【良妻賢母シリーズ第3弾】外で戦う夫を支えた女性たち

【良妻賢母シリーズ第3弾】外で戦う夫を支えた女性たち

みなさんご待望の良妻賢母シリーズ第3弾。今回は武将、参謀、軍師として活躍した人物が外で公務や戦争に明け暮れて家を留守にしている間、家と子供を守ってきた奥様(女性)たちの美談をご紹介いたします。


物語にはあまり登場しない奥様たち

三国志のストーリー上では、武将や軍師たちの奥様についてあまり記述されることはありません。
書類上の記録を見ても「誰の女(むすめ)」、「女」、「誰の妻(妾)」とあり、名前さえわからない奥様も多いです。

三国志演義で具体的に描かれている女性といえば、王允が美女連環の計で呂布と董卓を仲違いするために差し向けた貂蝉。呉の孫策、周瑜に嫁いだ大喬と小喬。劉備を暗殺するために政略結婚させられた孫策、孫権の異母妹の孫夫人(孫尚香/孫麗とも呼ばれる)が有名です。

しかしながら、正史や講談、演劇の台本などを紐解いてみると嫁ぐ以前の美談や痴話喧嘩で武将を負かしてしまう屈強な妻たちの話も存在しています。

類まれなる美貌で曹丕のハートを射止めた甄皇后(しんこうごう)

曹操の跡を継いで魏を建国した曹丕は甄皇后を生涯の伴侶として選びました。甄皇后は魏の歴史を記した正史である魏志の中でも甄姫または、甄皇后(后)としか記述がありません。「甄」というのは、甄皇后の旧姓です。

甄皇后は類まれなる美貌と聡明なる知識を兼ね揃えた才色兼備な女性です。官渡の戦いの後、家督争いをしていた袁紹の息子を殲滅するために曹丕が攻め込んだ戦禍の中で逃げ遅れていたところを曹丕が発見し、垢や泥まみれになっていても美しかった彼女に一目惚れするというドラマティックな出会いを果たします。そんな美女が甄皇后が美しいだけの人ではないと伺えるエピソードです。

親に名家のあり方を説く甄皇后

曹丕の妻となる甄皇后の実家は、漢代の名門で父親は県知事の官職に就いていました。甄皇后は少女時代から聡明であり、庶民や父親の同僚からも称賛されるほどの女性でした。これは甄皇后がまだ少女であったころの話です。

後漢末期、世の中は乱世を迎えていました。戦禍に見舞われた上に飢饉にさらされた人々は、金銀、珠玉、財宝を手放し、食糧に替えて命を繋ぎとめていました。
甄皇后の生家である甄家は普段から穀物などの食糧を備蓄していたので、それらを積極的に買い入れました。その様子を見ていた十数歳の甄皇后は母親にこのように言いました。

「匹夫罪なく、璧を抱くを罪となす。また、左右みな飢乏す、穀をもって親族隣里に振給して、広く恩恵となすにしからざるなり」
(口語訳:このような乱れた世の中で宝物を買い集めるのはいかがなものでしょう?ことわざにも”持たぬとき人に罪なく、玉を抱いて罪生ず”とあります。そのうえ今はどこもかしこも飢えた人々で溢れかえっています。穀物は、親戚や近隣住民に分け与えて恩恵を広めるために用いるのが賢明ではありませんか?)

