一途な武将や愛妻家は誰!?三国時代のフェミニストに迫る

一途な武将や愛妻家は誰!?三国時代のフェミニストに迫る

日本では一夫一妻が常識とされていますが、時代によっては変わるもの。跡取りを必要として多くの側室を抱えたという日本の戦国時代にも一途な武将は沢山いました。これは三国志でも同様なのでしょうか?そこで今回は一途に女性を愛し続けたという三国志の武将を紹介します。


生涯一人の女を心に思い続けた夏侯尚伯仁

夏侯尚伯仁と聞くとわりとマイナーな武将なのでご存じない方もいるでしょうが、お察しの通り夏侯淵妙才と関係しています。実は夏侯尚伯仁という人は夏侯淵妙才の甥であの曹操孟徳の息子である曹丕子文の親友だった男です。

夏侯尚伯仁には愛する愛妾がおりました。正室がいるのなら一途ではないじゃないかと思った方もいるかとは思いますが、夏侯尚伯仁にとってはこの愛妾こそが他の女性に目もくれないほど夢中になれる存在だったのです。

当然、この時には夏侯尚伯仁には正室がおりました。この正室というのが何を隠そう曹氏からもらった正室でした。しかしながら、正室に目もくれなかったことで親友である曹丕子文は怒って愛妾を殺害してしまいます。

恋は盲目とは言いますが、正にその通りで夏侯尚伯仁と曹丕子文の仲を壊してしまったのも夏侯尚伯仁の愛妾に対する一途な思いでした。それからというもの夏侯尚伯仁はおかしくなってしまいました。毎日、愛妾の墓を掘り起こしては愛妾の顔を眺めていたそうです。

愛妾が亡くなった時期は定かではありませんが、愛妾が亡くなってそう立たないうちに夏侯尚伯仁も後を追うようになくなったそうです。愛妾は彼にとってかけがえのない運命の人だったのかもしれません。あの世では一緒になれると良いですよね。

妻黄月英を愛し続けた天才軍師諸葛亮孔明

三国志を知っている人なら誰もが知っている天才軍師諸葛亮孔明 は愛妻家としても有名です。側室を取るのが当たり前だった三国志の時代において諸葛亮孔明は黄月英以外の女性を側室に迎えようとはしなかったのです。

とはいえ黄月英夫人との間にほのぼのとして恋愛エピソードが潜んでいるといったことはあまり聞きません。実は諸葛亮孔明は黄月英夫人を愛している以前にその能力を認めていたと言われています。というのも実は彼女との結婚は諸葛亮孔明が嫁探しをしていると聞いた黄承彦という荊州の名士が自分の娘をと薦めてきたことから決まりました。

黄承彦は自分の娘は肌は黒く髪は赤いが、頭の出来のほうは諸葛亮公明と釣り合うくらいの才女だと薦めてきました。肌が黒く髪が赤いという時点で恐らく黄月英夫人は異民族であったと考えられます。

諸葛亮孔明が黄月英夫人を嫁にもらうと周囲からは諸葛亮孔明の嫁探しだけは絶対に見習うなと笑われたというエピソードがあります。というのもこの当時の感覚では黄月英夫人は女性としては醜く、いわゆるブスと呼ばれる女性であったと言われています。

しかし、諸葛亮孔明はそんなことは気にしませんでした。結果的に黄月英夫人は内助の功で夫である諸葛亮孔明を支え続けました。また、発明の才能にも優れており、非常に頭の良い女性であったと言われています。頭の良い孔明だからこそ頭の良い女性を選んだのでしょうね。

人間は見た目が8割で決まると言われていますが、頭の良い男性や女性は恐らく人を見た目で判断はしないのでしょう。しっかりパートナーとして歩んでいく中でお互いにメリットのある結婚を選んだのではないでしょうか?だからこそ他の女性に流されない孔明。格好良いですよね。

13人の妻に贈る遺言。意外とフェミニストな曹操孟徳

曹操孟徳と聞くと亭主関白そうだとか、ちょっと怖そうだなんて感じる方もいるでしょうが、そんなイメージとは打って変わって実はフェミニストだったりする部分もあったりします。意外と思われるかもしれませんが実は亡くなる直前に曹操は13人の妻に遺言を残しています。

葬儀が済んで残った香を13人の妻に分け与えるように指示を出したり、子供のいない側室が自分の死後、宮殿を追われる可能性があると考えた曹操孟徳は側室が追い出されたとしても生活していくことができるように手に職をつけるべきだとして組み紐の飾りをつけた下駄の作り方を習わせるように指示をし、夫人たちが自分の死後も困らないように手配しました。

日本の戦国時代もそうですが、女性は政略結婚の道具であったり、子供を産むための道具といった認識も当時はあった中で、曹操孟徳は妻13人に対して自身の死後の人生に困らぬようにと配慮するあたりが物凄く優しいとは思いませんか?

冷酷非道やクールなどといったイメージのつきまとう曹操孟徳ですが、自身のライバルと呼べるような武将たちにとってはそのような人間だったのかもしれません。未亡人にもそんなの関係ないと言い寄る女好きのスケベ親父だと思いきや、単に下心だけで女性にアプローチをかけているわけではないということがわかります。

女性に優しい男性は今も昔もフェミニストだとかモテるだとか言われますが、意外と曹操孟徳はモテてはいませんでした。それでも13人の妻に対する配慮の話を聞いてしまうと曹操孟徳に惚れてしまう女性も現代にはいるのではないでしょうか?

