三国志で活躍した女性たち 労いや養育の面で女性は長けている

三国志で活躍した女性たち 労いや養育の面で女性は長けている

戦場での攻防や過酷な行軍が取り沙汰されることの多い三国志。武将、文官など多くの男性が登場しますが、そんな男性たちに対し表となり裏となって活躍する女性の活躍も見逃せません。時の権力者の立場を一変させてしまうような場面もあるのです。


蜀の皇帝となった劉備(玄徳)を世に送り出した劉備の母

蜀の皇帝となった劉備(玄徳)を世に送り出した劉備の母

蜀の皇帝となった劉備(玄徳)を世に送り出した劉備の母

三国志で最初に取り上げられる女性です。落ちぶれた劉一門を立て直すために、貧乏な生活に耐えながら劉備(玄徳)に十分な教育を受けさせ、礼儀・作法・武術を身に付けさせます。三国志では様々な演出がなされていますが、「桃園の義」のために酒や肉の手配まで事前にしていたとの話も…。そこまでして我が子に期待し、我が子に投資し、我が子を育て上げた女性です。

劉備(玄徳)が行商中に黄巾賊に襲われ、張飛(翼徳)に助けられますが、そのお礼として自らが持っていた剣を渡してしまいます。この行動に劉備の母は激怒します。命の恩人であったとしても、お礼の意を表す手段として「剣を渡す」という行動を取ってしまった劉備(玄徳)に「武人としての自覚を持ってほしい」と考えたのです。劉備(玄徳)が安喜県の尉の職を捨て、一時故郷の楼桑村に戻った時、母は「あなたが私のことを心配すると言うのであれば、私はここで死にます」とまで言ってのけます。

劉備(玄徳)を一端の武将のみならず「万人の幸福を目指す指導者」に育て上げようとする母親像は、まさに「徹底」されていました。劉備の母なくして劉備(玄徳)は、存在し得なかったでしょう。

董卓(仲穎)と呂布(奉先)を翻弄し民衆を恐怖政治から救った貂蝉

董卓(仲穎)と呂布(奉先)を翻弄し民衆を恐怖政治から救った貂蝉

董卓(仲穎)と呂布(奉先)を翻弄し民衆を恐怖政治から救った貂蝉

架空の人物という説が有力ですが、三国志演義において董卓(仲穎)と呂布(奉先)を翻弄し、ふたりを仲違いさせ、呂布(奉先)が董卓(仲穎)を討つように仕向けて行きます。策略は成功し、董卓(仲穎)は討たれ、民衆を恐怖のどん底に陥れていた董卓(仲穎)の悪政時代が幕を閉じます。

絶世の美女と謳われた貂蝉は董卓(仲穎)に政務を任されていた王允(子師)の養女として育てられました。当時、董卓(仲穎)の悪政に疑問を抱いていた王允(子師)は、董卓(仲穎)の最強の部将であり、ボディーガード役だった呂布(奉先)を董卓(仲穎)と仲違いさせようとしますが、その「仲違いの手段」に良策がなく悩んでいました。そんな「養父」の身を案じ、貂蝉は「身寄りのなかった自分を育ててくれた恩返しがしたい」と進言します。そして、貂蝉が提案した「一計」は、自分(貂蝉)が董卓(仲穎)と呂布(奉先)の両方から気に入られ、ふたりを仲違いさせる…というものでした。

「女」を武器に男たちを翻弄する一計…。一般的には「下策」ですが、貂蝉は「悪女」として描かれていません。むしろ親孝行者…という扱いです。権力を握り、欲望に歯止めが効かなくなっている董卓(仲穎)と呂布(奉先)にこの計略は見事に功を奏します。結果的に時の権力者を討ち取り、大将軍を失脚させた一計です。そして、事の顛末を見届けた貂蝉は、自らの命を絶ちます。

政略結婚ではあったが夫婦仲は良かったと言われる孫夫人

政略結婚ではあったが夫婦仲は良かったと言われる孫夫人

政略結婚ではあったが夫婦仲は良かったと言われる孫夫人

三国志では「政略結婚」の話がいくつか出て来ます。まぁこれは「活躍」というよりも「権力闘争の道具」となってしまった印象もありますが、「自国の組織固め」「敵国との関係強化」に強い影響力を持つ訳ですから「活躍」と表現して良いでしょう。

