三国志・呉の武将の中で最も多くの一騎打ちを演じたのは甘寧だった

三国志・呉の武将の中で最も多くの一騎打ちを演じたのは甘寧だった

呉の武将の中で猛将と呼ばれる「甘寧」ですが、三国志演義で確認してみても、確かに素晴らしい武功をあげています。甘寧の一騎打ちの成果を見ていきましょう。


甘寧のプロフィール

甘寧のプロフィール

甘寧のプロフィール

甘寧、字は興覇。祖先の地は荊州南陽郡ですが、益州に移住し、甘寧は益州巴郡の出身です。
一時は益州で役人として働いていましたが、何らかの事情で益州を出て、隣州である荊州に移っています。李傕に呼応し、益州の支配者である劉璋に反乱を起こした将のひとりではないかという説もあります。

益州に住んでいた頃から粗暴な人物として有名で、平然と人を殺したと記されています。ただし、戦術に優れ、武勇のある人物や志のある人物を優遇したので、人望はあったようです。

水牛の尻尾の旗指物を背負い、弓を持って武装し、腰には鈴をつけていたといいます。仲間たちも同じように鈴を身に付けていたので、住民たちは鈴の音を聞いて、甘寧の一味が近づいてきたことを知ったそうです。

三国志演義では河賊の設定の甘寧

三国志演義では河賊の設定の甘寧

三国志演義では河賊の設定の甘寧

三国志演義では、甘寧は江湖一帯に縄張りを持っていた河賊の頭領という設定になっています。河賊の集団の名は「錦帆賊」です。共通するのはやはり鈴の音です。

甘寧が心を入れ替え、主君に従うようになるのは、賢者の書物を読んで改心したためであり、そこで荊州の牧である劉表に仕えることを希望します。
ただし劉表は甘寧の粗暴の悪さを懸念していたのか、甘寧を用いることはしませんでした。甘寧は多くの食客を引き連れて、江東に移ろうとしましたが、江夏郡の太守である黄祖がそれを阻止したために、客将のような扱いで黄祖に仕えるようになります。

しかし、黄祖も甘寧を信用せず、重用することはなかったため、都督の蘇飛の協力も借りて、孫権の下に身を寄せ、周瑜や呂蒙の推薦によって重く起用してもらえるようになったのです。

三国志演義の甘寧の一騎打ちの回数

三国志演義の甘寧の一騎打ちの回数

三国志演義の甘寧の一騎打ちの回数

蜀が主役の三国志演義において、呉の武将が一騎打ちを演じる場面はかなり少な目です。そんな中でダントツの一騎打ちの回数を誇るのが甘寧になります。その数は、呂布や張遼と並ぶほどです。しかもその勝率は、蜀の五虎大将軍の中で最も勝率の高い趙雲に並ぶほどになっています。かなりの活躍ぶりです。

甘寧が登場するのは、三国志演義の第38回からになります。第83回で戦死します。ここで驚くべきなのは、甘寧は黄祖配下として孫権軍と戦い、その後は孫権配下として曹操軍や劉備軍と戦っています。つまり魏・呉・蜀の三国と戦闘した経験を持っているということです(その時期に呉は建国されていませんが)。

甘寧の一騎打ち(孫権VS黄祖)

甘寧の一騎打ち(孫権VS黄祖)

甘寧の一騎打ち(孫権VS黄祖)

第38回の登場では、黄祖配下として、攻め込んでくる孫権軍の武将・凌操を射殺しています。(凌操は流れ矢に当たって戦死したという説もあり)そのため、甘寧は凌操の息子である凌統から仇として狙われ続けることになるのです。

第39回では甘寧は孫権軍に降っており、逆に黄祖を攻める立場となります。
この戦いで甘寧は、敵の船に乗り込み、元同僚である鄧龍という武将を討ち果たしています。
さらに甘寧はかつての上司である黄祖と対峙することになり、逃げる黄祖を背後から射て落馬させ、そこを討ち果たしました。(三国志正史では黄祖を討ったのは別の武将です)

