三国志を題材にしたゲームには史実だけでなく演義が影響して能力値が振り当てられていることが多く、蜀の中心人物である諸葛亮や関羽、趙雲は恐ろしい能力値となっています。一方で魏に登場する張遼はずば抜けてはいないものの、すべての平均値が高くて、配下にしたい武将となって大人気となっています。そんな張遼はどのような武将だったのでしょうか。
歴史は延々と続くものですから、正史三国志の時代のスタートはいつなの?と明確に示すことはできません。ですが、物語である三国志演義では明確なスタート地点があります。黄巾の乱です。黄巾の乱は歴史の授業にも出てくる、学問的にも大きな事件でです。壮大なる三国志の幕開け、黄巾の乱。一体どのような事件だったのでしょうか?
後漢末期に新しい時代を担う期待の星として、大将軍の何進と司徒の袁隗から招聘を受けた人物たちがいます。曹操を絡めた運命の交わり方は実にドラマチックです。
三国志は、後漢皇族のいい加減な政治によって始まったものです。しかし、その皇帝たちの出来事は陰に隠れがち。黄巾の乱から陽人戦の間に起きた「十常侍の乱」以降も、どうなったのでしょうか?「黄巾の乱」で活躍した何進とその妹は、なぜ十常侍の乱に関わっているのでしょうか?また、黄巾の乱は三国志演義ベースで紹介しています。
曹操とは何者だったのか(青年編 4) 何進も董卓も、俺の相手ではない
霊帝の死後、政局は一気に動き出します。何進、董卓といった権力者たちの動向は、曹操の進路にも大きな影響をあたえましたが、曹操は彼らの政治が上手くいかないことを、前もって見抜いていたのです。
三国志の三国とは魏・呉・蜀の三国が県立した三国時代(222年―263年)のことを指しますが、多くの群雄が活躍した三国志の広義の時代となると、後漢末の黄巾の乱の勃発(184年~)からをいいます。その前半部分ともいえる黄巾の乱から董卓の台頭までをみていきましょう。
トホホな大将軍・何進、無念の死の背景―――何進を再考する(3)
三国志の冒頭でキーパーソンとなる武将、何進(かしん)。黄巾の乱を鎮圧し、大将軍として朝廷に君臨します。しかしその後、皇帝に近侍する宦官(かんがん)に討たれ、あっけなく生涯を終えました。大将軍ともあろう者が、どうして宦官などに首を討たれたのか? 黄巾の乱の鎮圧後、彼の人生が辿った軌跡を振り返ります。
トホホな大将軍・何進の、輝ける日々!―――何進を再考する(2)
三国志の冒頭でキーパーソンとなる武将、何進(かしん)。美人の妹のおかげで大将軍に出世するも、政敵のワナにはまり、あっけなく生涯を終えました。しかし! そんな彼にも「大将軍」としての輝ける日々があったのです。暗殺の危機をかわし、ライバルを倒し、権力を安定させる怒涛の活躍! 何進の意外な有能ぶりを見ていきましょう。
トホホな大将軍・何進、意外と有能?―――何進を再考する(1)
三国志の冒頭でキーパーソンとなる武将、何進(かしん)。美人の妹のおかげで大将軍に出世するも、政敵のワナにはまり、あっけなく生涯を終えました。それでも、低い身分から出世街道を歩んだ何進。とりあえず黄巾の乱も鎮圧しています。実は意外とデキる人だったんじゃないか? そんな視点から、まずは彼の前半生をふり返ります。
「蒼天己死」~そうてんすでにしす~ 腐敗した漢王朝に代わる新しい世界を求めた者たちは、この言葉のもと各地で蜂起する。これが「黄巾の乱」である。この反乱が成功することがなかったが、三国志の英雄たちを歴史の表舞台に登場させることとなる。