甄皇后の指摘のあと…

甄皇后の母親は父親にこのことを伝えました。甄皇后の父親は自分の娘が発した言葉に目を覚まさせられました。
たしかに”持たぬとき人に罪なく、玉を抱いて罪生ず”のことわざでも宝をもっていないときは真面目に働くが、一度宝を手にすると欲にかられて罪を重ねてしまうようになってしまう。また、主導的立場にある者が人の弱みにつけ込むことはよくない。
たまたま食糧に余裕があるので穀物と財宝を交換していたが、それでは恩恵を与えるとは言えない。そう考え直して、娘の言を聞き入れ財宝と穀物の交換を中止し、食糧を親戚や近隣住民に配給したそうです。

異能の司馬懿も家に帰ればただの人

諸葛亮の宿敵で生涯を曹魏のために捧げ、晋建国の礎を築いた司馬懿。司馬懿は諸葛亮に匹敵する名軍師で曹丕の家庭教師と魏国初代丞相を務めるほどの逸材です。仕事の上では怖いものなしの司馬懿であったが妻の張皇后にだけは頭が上がらなかったそうです。司馬懿の家庭はまさに典型的な”かかあ天下”。そのきっかけを作ったエピソードがこれです。

司馬懿の仮病

かつて司馬懿は隠居生活を送っており、そこに曹操が目をつけて出仕するように命令をしました。しかし、司馬懿は「中風(ちゅうぶ)で動けぬので出仕はできない」と命令を拒んでいました。

司馬懿のミスを尻拭いする張夫人

曹操の命令を拒んでいた時期に司馬懿は書物の虫干しをしていました。当時紙は貴重で高価なものであったので、書物の虫食いを防ぐために虫干しは必要な作業でした。虫干しをしていたある日にわか雨が降り出しました。司馬懿は年収の半分近くを書物に費やすほどの人物なので、書物は命の次に大事なもの。仮病を使っていることもそっちのけで外に飛び出し、書物を取り込みました。その様子を彼の家で奉公していたたった一人の下女に目撃されていたのです。噂は予想をはるかに上回るスピードですぐに広まってしまうので、「下女が口を滑らせて夫が仮病を使っていることを曹操にバレてしまえば、どんな仕打ちを受けるかわからない」と思った張皇后は、その日のうちに下女を自らの手で殺害しました。それからは張皇后が台所に立って炊事、洗濯などの家事を行いました。この日以来、司馬懿は張皇后に頭が上がらなくなってしまったのです。

諸葛亮が占星術を体得した裏事情

諸葛亮は天体観測をして、星の動きを読みとって吉兆を占う占星術を身に着けていました。しかし、当時占星術は朝廷の行政にアドバイスをするための技術として用いられていたので、占星術を使える道士たちは国家機関に所属しており、門外不出の知識でした。
では、なぜ一介の農民に過ぎなかった諸葛亮が占星術を体得していたのでしょうか?
それは、諸葛亮がお嫁さんの黄月英に占星術の手ほどきを受けていたためだと言われています。

嫁が占星術の師匠

諸葛亮のお嫁さんになった黄月英は女性エンジニアのパイオニアというべき女性です。しかも、黄月英の父親である黄承玄は天文学・地理(風水)などの学問の巨匠。現代でいうところの東京大学理工学部名誉教授くらいの威厳がありました。しかし、天文学は複雑な計算能力を必要とするので、すべての知識や技術を会得できたのは娘の黄月英ただ一人だったようです。

諸葛亮と黄月英の結婚生活はお互いの趣味に干渉せず、本を貸し借りし、食事中や寝る前には自分の知識を教え合ったり思想家の説く考えを議論するといった生活を送っていたようです。
諸葛亮が水鏡先生こと司馬徽から学んでいたのは儒教思想や法家思想であったので、戦略・土木・占星術・設計など後々諸葛亮が身を立てるために使った知識はすべて妻の黄月英が教えたものではないかと言われています。
学ぶことが大好きな諸葛亮にとって、嫁が知識人であったことは幸運だったことでしょう。

まとめ

いかがでしたか?
国中に名を轟かせた偉人であっても奥様の助けを受けて地位を確立、安定させた人物は少なくないようです。もし、旦那様が仕事に行き詰まっていたり、新しいことに挑戦しようとしていたら制止するよりも、旦那を丞相や君主に押し上げた張皇后や甄皇后、黄月英のようにアドバイスやサポートをしてあげてください。

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