三国志の全てを決めたと言っても過言ではない官渡の戦い

三国志の全てを決めたと言っても過言ではない官渡の戦い

RPGゲームをしたことがある人ならよく分かるかもしれませんが、ゲームはたいてい弱い敵から倒し、徐々に強い敵になり最後にラスボスを倒すというシナリオになっています。しかし、三国志は違い、序盤に天王山ともいえる官渡の戦いが勃発します。その官渡の戦いについてご紹介したいと思います。


官渡の戦いはなぜ起きた?

官渡の戦いはなぜ起きた?

官渡の戦いはなぜ起きた?

諸説様々ありますが、官渡の戦いが起きた最大の理由は総大将同士である袁紹(本初)と曹操(孟徳)の仲が悪かったという所だと思います。
仲が良かったら他国を攻めて守りが手薄になっているところに突撃してくるという可能性はなかったでしょう。
逆を言うと袁紹(本初)としてみたら他国を攻めている間に曹操(孟徳)が攻めてくるのではないかと言う頭があったから先に曹操(孟徳)を潰してしまえ!と言う発想があったのだと思います。
そしていきなり決勝戦とも呼べる戦いが勃発してしまったのです。
袁紹(本初)が自国の力に自信を持って他国を吸収しながら曹操(孟徳)を最後に討つという考え方だったら歴史は大きく変わっていたでしょう!
それ以前に二人の仲がここまで悪くなかったら袁紹(本初)は早々に曹操(猛徳)と闘うことはなく、地力をつけた後、天下を取っていたのではないかと思っています!

官渡の戦いの主な登場人物~曹操軍)

官渡の戦いの主な登場人物~曹操軍)

官渡の戦いの主な登場人物~曹操軍)

官渡の戦いは赤壁の戦いと並ぶと言っても過言ではないほどの超大きな対戦でした。そんなものだから登場する人物も超豪華です。反董卓連合が三国志のオールスターメンバーなどと言われることがありますが、この戦いもそれに匹敵すると言ってもいいくらいだと思っています。
簡単に曹操軍の名だたる武将を上げますと、
曹操軍-曹操(猛徳)、曹洪(子廉)、徐晃(公明)、張遼(文遠)、劉延、関羽(雲長)、史渙(公劉)、程昱(仲徳)、郭嘉(奉孝)、賈詡(文和)
三国志をちょっとかじったことがある人なら「こいつ知ってる!」という武将が多数存在しているなというのが伺えるのではないでしょうか。
一つ気になったかもしれないのが関羽(雲長)ではないでしょうか。この時関羽(雲長)は劉備(玄徳)を裏切ったわけではないのですが一時的に曹操(猛徳)の元で戦っているのです。
またこの戦いによって有名になった武将、亡くなった武将は多く、それだけで官渡の戦いの大きさを表しています。

官渡の戦いの主な登場人物~袁紹軍)

官渡の戦いの主な登場人物~袁紹軍)

官渡の戦いの主な登場人物~袁紹軍)

武将の顔ぶれだけを見ると曹操軍の方が凄いな!と思うかもしれませんが、それは曹操軍が勝利しその後も活躍する機会があったからと言えるでしょう。もしこの戦いで袁紹軍が勝利を収めていれば立場は逆になり、三国時代を平定したのは袁紹だった可能性が大です。
そんな袁紹軍の官渡の戦いに参加した名だたる武将は
顔良、文醜、袁譚(顕思)、張繍、張合(儁乂)、高覧、沮授
などなど。
こちらも名だたる武将が多かったわけですが、ここであれ?と思った人も多いのではないでしょうか。それは曹操軍に寝返った武将が多かったからと言ってもいいでしょう。
最初は袁紹軍にいたのに中盤から曹操軍に寝返っているという武将も多く存在するのです。
歴史にタラレバを用いたら何も前には進みませんが、顔良、文醜が関羽(雲長)に討たれず、寝返りもなかったら袁紹軍が勝っていたでしょう。

