関羽が惚れた馬!赤兎馬ってどんなところが凄いの?

関羽が惚れた馬!赤兎馬ってどんなところが凄いの?

元々は呂布奉先の持ち物で、関羽雲長が魏に理由あって下ったときに曹操孟徳から贈られたものがいくつかありますが、その中で関羽雲長が最も喜んだのが赤兎馬でした。しかし、赤兎馬って普通の馬とどう違うのでしょうか?気になったのでそのあたりについて迫ってみました。


赤兎馬の所有権

三国志演義などでも赤兎馬は一日に千里を走るという稀代の名馬として描かれていますが、次々に所有権が変わっていくのも赤兎馬の面白いところです。もとはと言えば赤兎馬は董卓仲穎の持ち物でした。その董卓仲穎が赤兎馬を手放すことになったのは当然ながら次の持ち主である呂布奉先に赤兎馬を与えたためでした。

なぜ董卓仲穎が呂布奉先に赤兎馬を与えたかと言えば、呂布奉先に養父を裏切るためのエサとして渡したと言われています。呂布奉先には元々、自分の才能を見出してくれた丁原建陽という養父がいました。そんな養父を裏切るのなら赤兎馬を与えるという条件を呂布奉先につきつけたのです。

結果的に呂布奉先は養父である丁原建陽を殺してしまいます。その後も二人目の養父となった董卓仲穎をも殺してしまうのですが、そんな呂布奉先自身も曹操孟徳との戦いによって命を堕とし、結果的に次の持ち主である曹操孟徳へと赤兎馬はわたってしまうのです。

そして曹操孟徳からこの後、何と蜀の名将である関羽雲長へと赤兎馬は渡ります。というのもとある戦いにて劉備の家族のものが蜀によって捕らわれてしまいます。劉備の家族の安否を気遣った関羽雲長は劉備の家族の命の保証と引き換えに自身が魏の軍門に下るという提案をしたのでした。

あの蜀の名将である関羽雲長が軍門に下るのですから曹操孟徳としては嬉しくてたまりません。感動した曹操孟徳は劉備の家族を丁重に扱った上で、関羽雲長に対して多くの貢ぎ物をしました。計算高い曹操孟徳の事ですから関羽雲長の心を掴むための作戦だったのかもしれませんね。

そんな中でも関羽雲長が最も喜んだのが赤兎馬でした。呂布奉先が養父を裏切ってまで手に入れた馬ですから当時はそれだけの価値があったのかもしれません。後に劉備玄徳への忠義の心を忘れられなかった関羽雲長は手柄を立てると引き換えに魏を去って行きました。多くの貢ぎ物は返却しましたが赤兎馬だけは持って帰ったそうです。

赤兎馬の速さとはどのくらい?

赤兎馬は一日で千里を走るなどと誇張されてますが、この数字は現実的には不可能と言えるかもしれません。現代の競走馬は時速90㎞がいいところですが、この時代の軍馬はせいぜい30㎞と言われています。ただ誇張されるくらいなのである部分は優れていたのかもしれませんね。

その優れている部分とはおそらくスタミナです。魏に関羽雲長が下った際に赤兎馬を譲り受け、喜んでいると赤兎馬を与えた曹操孟徳がなぜそんなに喜ぶのかと尋ねたことがあるそうです。それに対して関羽雲長は行方知らずの兄者が見つかったとき、この馬ならすぐに馳せ参じることができると答えています。

この時、兄者である劉備玄徳がどこにいるかということは分かっていませんので、相当遠くで見つかる可能性もあることから赤兎馬は長い距離を走れるスタミナのある馬であることが何となく読み取れます。ということで赤兎馬はもしかすると強靭なスタミナを持つ馬なのではないかと推測できるのではないでしょうか?

赤兎馬の容姿

赤兎馬の容姿というと何となく赤い馬ということはわかりますが、実際はどうだったのでしょうか?容姿を探る上でのヒントとして名前にも大きなヒントがあります。赤兎馬の名前には兎という文字が入っているのはご存知でしょうか?

当時は馬は兎のような顔をしていると速く走ると考えられていました。よって赤兎馬は兎のような顔をしていたと考えられるでしょう。ついでに赤毛というのも速く走る要素のひとつだということです。ということはその両方を持っている赤兎馬は三国志時代のサラブレットなんですね。

衝撃的事実!赤兎馬の子孫はアハルテケだった。

呂布奉先や関羽雲長が乗っていたという名馬である赤兎馬には子孫がいるという噂を耳にしたことはないでしょうか?子孫だと言われているのはトルクメニスタンが原産国となっている黄金の馬であるアハルテケだということです。

黄金の馬と聞いてクエスチョンマークを頭に浮かべる人も多いかとは思います。だってそもそも赤兎馬は赤毛の馬であって黄金の馬ではないですからね。とはいえ、このアハルテケが子孫だと考えられている理由は先ずは赤兎馬の特徴である強靭的なスタミナを兼ね備えているところにあります。

この時代の中国では現代のような競走馬というよりはどちらかというとポニーに近い馬が軍馬として扱われていました。当時の中国ではトルクメニスタンは安息国として認識されており、当時の皇帝は中国の馬と比べて種類的に良血であるアハルテケを好んで買ったとされています。

ということは、当時の中国では群を抜いて素晴らしい馬なわけですから、赤兎馬イコールアハルテケという図式が成り立ってしまうんですよね。赤というのも赤兎馬が汗血馬であったとされることや、ピンクゴールドの毛並みのものもいるとのことで見事に共通点が出来てしまったわけです。

現に赤兎馬そのものが創作だとされることもあるので確証はありませんが、モデルとなったのはおそらくアハルテケだったのではないでしょうか?ちなみに現代では競走馬として使われることはありませんが、アハルテケの名前が由来になっているレースはあります。