女性に優しい男性はいつの時代も素敵だということ

今回は女性に対して一途な男性や優しい男性について特集してきましたが、いかがでしたでしょうか?夏侯尚伯仁のように運命の人かと思うような女性に出逢って恋をしたかと思えば結果的に周囲に祝福されず恋人を殺され後を追うようなドラマのような恋愛をする人も良いですよね。

諸葛亮孔明のように醜い容姿の夫人を持っていたが為に、周囲からはとやかく言われるものの、そんなことは気にせず。妻の才能や内面的な部分に惚れこんで、結果としてメリットのある結婚をした人間もいます。これは現実的と言えるでしょうか。

曹操孟徳のように死ぬ間際ともいうのに自分の事よりも13人の妻の今後について心配し、自分の死後も妻たちが生活していけるように配慮したフェミニストな男性もとても素敵でした。結論を言えば我儘を聞くのが優しさだとは思いませんが、女性に対してこうした気持ちを持っている男性はいつの時代も素敵だということがわかりましたね。見習いたいところです。

男性の皆さんは彼らのように女性に対して優しくなれると良いかもしれません。女性の皆さんは彼らのように本当に自分を大切にしてくれる人を夫に迎えてみると良いかもしれませんね。その為にはキチンと人を見る目を養わないといけませんよね。頑張りましょう。

関連するキーワード


諸葛亮 曹操 孔明 女性

関連する投稿


徐州--三国志前半の激戦区

徐州--三国志前半の激戦区

三国志演義、序盤から数々の見せ場があります。その中で印象深いものの一つが曹操による徐州での大虐殺でしょう。父親を殺された曹操が復讐のために徐州に攻め入り、劉備がわずかの援軍を率いてやってくる。二人の対称的な姿が映し出されます。その後、呂布や袁術が絡んできて、複雑な人間模様が描かれます。では、正史の徐州での攻防はどのようなものだったのでしょうか?


諸葛亮(孔明)亡きあと後事を託された蒋琬(公琰)と費韋(文偉)

諸葛亮(孔明)亡きあと後事を託された蒋琬(公琰)と費韋(文偉)

あなたは蒋琬(公琰)と費韋(文偉)をご存知でしょうか?この2名はあまり有名ではないものの、諸葛亮(孔明)が亡くなるほんの数日前に「あなたの後は誰に任せたらよいか?」という質問に諸葛亮(孔明)が挙げた2名です。 本記事では諸葛亮(孔明)という天才に後を託された2名について説明します。


ダメ上司にならないために三国志から学ぼう!

ダメ上司にならないために三国志から学ぼう!

三国志に登場する人物はカッコイイですが、実は失敗も多いです。ダメ上司が多くおり、反面教師にすることができます。そこで今回は、魏・呉・蜀のダメ上司を紹介していきたいと思います。ぜひ、反面教師にしてみてください。


張松(永年) 劉備(玄徳)を蜀へ招こうとした人物

張松(永年) 劉備(玄徳)を蜀へ招こうとした人物

赤壁の戦い後、天下三分の計実現のために益州(蜀)攻略を模索していた劉備(玄徳)、諸葛亮(孔明)でしたが、逆に蜀からも漢中の張魯(公祺)に狙われていることを察知した人物たちが、外部から強い指導者を招き入れ、蜀防衛を図ろうと画策していました。その筆頭となって行動したのが張松(永年)でした。


一時代を築いた天性の策士【司馬懿】

一時代を築いた天性の策士【司馬懿】

魏の策略家として名が挙がるのは荀彧や荀攸を筆頭に大勢の文官が揃っていました。しかし、その中でも飛びぬけて出世し、後に魏を倒して晋を建国するまでに至ったのは司馬懿の功績が強かったといえます。一時代を築いた司馬懿の功績をここで紹介していきます。


最新の投稿


徐州--三国志前半の激戦区

徐州--三国志前半の激戦区

三国志演義、序盤から数々の見せ場があります。その中で印象深いものの一つが曹操による徐州での大虐殺でしょう。父親を殺された曹操が復讐のために徐州に攻め入り、劉備がわずかの援軍を率いてやってくる。二人の対称的な姿が映し出されます。その後、呂布や袁術が絡んできて、複雑な人間模様が描かれます。では、正史の徐州での攻防はどのようなものだったのでしょうか?


諸葛亮(孔明)亡きあと後事を託された蒋琬(公琰)と費韋(文偉)

諸葛亮(孔明)亡きあと後事を託された蒋琬(公琰)と費韋(文偉)

あなたは蒋琬(公琰)と費韋(文偉)をご存知でしょうか?この2名はあまり有名ではないものの、諸葛亮(孔明)が亡くなるほんの数日前に「あなたの後は誰に任せたらよいか?」という質問に諸葛亮(孔明)が挙げた2名です。 本記事では諸葛亮(孔明)という天才に後を託された2名について説明します。


ダメ上司にならないために三国志から学ぼう!

ダメ上司にならないために三国志から学ぼう!

三国志に登場する人物はカッコイイですが、実は失敗も多いです。ダメ上司が多くおり、反面教師にすることができます。そこで今回は、魏・呉・蜀のダメ上司を紹介していきたいと思います。ぜひ、反面教師にしてみてください。


三国志・一騎打ちの勝率で父親である張飛と関羽を凌駕した張苞と関興の活躍ぶり

三国志・一騎打ちの勝率で父親である張飛と関羽を凌駕した張苞と関興の活躍ぶり

蜀の猛将「関羽」と「張飛」にはそれぞれ息子たちがいました。三国志演義ではその息子たちが、父親以上の活躍を見せているのです。 「張苞」と「関興」の一騎打ちの成績に注目してみましょう。


三国志巡りの旅行へ!舞台となった土地は今!?

三国志巡りの旅行へ!舞台となった土地は今!?

三国志が中国を舞台にしている物語なのは理解している人も多いですが、実際の舞台となった土地を見に行った人は少ないでしょう。 そこで今回は三国志の舞台になった土地が現在どうなっているのか、現在の状況を紹介します。