漢中開戦!張郃(儁乂)、張飛(翼徳)に完敗

漢中開戦!張郃(儁乂)、張飛(翼徳)に完敗

218年、三国志の永遠のライバルたる曹操(孟徳)と劉備(玄徳)の勢力が激突します。それまで、常に強大勢力の曹操(孟徳)が矮小な劉備(玄徳)を「追う」構図でしたが、荊州・益州を支配し一大勢力となった劉備(玄徳)が曹操(孟徳)の勢力を次々と打ち破って行く展開となって行きます。最初の攻防は蜀の張飛(翼徳)と魏の張郃(儁乂)。戦いの経過を見て行きます。


漢中大攻防始まりのきっかけは「売り言葉に買い言葉」

張魯(公祺)を降伏させ漢中を平定した曹操軍。この動きに警戒した蜀は漢中付近に張飛(翼徳)と馬超(孟起)を送り込みます。二人とも五虎大将軍の精鋭。国境付近の緊張は一気に高まります。曹操(孟徳)も曹洪(子廉)、夏侯淵(妙才)、張郃(儁乂)を派遣して万全を期します。

魏vs蜀…共に一大勢力。戦いが始まれば歴史的な大戦乱になることは間違いありません。当初、魏からも蜀からも積極的に攻め込む気配はありませんでした。睨み合いです!曹操(孟徳)のから曹洪(子廉)たちに下された命令も「監視」でした。しかし、血気にはやる張郃(儁乂)が現場の指揮官たる曹洪(子廉)に意見します。

「いつまで睨み合いを続けるのか?将軍(曹洪)は必要以上に張飛(翼徳)、馬超(孟起)を恐れているのではないか?」

この言葉に曹洪(子廉)は激怒します。張郃(儁乂)はやや蜀の勢力を甘く見ている様子がありましたが諫めても張郃(儁乂)は聞きません。そしてこうなります…。

「そんなに言うならお前(張郃)が戦って来てみろ!」。

こういうのを「売り言葉に買い言葉…」こんな形で「魏vs蜀」の漢中大攻防が始まります。

戦場での酒盛り 挑発と駆け引きを諸葛亮(孔明)が後押し

張飛(翼徳)と張郃(儁乂)は激しい戦いを展開しますが、次第に張飛(翼徳)有利になり、張郃(儁乂)は砦に籠城する作戦を採ります。地形が複雑な漢中、籠城されると攻め落とすことが難しくなります。攻めあぐねる張飛(翼徳)を見て張郃(儁乂)が出た行動は、なんと「酒盛り」でした。
砦の上から張飛軍を見下ろし、「退屈じゃのう、砦が落ちる訳でもなし…」と張飛(翼徳)に聞こえるように呟きながら酒を飲んでいます。もちろん、「挑発」が目的です。酒に関しては他に引けを取らない張飛(翼徳)。張飛軍も負けじと砦の正面で酒盛りを始めます。戦場での「酒盛り合戦」です。

この様子を聞いた劉備(玄徳)は心配します。張飛(翼徳)の酒癖の悪さを心底味わっているからです。かつて、張飛(翼徳)の酒癖が原因で国(徐州)をそっくり乗っ取られたことすらあります。しかし、時は経ち、張飛(翼徳)も幾多の経験を重ね、今回の行動(酒盛り)も「作戦である」と察した諸葛亮(孔明)は「張飛(翼徳)の作戦を後押しするのが得策」と判断し、特上の酒を大量に届けさせます。

お祭りのような華やかな荷駄隊で「特上の酒」は張飛軍に届けられました。張飛軍の「酒盛り」はますます盛り上がります。

張郃(儁乂)、藁人形に突撃して敗北 瓦口関へ逃げ込む

連日の酒盛り合戦が繰り広げられていたある日の夜、とうとう張郃(儁乂)が動きます。酒盛りに明け暮れ、張飛(翼徳)は油断して完全に酔っぱらっているとの報告が入ります。待ってました!とばかりに張郃(儁乂)は夜襲を仕掛けます。張飛(翼徳)の幕舎を襲撃し、張飛(翼徳)の首を槍で一突き!