話としては、袁術(公路)の息子と呂布(奉先)の娘との縁談(破談)。劉備(玄徳)と孫尚香(孫夫人)、曹操(孟徳)が曹節、曹憲、曹華の三姉妹を献帝の后としたことなどが主なものです。物語の中で一番多く扱われるのは、劉備(玄徳)と孫夫人の話です。

劉備(玄徳)には4人の妻がいたとされていますが、そのうちの一人です。赤壁の戦いの後に、政略的に結婚した感がありますが、夫婦仲は良く、後に劉備(玄徳)の後継者となる阿斗の面倒も良く見ていました。武芸を好み、侍女たちにも武装させるなど「男まさり」な面もありました。しかし、呉と蜀の関係が悪化すると、またもや政略によって一人、呉へ帰国することとなります。

江東の二喬 呉の国を彩る大喬と小喬

江東の二喬 呉の国を彩る大喬と小喬

江東の二喬 呉の国を彩る大喬と小喬

貂蝉と並んで絶世の美女と称されるふたり。大喬は孫策(伯符)と、小喬は周瑜(公瑾)とそれぞれ結婚します。表立った舞台にはほとんど登場しませんが、三国志のひとつの大きな岐路となった「赤壁の戦い」において絶大な存在感を示します。しかも、その「存在感」は彼女たちが実際に行動した訳ではなく、たったひとつの「口実」に過ぎないのです。

赤壁の戦いでは、攻め込んだ曹操軍が約20万、呉と劉備(玄徳)率いる荊州軍が合わせて5万。兵の数では圧倒的に不利。しかも江南において数年来平和だった呉国の兵士は「実戦慣れしていない」状況にあります。ここに出て来るのは「降伏論」でした。大都督(軍司令官と州の長官を兼ねた地位)の立場にいた周瑜(公瑾)は、当然のことながら「開戦か降伏か」の議論に大きな影響力を持ちます。当初、周瑜(公瑾)は降伏を考えていたとも言われています。

しかし、曹操(孟徳)が二喬を奪おうとしていることを諸葛亮(孔明)から伝えられると、周瑜(公瑾)は、これに激怒して開戦を決意します。

三国志における天下分け目の大戦…その開戦の決め手になったのは女性…だったのですね。

戦場を駆け回り蜀の部将2人を生け捕りにした祝融夫人

戦場を駆け回り蜀の部将2人を生け捕りにした祝融夫人

戦場を駆け回り蜀の部将2人を生け捕りにした祝融夫人

南蛮の「孟獲」の妻。古代の火神「祝融」の末裔を自称して「祝融」と名乗っていました。気が強く、武勇にも長けていたため、南蛮兵たちの先頭に立って戦場に出ていました。蜀が南蛮に攻め込んだ際にも、当時、蜀の将であった馬忠(徳信)や張嶷(伯岐)を生け捕るなど、武力においても相当な実力者でした。しかし、孟獲が7度捕らえられて、7度釈放される等々の繰返しにより諸葛亮(孔明)に心服して蜀に降伏します。

まとめ 労いや養育の面で女性が長けている

まとめ 労いや養育の面で女性が長けている

まとめ 労いや養育の面で女性が長けている

祝融夫人を除いては、実際に戦場で戦う…ということはないようですが(ドラマなどでは孫夫人が戦ったりしていることもある)、だからといって世の中で活躍していない訳ではありません。三国志で随所に見られる「宴席の場で兵士たちを労い活力を与える」「幼い子供たちを守り養育する」「夫や子供の炊事や洗濯を行い、身の回りの世話をする」等々は女性が中心に描かれます。上記の女性たちで言えば、「劉備の母」や「孫夫人」は「養育」、「貂蝉」は「労い」に相当するでしょう。これらは、彼女たちが「随一」であったことは間違いなく、また男性に真似できることではありません。十分な「世の中での活躍」と言えます。

三国志は戦や政治的な駆け引きなど、男性が中心に描かれていますが、そのモチベーション、活力の土台となっているのは女性たちの活躍です。そのような角度から、また違った面での物語が楽しめます。





この記事の三国志ライター

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