三国志・蜀のスター、趙雲子龍の数々の謎に迫る

三国志・蜀のスター、趙雲子龍の数々の謎に迫る

三国志の登場人物の中でも一二を誇る人気武将の趙雲ですが、実は数々の謎があります。なぜ趙雲は蜀の中でも重用されていないのか、その実像に迫ります。


三国志人気投票

三国志人気投票

三国志人気投票

もし三国志の登場人物たちの人気投票があったら誰が1位になるでしょうか。
諸葛亮でしょうか、それとも劉備(玄徳)、はたまた周瑜でしょうか。曹操ということも考えられますね。もちろん関羽だって人気があります。
そんな中で陳寿が編纂した「正史」にほとんど登場しないにも係わらず、後世で絶大な人気を誇る武将がいます。
それが蜀の名将、趙雲、字は子龍です。蜀の五虎大将軍のひとりでもあります。三国志ファンでその名を知らない人はいないでしょう。趙雲が好きだという三国志ユーザーはたくさんいるでしょうが、趙雲が嫌いだという三国志ユーザーはほとんどいません。嫌われる要素が趙雲にはほとんどないからです。
今回はそんなスター趙雲の謎に迫っていきましょう。

趙雲のイメージ

趙雲のイメージ

趙雲のイメージ

趙雲のイメージは「冷静沈着でいて剛胆」「戦場ではほぼ無敵」「常に正々堂々とある忠義の士」という感じでしょうか。要するに物凄く強くてカッコいいのが趙雲なのです。はっきりいって戦場では負けたことがないくらいです。味方が不利になって退却するときですら趙雲は大活躍をします。人気があって当然です。五虎大将軍では筆頭の関羽も呉の裏切りにあって敗北し首を斬られていますし、義弟の張飛も部下に裏切られて寝首を搔かれています。馬超も曹操に大敗を喫してすべてを失っていますし、黄忠も劉備軍に敗れて降伏しているのです。しかし趙雲だけは戦死したわけでもなく、降伏したわけでもなく、大敗して責めを負わされたこともありません。
日本の武将で例えると上杉謙信のようなイメージでしょうか。

三国志「正史」著者の陳寿

三国志「正史」著者の陳寿

三国志「正史」著者の陳寿

「三国志」とは晋に仕えた陳寿が編纂したものです。そのために晋の前身である魏が正統な王朝であるとしています。この「正史」は本紀と列伝によって構成されていて、本紀に取り上げられているのは魏の皇帝だけです。そのため蜀の劉備(玄徳)や呉の孫権も皇帝を自称しましたが、扱われるのは列伝になるのです。陳寿はもともと蜀に仕えていました。陳寿の父親は蜀の馬謖の参軍を務めており、「泣いて馬謖を斬る」で有名な戦い「街亭の戦い」での敗北の後、髠刑という頭髪を剃る刑に処されています。よってある程度蜀びいきになっています。劉備(玄徳)を悪く描いたりしていないのもそのためです。要するに「魏書」「蜀書」に関しては詳しいが、「呉書」については情報不足のために内容が薄いわけです。

三国志「正史」注釈者の裴松之

三国志「正史」注釈者の裴松之

三国志「正史」注釈者の裴松之

こうして三国志は誕生したわけですが、内容は私たちが知っているものと大きく異なっていたりします。まずは晋にとって都合の悪い内容がすっぽり抜け落ちているために補完が必要でした。それを行ったのが陳寿の死後の75年後に生まれた裴松之です。彼は様々な参考文献や資料から三国志を補う注釈を施したのです。
注釈というとなんだか簡単な補足説明のようにも感じてしまいますが、裴松之が注釈を施した文量は陳寿の本文とほぼ同じです。
ここからさらにフィクション要素の強い「三国志演義」が誕生していくのですが、「正史」自体も陳寿のものと裴松之のものとに分けられるということになります。
後世に伝わる三国志は三つ存在することになるのです。

「正史」の趙雲の活躍ぶり

「正史」の趙雲の活躍ぶり

「正史」の趙雲の活躍ぶり

陳寿が記した正史の中で趙雲はほとんど取り上げられていません。唯一の活躍は荊州で曹操の追撃を受けている場面でしょうか。劉備(玄徳)の妻子を救出しています。阿斗を抱いて戦場を駆け抜ける名場面ですね。それ以外では少し名前が出てくるくらいでしょうか。
○223年、劉禅が皇帝に即位すると中護軍、征南将軍へ昇進しています。
○228年、魏の領地に攻め込んだ北伐では、囮として曹真に向っていますが相手が精鋭のため敗れています。大きな被害は受けてはいないものの、降格されています。
こんな感じです。完全に一脇役で終わっています。もしも裴松之の注釈がなければ、ここまで趙雲が注目されることもなかったわけです。

「趙雲別伝」

「趙雲別伝」

「趙雲別伝」

補完的な資料をもとに裴松之は注釈を施したわけですが、趙家の家伝を編纂したのではないかという見方もあります。本伝と異なる点もあるからです。劉備(玄徳)に仕えた時期が違います。「正史」では袁紹に対抗するために劉備(玄徳)は趙雲と共に田楷に出陣し、行動を共にするようになりました。「趙雲別伝」では劉備が徐州から落ち延びて袁紹を頼ったときに趙雲に出会い、合流しています。趙雲の桂陽郡攻略の話や、定軍山の戦いでの空城の計など、趙雲人気に火をつけるようなエピソードはこちらから伝わっているのです。かなり趙雲びいきの書物を参照したことになります。これによって無敵の武将・趙雲のイメージが作られていきます。

新参者の魏延よりも位が低かった

新参者の魏延よりも位が低かった

新参者の魏延よりも位が低かった

趙雲は五虎大将軍のなかでも順位は一番下になります。他の四人が前後左右の将軍位に任じられているにも係わらず、趙雲だけは雑号将軍のままです。魏延はこのとき鎮遠将軍となり、最重要拠点である漢中太守となりました。蜀のファンはここで悩みます。なぜここまで劉備軍を引っ張ってきた趙雲の待遇が悪いのか。
正史の補完史料である「季漢輔臣賛」では趙雲の登場順が25番目になっています。他の五虎大将軍は少なくとも9番目までには紹介されているのにです。ちなみに魏延は31番目です。軍師である法正や龐統よりも後になっています。劉巴や麋竺などの名士たちよりも下になってしまったのは仕方がないにしても、新参の黄権(魏に降ります)や楊洪などより下ということは絶対にありえないはずです。
これはいったいどういうことなのでしょうか。

まとめ

まとめ

まとめ

三国志演義の趙雲の活躍を知ってる私たちは、蜀の武将といえば関羽・張飛・趙雲です。
劉備(玄徳)が荊州に辿り着く前から獅子奮迅の働きをし、劉備軍を支え続けた男です。そもそも馬超や黄忠よりも功績は上なはずです。確かに馬超の降伏によって成都は無血開城され、黄忠の活躍によって魏の名将・夏侯淵を討ち取ることができましたが、それでも趙雲の方が貢献しているのではないでしょうか。
というクレームが出るということは、この趙雲の活躍ぶりは多分に脚色されている可能性があります。なんてことをいうとお叱りを受けそうなので、趙雲のことをかばうと、きっと趙雲は出世に興味がなかったのでしょう。むしろ趙雲の方から断ったのかもしれませんね。
趙雲子龍、どこまでが真実なのかぜひ知りたいですね。





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