬を与えたかと言えば、呂布奉先に養父を裏切るためのエサとして渡したと言われています。呂布奉先には元々、自分の才能を見出してくれた丁原建陽という養父がいました。そんな養父を裏切るのなら赤兎馬を与えるという条件を呂布奉先につきつけたのです。
結果的に呂布奉先は養父である丁原建陽を殺してしまいます。その後も二人目の養父となった董卓仲穎をも殺してしまうのですが、そんな呂布奉先自身も曹操孟徳との戦いによって命を堕とし、結果的に次の持ち主である曹操孟徳へと赤兎馬はわたってしまうのです。
そして曹操孟徳からこの後、何と蜀の名将である関羽雲長へと赤兎馬は渡ります。というのもとある戦いにて劉備の家族のものが蜀によって捕らわれてしまいます。劉備の家族の安否を気遣った関羽雲長は劉備の家族の命の保証と引き換えに自身が魏の軍門に下るという提案をしたのでした。
あの蜀の名将である関羽雲長が軍門に下るのですから曹操孟徳としては嬉しくてたまりません。感動した曹操孟徳は劉備の家族を丁重に扱った上で、関羽雲長に対して多くの貢ぎ物をしました。計算高い曹操孟徳の事ですから関羽雲長の心を掴むための作戦だったのかもしれませんね。
そんな中でも関羽雲長が最も喜んだのが赤兎馬でした。呂布奉先が養父を裏切ってまで手に入れた馬ですから当時はそれだけの価値があったのかもしれません。後に劉備玄徳への忠義の心を忘れられなかった関羽雲長は手柄を立てると引き換えに魏を去って行きました。多くの貢ぎ物は返却しましたが赤兎馬だけは持って帰ったそうです。
赤兎馬 の速さとはどのくらい?
■ 赤兎馬 の速さとはどのくらい?
赤兎馬 の速さとはどのくらい?
赤兎馬 は一日で千里を走るなどと誇張されてますが、この数字は現実的には不可能と言えるかもしれません。現代の競走馬は時速90㎞がいいところですが、この時代の軍馬はせいぜい30㎞と言われています。ただ誇張されるくらいなのである部分は優れていたのかもしれませんね。
その優れている部分とはおそらくスタミナです。魏に関羽雲長が下った際に 赤兎馬 を譲り受け、喜んでいると赤兎馬を与えた曹操孟徳がなぜそんなに喜ぶのかと尋ねたことがあるそうです。それに対して関羽雲長は行方知らずの兄者が見つかったとき、この馬ならすぐに馳せ参じることができると答えています。
この時、兄者である劉備玄徳がどこにいるかということは分かっていませんので、相当遠くで見つかる可能性もあることから赤兎馬は長い距離を走れるスタミナのある馬であることが何となく読み取れます。ということで赤兎馬はもしかすると強靭なスタミナを持つ馬なのではないかと推測できるのではないでしょうか?
赤兎馬 の容姿
■ 赤兎馬 の容姿
赤兎馬 の容姿
赤兎馬の容姿というと何となく赤い馬ということはわかりますが、実際はどうだったのでしょうか?容姿を探る上でのヒントとして名前にも大きなヒントがあります。赤兎馬の名前には兎という文字が入っているのはご存知でしょうか?
当時は馬は兎のような顔をしていると速く走ると考えられていました。よって赤兎馬は兎のような顔をしていたと考えられるでしょう。ついでに赤毛というのも速く走る要素のひとつだということです。ということはその両方を持っている赤兎馬は三国志時代のサラブレットなんですね。
衝撃的事実! 赤兎馬 の子孫はアハルテケだった。
■ 衝撃的事実! 赤兎馬 の子孫はアハルテケだった。
衝撃的事実! 赤兎馬 の子孫はアハルテケだった。
呂布奉先や関羽雲長が乗っていたという名馬である赤兎馬には子孫がいるという噂を耳にしたことはないでしょうか?子孫だと言われているのはトルクメニスタンが原産国となっている黄金の馬であるアハルテケだということです。
黄金の馬と聞いてクエスチョンマークを頭に浮かべる人も多いかとは思います。だってそもそも赤兎馬は赤毛の馬であって黄金の馬ではないですからね。とはいえ、このアハルテケが子孫だと考えられている理由は先ずは赤兎馬の特徴である強靭的なスタミナを兼ね備えているところにあります。
この時代の中国では現代のような競走馬というよりはどちらかというとポニーに近い馬が軍馬として扱われていました。当時の中国ではトルクメニスタンは安息国として認識されており、当時の皇帝は中国の馬と比べて種類的に良血であるアハルテケを好んで買ったとされています。
ということは、当時の中国では群を抜いて素晴らしい馬なわけですから、赤兎馬イコールアハルテケという図式が成り立ってしまうんですよね。赤というのも赤兎馬が汗血馬であったとされることや、ピンクゴールドの毛並みのものもいるとのことで見事に共通点が出来てしまったわけです。
現に赤兎馬そのものが創作だとされることもあるので確証はありませんが、モデルとなったのはおそらくアハルテケだったのではないでしょうか?ちなみに現代では競走馬として使われることはありませんが、アハルテケの名前が由来になっているレースはあります。
気になるのが馬の値段ですが、世界に3000頭しかいない希少な馬なのでさぞかし高いと思って調べてみると一頭数千万はするそうです。今年の有馬記念をとったキタサンブラックが数百万円から2500万円と言われているのでアハルテケがいかに高いかわかるかと思います。お金持ちになったら是非購入してみたいですよね。
まとめ
■ まとめ
まとめ
今回は三国時代の名馬である赤兎馬について紹介してきましたがいかがでしたでしょうか?架空の馬とは言われていますが、こうして調べてみると様々な情報や憶測があって面白いと感じました。 今も昔も共通しているのは非常に高価な馬であったという事実です。
しかし、個人的には劉備玄徳の元へ戻る関羽雲長が赤兎馬だけは返さずに持って行ったというところに思わず笑ってしまいました。もしかすると全部返そうかと悩んだ末にいいやこれだけはもらっちゃえという関羽雲長のわずかなずる賢さというか我儘な部分が出たのでしょうね。
まぁ馬一頭に見合う働きは十分にしていると思うので確かに曹操孟徳に文句を言われる筋合いはないというのが本音かもしれません。今回は赤兎馬について語らせていただきました。最後まで読んでくださってありがとうございました。