レッツ想像。もし三国志演義の人物がSNSをやっていたら

レッツ想像。もし三国志演義の人物がSNSをやっていたら

「もし貂蝉がインスタグラムをやっていたら」「あの逸話をSNS風に表現するとしたら」そう考えたことはありませんか?今回は、有名武将と逸話にSNS要素を取り入れてみました。(注意:あくまで筆者の考えるイメージです。あらかじめご了承ください)


趙雲が大軍を突破したと話題に

おや、ツイッターではとあるツイートが衝撃的な動画とともに出回っているようです。

目撃者「なんかイケメンが赤ちゃん抱えて大軍を突破してるんだけど・・・。しかも単騎」

目撃者がカメラに映したものは、長坂を単騎で駆け抜ける蜀の猛将・趙雲でした。
このとき蜀は魏に追われていました。そんななか、君主・劉備(玄徳)の息子が行方不明に。そこで趙雲は乱戦の中で息子を救出し、親もとへ駆け抜けていったのです。

しかも趙雲は長身かつ端正な顔立ちだったので、イケメン武将として知られるようになりました。

思わず赤子を投げた劉備(玄徳)

その後、無事逃げ延びた劉備(玄徳)はツイッターで趙雲をこう称えました。

「私は子より趙雲が大事だ。子を投げ捨ててしまうくらいに」

果たして、このツイートは周囲にどんな影響を与えたのでしょうか。三国志演義では輝かしいエピソードとして語られていますが、今では「赤子を投げる」という点では賛否両論かも?
いずれにせよ、趙雲が勇ましいハイライトを残したのは確かです。

大人気のインスタグラマー貂蝉

かの有名な美女・貂蝉がもしインスタグラムをやっていたら、男女問わず人気になっていたでしょう。
自撮り・全身写真は常に大好評。時折、動画で披露する演奏も人々の心を揺るがします。
超絶自己中心で話題の董卓、天下無双の呂布もフォロワーの一人です。投稿すれば、2人が必ずコメントします。

董卓は、ネット上で優雅な生活をアピール。しかし、それは部下を極限まで働かせた結果から来ていました。フォローを外した人がいれば、いざ個人攻撃です。
それを見た王允は、養子の貂蝉にインスタグラムのアカウントを作らせました。

多くの人に発信することで、計略は見事に成功します。董卓と呂布は、水面下で貂蝉を巡る争いをしていました。

美女連環の計

偶然貂蝉を見つけた董卓と呂布は、それぞれ彼女にダイレクトメッセージを送信。彼女は2人の恋人となりました。
(元々SNSをやっていなかった呂布は、このためにアカウントを作りました)

ある時、貂蝉は呂布と会って泣きながらこう話します。
「董卓さんにプロポーズされているのですが、私は呂布さんじゃないと無理です」

これを聞いた呂布は怒り狂い、董卓をアカウント削除に追い込みました。しかし、呂布が「これで結ばれる・・・」と思った頃には貂蝉も行方をくらましたのです。

曹操の炎上事件簿

魏の君主・曹操は、文武両道のカリスマ政治家です。人材募集では、人柄よりもスキルを優先します。
しかし、蜀の劉備(玄徳)と敵対していることから、蜀の支持者から攻撃を受けることもあります。
時には、謎の道士・左慈から大量のコメントやメールが届いたり、乗っ取られたりすることも。
(一方、左慈は曹操の反撃を毎度見事にかわします)
何かと哀れな目に遭う曹操ですが、彼自身も炎上案件を起こしています。

三国志演義でも有名な「許田の巻き狩り」「銅雀台の話」。もし、三国時代にツイッターがあったらどのように広がっていたのでしょうか?