官渡の戦いの規模と曹操軍勝利の要因

官渡の戦いの規模と曹操軍勝利の要因

官渡の戦いの規模と曹操軍勝利の要因

官渡の戦いの規模は赤壁の戦いレベルですが、この戦いも赤壁の戦い同様スタートの戦力差は圧倒的に差があり、袁紹軍が70万だったのに対し、曹操軍が7万程度でした。
この決定的な差を何によって埋められたかと言ったらやはり総大将袁紹(本初)と曹操(猛徳)の器の差に尽きると思います。
言ってみればこの官渡の戦いというのは日本で言う関ヶ原の戦いに近いものがあります。要するに裏切りが多かったのです。
途中で曹操軍に寝返る袁紹軍がいたため戦力差が逆転し、さらに関羽(雲長)がこの戦いに加わっていたことにより顔良、文醜を倒し、袁紹軍を崩壊しました。
関ヶ原と違うのは圧倒的に不利なはずの軍に寝返った武将が多かったという点でしょう。

三国志随一のジャイアントキリング・官渡の戦い

三国志随一のジャイアントキリング・官渡の戦い

三国志随一のジャイアントキリング・官渡の戦い

官渡の戦いは赤壁の戦いと双璧をなす大戦で、ともにジャイアントキリング(大番狂わせ)がありました。しかしその一番の要因は若干異なります。赤壁の戦いでは曹操軍に蔓延した疫病が一番の要因だったのに対し、官渡の戦いでは上記にも挙げたように裏切りが一番の要因だったように思えます。
曹操(猛徳)の強そうに見えた武将は「あいつ欲しい」という引き抜きがこの戦の勝利を手にしたのです。
はっきり言って曹操(猛徳)も袁紹(本初)も我儘だと思いますが、そういった人を欲しがる欲求という面で圧倒的に違いがあったのでこのジャイアントキリングがなされたと言っていいでしょう。特に許攸(子遠)、張合(儁乂)、高覧の三人の武将の寝返りはとてつもなく影響力が強く、袁紹軍は立て直し不可能となってしまいました。

官渡の戦いMVP

官渡の戦いMVP

官渡の戦いMVP

この戦いで最も活躍し曹操軍の勝利を決定づけた働きをしたのは顔良、文醜を打ち破った関羽(雲長)と言ってもいいでしょう。しかし、彼の働き以上に勝利を決定づけたと思うのが張合(儁乂)の裏切りではないです。裏切るということはただ単にその分の戦力がプラスになっただけではないく、相手の戦力もマイナスになります。さらに戦力の移動だけでなく、情報の入手ができてしまうのです。裏切る人物の身分が上であればあるほど超重要な情報を持っていたということが容易に考えられます。
そのため曹操(猛徳)は張合(儁乂)の裏切りにより得たものは計り知れません。よって私は彼をこの戦いのMVPに推したいと思います。

まとめ

まとめ

まとめ

三国志の中でも超重要な戦の一つ官渡の戦いについて少しはお分かりいただけたでしょうか。裏切りによりこの大戦を制した曹操(猛徳)は今後魏を大きくし三国統一を成し遂げる基盤を作るわけです。この戦いは曹操の「この武将欲しい」という相手の武将を奪い取る「眼」がものをいいました。
そしてその裏切りを成し得たのが袁紹(本初)のカリスマ性の無さもあれば、曹操(猛徳)の策略もあったわけです。
もし袁紹(本初)に裏切りを止める「義」なり「信」があれば全く違う展開になったのは容易に想像がつきます。
あの手この手で敵将を奪い取る算段を立てていた曹操(猛徳)と何もしなかった(むしろ部下を叱責して信頼を失ったという面ではマイナス以外の何者でもない)袁紹(本初)の差がこの大戦のジャイアントキリングを生んだと言っていいでしょう。


この記事の三国志ライター

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