関羽が曹操軍に!?この時代から軍神の人物像を紐解く

関羽が曹操軍に!?この時代から軍神の人物像を紐解く

劉備(玄徳)軍の大きな支えである関羽。しかし、ある機を境に曹操軍の配下となってしまいます。劉備(玄徳)らはどのような心境だったのでしょうか?演義における曹操軍時代から、関羽の人物像を紐解いてみましょう。


関羽の容姿と大まかな来歴

赤い肌と身長2mを誇る大男で、長いヒゲが印象的な人物です。ヒゲの長さは、今でいうならサンタクロースに近いかもしれません。しかし、そのヒゲの美しさから「美髭公(びせんこう)」とも呼ばれました。

184年に起きた黄巾の乱で、劉備(玄徳)と張飛に出会いました。3人は張飛の庭で桃の花を眺めつつ、共に戦うことを誓います。陽人の戦いでは、3人がかりで呂布と互角になったことも。
劉備(玄徳)軍が「蜀」として建国する前から、側近として大活躍しました。

やがて219年に起きた「樊城の戦い」で呉軍(孫権軍)に殺害されましたが、現在も英雄として人気がきわめて高いです。
日本含め、アジア圏各地で「関帝」として祀られています。

曹操軍にくだった経緯

陽人の戦いの後、紆余曲折を経て劉備(玄徳)は呂布に狙われます。やむなく曹操と手を組み、呂布を倒す劉備(玄徳)。これ以降、曹操は劉備(玄徳)軍を恐れるようになりました。

張飛が曹操軍に夜襲をかけたものの、曹操はこれを察知。返り討ちに遭った劉備(玄徳)は他軍の袁紹を頼り、関羽は曹操軍に囲まれました。そして関羽は、「(曹操が)劉備(玄徳)の家族を殺さない・傷つけない」という条件を提示した上で降伏します。曹操はこの条件に承諾し、関羽を自身の配下にしました。

曹操からの扱い

「あの関羽が俺の仲間に!」
曹操は嬉しいあまり、関羽と劉備(玄徳)の家族を思いっきり歓迎しました。関羽に対するプレゼントも、想像を絶するほど豪華です。

多くの美女や金品、錦のヒゲ袋、赤兎馬。美女たちも「関羽さまのお傍にいられる」と内心舞い上がったことでしょう。
しかし、関羽が唯一喜んだプレゼントは「赤兎馬」でした。赤兎馬は血のように赤く力強い馬で、元々は呂布の所有物です。以降、関羽はこの馬に必ず跨りました。

ちなみにこのヒゲ袋は、関羽がヒゲの切れ味に悩んでいたときに曹操が絹で作ったものです。「大事なヒゲを守ってあげたい」という曹操の熱い想いが詰まっています。

関羽の心境

敵軍とはいえ、心のこもった贈り物は嬉しいものです。しかし、劉備(玄徳)に対する忠義心が揺らぐことは決してありませんでした。
それでも「(曹操に対し)下手なことはできない」と思ったため、何か手柄を立ててから去ることを決意します。この思いを、曹操の配下・張遼に告白しました。

そして関羽は曹操の元を去るまでの間、劉備(玄徳)の家族に限りなく忠義を尽くします。

一方、曹操もこれに察したのか、のちの「官渡の戦い」で敢えてチャンスを失くすよう仕向けたのです。

曹操軍配下となった関羽の活躍

官渡の戦いでは袁紹軍と曹操軍が衝突。劉備(玄徳)は袁紹の元にいました。
袁紹軍の顔良と文醜により、曹操軍は苦しめられました。そこで関羽は、その2人をあっさりと倒してしまいます。

顔良は、曹操軍の武将を2人も秒殺しました。次いで文醜は、屈強の張遼と徐晃に勝てるほどの強さです。しかし、関羽を戦場に出すと曹操軍から離れてしまうため、曹操はずっとためらっていました。

優れた武勇と義理堅さを持った関羽。これは曹操でなくても、簡単に手放したくはありません。

関羽、曹操の元を去る

とうとう曹操から離れる時がやってきました。関羽はスパイを利用して劉備(玄徳)の居所を知り、彼の元に戻ることにします。劉備(玄徳)宛ての手紙を送ったあと、関羽は曹操に面会を申し込みました。

曹操が居留守により応じなかったので、関羽は書面を残して去ります。これまでのプレゼント(赤兎馬除く)も置いていきました。

劉備(玄徳)一家の乗る馬車が山賊で襲われるも、無事救出。その先にある5つの関所が、関羽にとって壁だったのです。
関羽は曹操の許可を得ているため、これらの関所を通ろうとします。しかし、それらを守る曹操軍の配下が許さなかったので強行突破しました。

ついに関羽は、劉備(玄徳)・張飛と再会を果たしたのです。

劉備(玄徳)軍の心境

とはいえ、この再会も決してスムーズだったとは言えません。疑心暗鬼の張飛や諸葛亮とのやり取りは流石に荒れました。

まず、張飛は関羽を見た矢先に「裏切り者!」と怒鳴ります。そこで関羽は、自身を追ってきた蔡陽(曹操軍の配下)をその場で斬りつけたのです。「はい、これでわかったでしょ」と言わんばかりの流れです。この蔡陽はもともと関羽の行方を特定していたので、(関羽にとって)大変都合の良い存在でした。

その後も、「赤壁の戦い」において諸葛亮は関羽を処断しようとします。関羽は、一度は敵軍と通じた身。諸葛亮はルールにならって始末しようとしますが、劉備(玄徳)が止めたことで免れました。

ピンチを免れた劉備(玄徳)

劉備(玄徳)も、下手すれば早いうちに殺されていた人物です。袁紹軍の顔良と文醜が関羽に討ち取られたため、袁紹は真っ先に劉備(玄徳)を殺そうとしました。

「ヒゲの長い奴って関羽だよね。そうだよね?」
袁紹はそう言って劉備(玄徳)を追い込みます。しかし、劉備(玄徳)が必死で「違う」と否定したことで、袁紹による処刑を2度も免れました。

劉備(玄徳)は関羽がいない間落ち込み続けていましたが、「必ず戻ってきてくれる」と信じ続けたのです。

夏侯惇と蔡陽の反感

隻眼の武将・夏侯惇は、曹操を古くから支える武将です。曹操とは親戚関係でもあります。
そんな夏侯惇は、関羽に対する強い執念を抱いていました。

関羽が劉備(玄徳)の元に戻る際、何度も立ちはだかったといいます。「今ここで逃せばあとあと面倒だから」と討ち取ろうとしたのです。曹操の命を受けた張遼が止めたので、何とか落ち着きました。

同じく曹操の配下である蔡陽も、関羽に対し反感を抱いていました。関羽を追うことは曹操にとってタブーでしたが、蔡陽はこれを無視。結局関羽に斬られたので、自業自得と言えます。

曹操軍にいてもブレない関羽

関羽は一時的に曹操の配下となりました。しかし、義に厚いということは流されることでもありません。

プレゼントを突き放す勇気はなかなかのもの。曹操に「No」を示すことで立場を失った者は少なからずいますが、関羽は例外だったのです。
手柄を立てることで恩返しをする。これもまた、関羽らしいですね。

SNSなど手ごろな連絡手段がなかった三国時代。劉備(玄徳)らはやきもきしていたことがわかります。最終的にきちんと再会できたのは、関羽が劉備(玄徳)たちへの思いを貫き通してきたからでしょう。

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