気になるのが馬の値段ですが、世界に3000頭しかいない希少な馬なのでさぞかし高いと思って調べてみると一頭数千万はするそうです。今年の有馬記念をとったキタサンブラックが数百万円から2500万円と言われているのでアハルテケがいかに高いかわかるかと思います。お金持ちになったら是非購入してみたいですよね。

まとめ

今回は三国時代の名馬である赤兎馬について紹介してきましたがいかがでしたでしょうか?架空の馬とは言われていますが、こうして調べてみると様々な情報や憶測があって面白いと感じました。 今も昔も共通しているのは非常に高価な馬であったという事実です。

しかし、個人的には劉備玄徳の元へ戻る関羽雲長が赤兎馬だけは返さずに持って行ったというところに思わず笑ってしまいました。もしかすると全部返そうかと悩んだ末にいいやこれだけはもらっちゃえという関羽雲長のわずかなずる賢さというか我儘な部分が出たのでしょうね。

まぁ馬一頭に見合う働きは十分にしていると思うので確かに曹操孟徳に文句を言われる筋合いはないというのが本音かもしれません。今回は赤兎馬について語らせていただきました。最後まで読んでくださってありがとうございました。

関連するキーワード


関羽 呂布 赤兎馬 曹操

関連する投稿


呂布・司馬懿だけじゃない!蜀漢の裏切り者たち

呂布・司馬懿だけじゃない!蜀漢の裏切り者たち

三国志演義代表の裏切り者といえば呂布や司馬懿でしょう。しかし、離反した人物は蜀でも少なからずいます。裏切り者たちは主に対し、どのような不満を抱いていたのでしょうか?彼らのその後と共に見てみましょう。


一途な武将や愛妻家は誰!?三国時代のフェミニストに迫る

一途な武将や愛妻家は誰!?三国時代のフェミニストに迫る

日本では一夫一妻が常識とされていますが、時代によっては変わるもの。跡取りを必要として多くの側室を抱えたという日本の戦国時代にも一途な武将は沢山いました。これは三国志でも同様なのでしょうか?そこで今回は一途に女性を愛し続けたという三国志の武将を紹介します。


三国志・最強の武将・呂布を選んだ名士・張邈と軍師・陳宮

三国志・最強の武将・呂布を選んだ名士・張邈と軍師・陳宮

三国志最強の「呂布」の独立に手を貸した陳留郡太守「張邈」と呂布を最後まで支え続けた軍師「陳宮」。この3人の関係はどのようなものだったのでしょうか。宿敵「曹操」を交えてお伝えしていきます。


まるで吉田松陰? 門下生が活躍した人物鑑定家の司馬徽

まるで吉田松陰? 門下生が活躍した人物鑑定家の司馬徽

三国志の時代には学問を教えたり、思想を語り合うなどして、門下生を取っている人材もいました。人物鑑定家として名を残している司馬徽もその一人です。司馬徽はホウ統の才能を見抜き、徐庶や韓嵩、向朗、尹黙ら諸国で貢献した政治家を門下生として扱っています。そんな司馬徽やその門下生の活躍を見ていきましょう。


三国志・大将軍の何進と司徒の袁隗に招聘された大物たちとは

三国志・大将軍の何進と司徒の袁隗に招聘された大物たちとは

後漢末期に新しい時代を担う期待の星として、大将軍の何進と司徒の袁隗から招聘を受けた人物たちがいます。曹操を絡めた運命の交わり方は実にドラマチックです。


最新の投稿


呂布・司馬懿だけじゃない!蜀漢の裏切り者たち

呂布・司馬懿だけじゃない!蜀漢の裏切り者たち

三国志演義代表の裏切り者といえば呂布や司馬懿でしょう。しかし、離反した人物は蜀でも少なからずいます。裏切り者たちは主に対し、どのような不満を抱いていたのでしょうか?彼らのその後と共に見てみましょう。


【三国志with日本史】その頃日本は…〇〇があった(3)

【三国志with日本史】その頃日本は…〇〇があった(3)

本記事は三国志と日本古代史でおきた主なできごとを同時進行でご紹介しています。「三国志で○○の戦いがあったとき、日本では○○があった」の形式でお送りするので、ぜひご一緒に両国の歴史をおさらいしましょう。


呉の切り込み隊長! 戦闘力が高い【甘寧】

呉の切り込み隊長! 戦闘力が高い【甘寧】

呉において、一番戦闘力が高い武将といえば、甘寧を挙げる三国志ファンも多いでしょう。ゲームなどでは実際に武力が高く、呉を攻めるとラスボスのように立ちふさがります。甘寧は魏の張遼や蜀の関羽並みに評価されており、史実でも呉の窮地を救った英雄となっています。そんな甘寧をここで紹介していきましょう。


三国志・慈愛と嫉妬が入り混じる後宮での闘争劇『呉編』

三国志・慈愛と嫉妬が入り混じる後宮での闘争劇『呉編』

陰湿な権力闘争が繰り広げられる「後宮」。ここはまさに女性たちの戦場です。今回は呉の後宮の様子についてお伝えしていきます。そこにはまさかの「あの英雄」の娘も登場します。


男が惚れる豪傑・太史慈(子義)の魅力

男が惚れる豪傑・太史慈(子義)の魅力

三国志でも最強の一人と謳われた太史慈子義は特に弓の名手として名を馳せていました。彼の武勇伝や生きざまは見事としか言いようがなく、三国志ファンの中で一番好きという人も少なくありません。そんな太史慈子義の魅力について紹介します。


https://sangokushirs.com/articles/196