宿敵である黄祖を討ったことで孫権は祝宴を設けますが、ここで凌統が甘寧に斬りかかります。ここは孫権が制止させ引き分け(三国志正史では、呂蒙が設けた宴会の席で互いに剣舞を披露し激突。ここは呂蒙が仲裁しています)

甘寧の一騎打ち(孫権VS曹操)

甘寧の一騎打ち(孫権VS曹操)

甘寧の一騎打ち(孫権VS曹操)

河北を制した曹操軍は巨大勢力となり、南下、劉表の後継者である劉琮は戦わずに降伏します。劉琮の軍勢を手中に入れた曹操は、そのまま孫権を降そうと動き、「赤壁の戦い」へと進んでいくのですが、甘寧はその前哨戦で、蔡瑁の弟である蔡勲を射殺しています。

赤壁の戦いで周瑜の策略によって大敗した曹操を甘寧は追撃しました。ここで元は袁尚に仕え、曹操に降った武将、馬延と張顗の両将を討って曹操を追い詰めます。(三国志正史にはこのような記録はありません)
さらに甘寧は曹洪とも激突。曹洪は十数合ほど打ち合いましたが、敵わないと感じて逃亡しました(三国志正史には記録なし)

その後、曹操の領土を孫権側が侵攻することになります。盧江郡の太守である朱光は、城壁をよじ登ってきた甘寧に討たれました(三国志正史では捕縛。その後返還されています)
濡須の戦いでは、魏で武功をあげてきた楽進と戦い引き分けています。ここは楽進がわざと退却しています。
その後、楽進は凌統と五十合も打ち合う一騎打ちを演じますが引き分け、曹休が凌統の馬を射て凌統が落馬したところを討とうとした楽進が、今度は甘寧の矢によって額を射られて落馬します。楽進は戦死したわけではありませんが、その後は物語に登場してきません(三国志正史では甘寧に射られた記録はなく、病没)

甘寧の一騎打ち(孫権VS劉備(玄徳))

甘寧の一騎打ち(孫権VS劉備(玄徳))

甘寧の一騎打ち(孫権VS劉備(玄徳))

これほどの功績を残してきた甘寧でしたが、最期はかなりあっさりとしています。関羽の敵討ちと荊州奪還を目論む劉備(玄徳)と夷陵の戦いで激突。
ここで甘寧は、劉備(玄徳)に協力した異民族の沙摩柯に頭を射抜かれて、戦死してしまうのです。甘寧は病の中で出陣したという設定になっています。
富池口の大樹の下で息を引き取った甘寧の屍を、数百羽のカラスが守ったという逸話もあります。(三国志正史での甘寧は、沙摩柯に討たれたという記録がなく、病没)

実績のある甘寧ですが、蜀相手にはあまり成果を出していません。どちらかというと蜀のライバルである魏との戦いで成果を出す存在として描かれています。
もともとは蜀の地で誕生したという経緯も関係しているのもかもしれませんね。

まとめ・12戦9勝の甘寧

まとめ・12戦9勝の甘寧

まとめ・12戦9勝の甘寧

ということで、三国志演義では、甘寧は12回の一騎打ちを演じ(遠目から射ているのも含めていますが)、なんと9勝しています。勝率75%です。これは関羽・張飛・馬超らを圧倒した優秀な成績です。引き分けが少なく、相手の武将を討ち果たす確率がとても高いのが甘寧の特徴です。

ちなみに負けが一度しかありません。その相手が異民族です。三国志演義の脚色であれば、蜀の武将、例えば黄忠や関興、張苞に花を持たせてもよかったはずなのですが、なぜでしょう?

これはもしかすると、その後の諸葛亮(孔明)の南征に繋がる布石なのかもしれません。異民族にも甘寧を倒すような強い武将がいるのだということをアピールする狙いがあったのではないでしょうか。

どちらにせよ、甘寧の武は、呉の中でも特別な輝きを放っているのは確かですね。





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