【武将考察】錦馬超、その光と影-潼関の戦い

【武将考察】錦馬超、その光と影-潼関の戦い

【武将考察】シリーズ第2回。西涼の錦と勇名をとどろかせた馬超。潼関の戦いでは曹軍を相手に奮戦し、その名は曹操を恐れさせます。また劉璋も馬超の名に恐れおののき劉備に降伏するなど、大きな威力を発揮しました。その馬超の光と影を見てみたいと思います。


第2回は、潼関の戦いと馬超をとりあげます。潼関の戦いをひもとくとともに、韓遂からみた馬超について、現代に馬超がいたらどんなことをするのかといった点をふくめて馬超の人柄について考え、まとめてみたいと思います。

戦いの流れ(前)

戦いの流れ(前)

戦いの流れ(前)

潼関の戦いのきっかけは、正史と演義とで様相が異なります。
正史では、211年に漢中へ兵を向けた曹操をみて、次は自分たちが討たれるのではという疑心暗鬼が西涼一帯に広がるところからはじまります。
馬超は韓遂を誘い、子を曹操への人質に出している韓遂が渋っていると、
「今日から私があなたの子になろう。私も父を助けることはあきらめるので、あなたも子をあきらめてくれ」
と韓遂に迫ります。結果、韓遂もこれに応じて挙兵します。

一方の演義では、父・馬騰がひそかに打倒・曹操に立ち上がろうとするも、露見し失敗します。馬超の弟である馬鉄・馬休らとともに馬騰が刑死するところからはじまります。かろうじて脱出に成功した馬岱が留守を守る馬超に変を報告します。
復習に燃える馬超に、馬騰の義兄弟であった韓遂が支援を表明して挙兵します。

このように、正史と演義とでは馬超の挙兵のそもそもがだいぶ異なり色彩で描かれています。

戦いの流れ(後)

戦いの流れ(後)

戦いの流れ(後)

戦いのはじめは馬超軍が優勢でした。
演義では、馬超が曹操を追い回したり、夜襲を繰り返すことによって曹軍を悩ませています。
曹操は、野戦特有のこの悩みを解消しようと砦を築こうとしますが、木造の砦は馬超軍の火攻めにより、川砂で作る砦は馬超軍の水攻めにより、いずれも完成間近に崩壊させられてしまいます。
曹操は、冬季に入り外気が氷点下を下回るようになった頃、ようやく川砂に水をかけて凍らせる方法で砦を完成させます。また馬超軍を分析し、勇の馬超と智の韓遂を分断するという方針を打ち立てます。
一方、馬超軍は、数に勝る曹軍が馬超軍を囲む運動を見せはじめると、和睦に向けて動き出します。
氷と川砂の砦が解ける春まで--しかしその目論見は、曹操によって馬超・韓遂の分断(離間の計)に利用されることとなりました。
和睦のためと偽り、用もないのに韓遂とだけ対面したり、韓遂にあて塗りつぶしだらけの手紙を届けたりしたことにより馬超は完全に韓遂を疑い、内乱が生じます。この結果馬超軍は分断。敗北を喫しました。

馬超の人柄について

馬超の人柄について

馬超の人柄について

馬超はどんな人柄だったのでしょう。
正史と演義とで描かれ方が真逆なので、当然両者の人格は大きく異なったものになっています。
正史の馬超は、父を顧みず韓遂に謀反を持ち掛けており、非常にドライな性格だという印象があります。対して演義の馬超は、父の仇を報じようとする孝行息子(ちょっとオーバーなほど激情家)という印象があります。
馬超は、西涼での再起を何度も試みますが、成功にはいたりません。気が付けば、漢中に身を寄せていました。当時、漢中を支配していたのが、張魯です。馬超は張魯の客将として再登場し、蜀漢に建国をめざす劉備(玄徳)と対峙します。
演義では、諸葛亮の計略で張魯から見限られ、顔見知りの李恢から劉備(玄徳)への帰属を促されることになります。このときのやりとり
李恢「お主の本当の敵はだれか。父・馬騰を殺した曹操ではないのか!?」
馬超「むむむ」
李恢「なにが、むむむだ!」
は吉川英治の小説にも、横山光輝の漫画にも登場する有名シーンの一つです。
人並み外れた武勇を身につけていながら、計略に弱い朴訥さをあわせ持つのが青年馬超だと言えそうです。

韓遂からみた馬超

韓遂からみた馬超

韓遂からみた馬超

韓遂は、馬超の父である馬騰とは義兄弟という間柄でした。
それだけに、韓遂からみたら馬超は息子に近い存在だったのでしょう。
老獪な完遂からみたら、馬超は、わんぱくなだけで無知な子供のようだったに違いありません。韓遂は馬超の幼さを愛する一方、無知なぶんだけかえって馬超の勇猛さをいまいましく思ったかもしれません。
正史と演技とで話の進む形は変わりますが、潼関の戦いの後半において二人はいずれも仲違いをし、そのために曹操に敗北を喫しています。
馬超と韓遂。お互いに父と思い、子と思い、立ち上がったはずのこの二人の擬似親子には、当然ながら血のつながりがありません。そのことが、最後の最後、せんじ詰めて考えたときに互いを信じ抜くことができなかった原因かと思われます。血は水よりも濃いというのは確かにそのとおりだと思わせる顛末です。

馬超がもし現代にいたら、どんなことをしているか

馬超がもし現代にいたら、どんなことをしているか

馬超がもし現代にいたら、どんなことをしているか

もし馬超が現代にいたら、どんなことをしているのでしょうか。
馬超に間違いなく合わないのは事務職でしょう。とくに経理や庶務などは苦手を通り越して、不可能かもしれません。上下を調整する中間管理職も厳しそうです。
いずれにしても複雑な人間関係の中をうまく泳いで出世するタイプではありません。個人の武勇、じゃなく能力で一本勝負をするような生き方を選ぶはずです。
もし、組織の中で生きるとすれば、ある程度の決裁権がある支店長とか中小企業の社長には向いてそうです。大企業の社長もいいですが、その場合は有能で信頼できる秘書と参謀が必要でしょう。
が、やはり似つかわしいのは、瞬発力と強靭な肉体が売りという点を踏まえて、大自然に挑む冒険家がピッタリだと思います。困難な状況もきっと乗り切っていけるはず。
ただ、協調性に欠けるきらいがあることを考えると、特殊な環境下で細かい作業や頭脳労働を行う宇宙飛行士などには向かないかもしれません。
特技の乗馬を生かした競技馬術など、アスリートとして絶大な能力を発揮して大成できるような気がします。

まとめ

まとめ

まとめ

潼関の戦いを中心に、馬超の人柄などについてまとめてみました。
考えていくと、馬超の生存可能領域は、性格的 、風土的に案外広くなかったのだと言えそうです。
西涼という拠点を失い根なし草となった馬超は、最終的には枯れる運命にあったのかもしれません。
とはいえ、馬超が劉備(玄徳)に帰属したことが劉璋降伏の原因となったわけですし、正史と演義とで描かれ方は違っていますが、錦馬超の武威は確実に存在したわけです。演義では、蜀の二代・劉禅の時代、五手にわかれて侵攻してくる魏軍の一軍を馬超の名ひとつで食い止めています。
「蜀についてから功績なし」「五虎将の中でいちばん地味」と言われてしまう馬超ですが、蜀陣営の馬超は存在感だけでも貴重だったに違いありません。





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