許田の巻き狩りオフ会

これは、まだ劉備(玄徳)と交流があった頃のお話です。曹操と劉備(玄徳)・献帝の3人は、許田で狩りのオフ会を開きました。
金の弓矢を持つ献帝は鹿を見つけたものの、射そこねてしまいます。そこで曹操は献帝の弓矢を借りて、その鹿を射止めました。

目撃者は、金の矢じりが写った写真をアップロード。「献帝さまが射止めた!」というツイートとともに話題になりましたが、曹操がこれに対し「わしがやった」とコメントします。しかも、献帝の前に立ちふさがって歓喜を受けていたのです。

関羽がその状況を映し、怒りを込めたつぶやきを発信します。喜びのムードが一転。曹操への批判が相次ぐとともに、献帝も曹操を嫌うようになりました。

美人姉妹・二喬を脅かした銅雀台

曹操が銅の雀を見つけたことで、「銅雀台(どうじゃくだい)」という建物が建てられます。
ある日、曹操の何気ない一言で炎上しました。

「あー、二喬を銅雀台に飾りたいわー」

二喬というのは、大喬・小喬と名付けられた美人姉妹です。インフルエンサーとして大ブレイクを起こしています。
このつぶやきは瞬く間に広がり、諸葛亮もスクリーンショットを収めます。諸葛亮から話を聞いた周瑜(小喬の夫)は激怒。三国志演義では、この怒りが赤壁の戦いに発展したのです。

曹操は人妻大好き人間としても有名ですから、二喬も思わず怯えてしまいますね。彼は、この事件でも二喬のファンから罵声を浴びせられました。

インフルエンサー二喬

江東では大人気のインフルエンサー、大喬と小喬。大喬は、孫策の妻にあたります。

彼女らは知識が豊富で、作詩にも長けています。ツイッターで詩が発表されるたび、多くのリアクションをもらっているとか。
時にアップされる二人の顔写真もまた大好評です!顔に犬のスタンプを貼り付けて楽しむことがあります。

まあ、そんな美女2人の存在を、曹操が見逃すわけがないはず。綺麗な人妻は確かにあこがれの存在ですが、手を出すことはいつだってタブーですよね。

友達申請が絶えない関羽

関羽は、軍神として多くの人から尊敬されている蜀の武将です。
優れた武勇を備えていながらも、決して威張ることはありません。そんな佇まいが敵からも好かれていました。

そんな関羽がフェイスブックをやっていたら、友達申請が絶えないでしょう。
魏の猛将・張遼や徐晃も友達として登録されているはず。ツイッターでもフォロワーが大多数です。

毒矢が刺さった際は、華佗という医師の元を訪れます。肉を切り裂くという荒治療でしたが、関羽は一切苦痛を感じていません。それどころか、「矢が刺さったので治療しながら碁を打ってた」と淡々と書かれていました。
これを見た人々は、驚きつつも「いいね!」を押しました。

拡散希望!名族・袁紹をフォロー

袁家は、三国志が始まる前から伝わる一族です。三国志初期の頃に、「虎牢関の戦い」で先陣を切った人物でもあります。王家に近いことから、名族としての自分を過剰にアピールする節も・・・。なかでも袁紹がSNSをやったら、「拡散希望」という大義名分を掲げてひたすらフォロワー数を求めそうです。

三国志で有名な「玉璽」では、偶然それを手に入れた孫堅を公で批判するかもしれませんね。
曹操をライバル視していたものの、最終的には知名度を追い越されるのが目に浮かびます。
見かけたらフォローしてあげましょう。

現代解釈も楽しめる三国志

今回取り上げたIFは、読者のイメージと異なる部分があるかもしれません。
しかし、劉禅救出の話や美女連環の計などの出来事がもし現代でも起きたら、きっと大騒ぎになると筆者は考えています。
貂蝉ら美女が今も存在していたら、人気の的になることでしょう。そして、私たちには関羽のような気丈さを持つことも大切だと考えています。

今回の記事ではSNS要素を合わせることで、わかりやすさをより意識してみました。1人でも多くの人にとって、三国志に興味を持つきっかけになってくれたら幸いです。

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