「やったぞ!」と喜んだのも束の間。首を取ったのは藁人形…。

騙された…張郃(儁乂)が気付いた時には「時、既に遅し」でした。

「夜襲」は完全に読まれており、張郃(儁乂)は張飛軍に取り囲まれてしまいました。成すすべなく攻撃される張郃軍。何とか血路を開いて逃げ延びますが、砦に戻るとそこは火の海…三つの砦はすべて焼き払われていました。

まんまと「夜襲」を受けてしまったのは張郃(儁乂)の方でした。張飛(翼徳)が酔ったと見せかけられ、砦を飛び出したところに襲撃を受け、張郃(儁乂)自身は張飛軍に背後から攻撃を受け…散々の完敗です。張郃(儁乂)軍は分断され、三つの砦は焼かれ、三万の兵の半数を失い、瓦口関へ逃げ込みます。

瓦口関が落ちるはずがない 張郃(儁乂)の勝気すぎる気性

張郃(儁乂)が逃げ込んだ瓦口関は天険の要害(まぁ、漢中や蜀の城はほとんどそうですが…)、またもや張飛(翼徳)は攻め切れません。戦いは膠着状態となり、そうなると攻めている側の張飛軍の士気は下がり、守っている張郃軍の士気は上がります。

そもそも張郃(儁乂)自身は非常に武力の高い武将で、後年、司馬懿(仲達)の下で諸葛亮(孔明)の北伐に対抗する魏の武将として大いに活躍します。しかし、彼の欠点は「勝気すぎる気性から油断する」ことでした。

三つの砦が焼かれた時も、張飛(翼徳)を挑発する「酒盛り」は必要ありませんでした。砦を攻め切れない張飛(翼徳)を見下してあざ笑い、油断して墓穴を掘ってしまいます。これは、瓦口関でも同じような経緯を辿ります。攻めて来る張飛軍を幾度となく追い払っているうちに「瓦口関が落ちるはずがない」と自信過剰になり…これが油断につながります。

張飛(翼徳)の知略により瓦口関があっけなく陥落

瓦口関攻撃においても、張飛(翼徳)は冷静でした。正面攻撃での攻略が難しいと悟ると、瓦口関周辺の地形を調べ始めたのです。すると、複雑な地形を調べ回っているうちに地元の農民が瓦口関近くの間道を歩いていることを突き止めます。農民に尋ねると、その間道は瓦口関の裏側を通っているとのこと。

これで勝負ありでした。

「張飛(翼徳)は正面からしか攻めようがない」「瓦口関が落ちるはずがない」勝気な気性故にそう思い込んでしまっている張郃(儁乂)。瓦口関後方は全くの手薄。

数日後に張飛軍の攻撃が始まりました。指揮する大将は魏延(文長)。張飛(翼徳)の姿はありません。これがさらに張郃(儁乂)軍を増長させます。「(張飛軍が)懲りもせずご苦労なことだ」「いつも通り適当に片付けてやれ」と言わんばかりに「ナメてかかって」迎撃しますが、この日はそうは行きませんでした。

魏延(文長)の一軍に誘い出された張郃軍が争っているうちに、瓦口関内部から火の手が上がります。この時も張郃(儁乂)は「裏切者が出たのか?」と思い込む程でした。そのくらい背後からの攻撃を想定していなかったのです。

火を放ったのは張飛(翼徳)の一軍。瓦口関はあっけなく陥落。張郃(儁乂)軍は四散します。

まとめ

当時の上官たる曹洪(子廉)を批判し「売り言葉に買い言葉」をもって出撃した張郃(儁乂)でしたが、預かった三万の兵をすべて失って曹洪(子廉)の下にただ一人帰還しました。当然、曹洪(子廉)は張郃(儁乂)を打ち首にしようとしますが、部下たちに諫められて思い留まります。この辺りからも張郃(儁乂)が魏内部で一目置かれる武将だったことが伺えますが、汚名を挽回するまで、張郃(儁乂)は魏の内部的に厳しい立場となります。

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