裏切り、裏切り、また裏切り! 呂布のスゴすぎる人生の結末は?

裏切り、裏切り、また裏切り! 呂布のスゴすぎる人生の結末は?

三国志の武将で最も勇猛だともいわれる呂布。しかし彼は、世話になった相手をことごとく裏切ったことでも知られています。中国であれ日本であれ、ここまで人を裏切り続けた男もめずらしいでしょう。呂布の裏切り人生がどのようなものだったのか。そして「裏切り野郎」はどんな末路をたどったのか、見ていきましょう。


呂布は、どうして強かったの?

三国志で最強の武将として名高い呂布は、并州(へいしゅう)の五原郡(注1)というところで生まれます。いまの中国ではモンゴルの近く、内蒙古自治区に当たる場所ですので、呂布はモンゴル流の騎馬戦術、弓術を身につける環境にめぐまれたのでしょう。
漢民族というのは基本的に農耕民族であり、馬を使うことについては北方の異民族(モンゴルなど)の方が得意でした。北の騎馬民族に近く、馬や弓を使った戦い方に熟練しているというのは、戦争において大きなアドバンテージとなったのです。
ともあれ、後漢王朝がおとろえ、時代が乱世に向かいつつあるなか、呂布はそのすぐれた武勇によって、一目置かれる存在となります。

最初、呂布が仕えたのは、并州の刺史(しし)である丁原(ていげん)でした。呂布はここで早くも頭角をあらわし、丁原に重く用いられています。
州のトップに可愛がられるというのは、当時としてはなかなかの出世コースといえました。それだけ呂布の武勇が人並み優れていたことが、容易に想像できます。また丁原自身も、盗賊の逮捕などで活躍し、武勇で出世した人物だったので、同じ「武闘派」として呂布を高く評価したのでしょう。

(注1)州・郡・県……漢代の行政単位。州、郡、県の順に大きい。州は最大の行政単位で、三国志の時代には、中国全土に13の州があった。州の中に複数の郡が、郡の中に複数の県がある。

裏切りその1―――主人・丁原を殺害!

しかし……同じ「武闘派」でも、もっとスケールの大きい人物が呂布の前にあらわれます。その男こそ、三国志序盤で最大の悪役・董卓だったのです。
大将軍・何進(かしん)の死後、朝廷の混乱に乗じて政府の実権を握った董卓。しかし意外なことに彼の兵力は不足しており、首都・洛陽(らくよう)に入った時点で、董卓の軍勢は3000人くらいしかいなかったといいます。
この兵力では、天下を取るにはあまりにも足りません。そこで董卓は、他の群雄の軍勢を横取りして、自分の兵力を増強しようとしたのです(さすがは三国志で随一の悪役、考えることがちがいますね)。

董卓がねらいを定めたのは、呂布の主人である丁原の兵力でした。まずは丁原を暗殺しようとしますが、丁原のそばには勇猛で鳴る呂布がいて、うまくいきません。
しかしそこはさすが大物の董卓。簡単にはあきらめません。なんと、呂布を味方につけて丁原を殺させ、その兵力を横取りしようとしたのです。ほんと、レベルが高い悪党になると、考えることのレベルもちがいます。
普通に考えれば、呂布の立場でこんな誘いに乗ることは、考えにくいですよね。いい条件を提示されたからといって、世話になっている主人を殺し、寝返るだなんて……。

ところが、この呂布という男。誘いに乗っちゃうんです。
誘われるまま、本当に主人の丁原を殺し……丁原の軍勢をそっくり連れて、董卓の家来になってしまうんです(189年)。
このとき呂布は、董卓と親子の契りまで結びました。
なんというか……誘う方も誘う方、乗っちゃう方も乗っちゃう方。悪役として歴史に名を残す人は、レベルがちがいますね(震え声)。
しかし……この裏切り、呂布の「裏切り人生」においては、まだまだ序曲にすぎなかったのです。

裏切りその2―――三国志の魔王・董卓も殺害!

兵力を増強し、呂布という猛将まで手に入れた董卓は、自分の権力を磐石のものとしました。漢の政府の権力をガッチリにぎった彼は、乱暴な政治で人々を恐怖におとしいれます。
大臣を勝手に辞めさせ、好き勝手な人事をするなんて、まだ序の口。富豪から金品を奪って我が物としたり、罪もない人をたくさん殺すなど、やりたい放題の政治を行います。

さらにはこの董卓、あろうことか、皇帝をクビにしてしまいます。
当時の漢の皇帝は幼い少年(劉弁)でしたが、董卓はこの何ら罪もない少年皇帝を退位させ、異母弟(劉協)を即位させます。
いくら権力者とはいえ、臣下の身で皇帝をクビにするなんて、あまりに大それたことでした。しかも後に、クビにした前皇帝の少年を、殺してしまうんです。背筋の凍るほどの冷酷さですね。
(ちなみに、このとき董卓によって即位させられた新皇帝が、漢のラストエンペラーとなる献帝です)。

こんなメチャクチャな政治に対し、ついに各地の有力者が立ち上がります。「董卓を倒し、好き放題の政治をやめさせよう」と、「反董卓連合軍」を結成したのです(190年)。
これは絶体絶命か?……と思いきや、さすがは董卓、悪役政治家としてモノがちがいました。連合軍が首都・洛陽に攻め寄せてくるや、なんと宮殿や街を焼き払って、強引に長安に遷都(せんと)してしまったのです(首都を焼き払って、別の場所にうつすなんて……もうスケールが大きすぎますよね)。

しかし……反董卓連合軍にも揺るがなかった董卓の権力が、ついに終わる日がきます。
そう。呂布の裏切りによって、魔王・董卓は悲惨な最期をむかえるのです。
まず、朝廷の有力者であった王允(おういん)という人物が、董卓暗殺計画を立てました。この王允の誘いに乗って、呂布はまたしても主人への裏切りを決意したのです。

しかし呂布にとって、董卓は親子の契りまでかわした「義父」にあたるわけです。その相手を、どうして殺そうと思ったのでしょうか?
いくつかの理由が挙げられています。
あるとき、腹を立てた董卓に、刃物を投げつけられたとか……。
呂布が、董卓の侍女(身の回りの世話をする女性)と男女の仲になってしまい、バレてしまうのを恐れたとか……。
前者の説は「暴君」董卓ならいかにもありそうな話ですし、後者の説も、欲望に忠実な呂布ならやりかねない事です。
ともあれ、呂布が味方についた「董卓暗殺計画」は見事に成功。三国志序盤の魔王・董卓は「義理の息子」に裏切られ、あえなく最後を迎えたのです。

裏切りその3―――三国志の主役・劉備(玄徳)を裏切り!

董卓を倒した呂布は、暗殺計画の首謀者である王允とともに、一時政権をにぎります。
しかしそれもつかの間、董卓の残党たちの巻き返しにあい、敗れ去った呂布は、都を追われてしまいました。
ここから、呂布の流浪の人生が始まります。
呂布には自慢の強い軍団がありますが、自分の領土を持っているわけではなく、このままでは兵士たちを食べさせることができません。いくら戦いに強いといっても「腹が減っては戦ができない」のです。
呂布は各地の群雄たちに自分を売り込み、受け入れを頼みに行きます。しかし2度も主人を裏切り、殺してきた男が、簡単に受け入れてはもらえません。

そこで呂布はついに、他人の領地を乗っ取りを考えます。
相手はあの曹操です。曹操が本拠地を留守にしたスキをついて、そこを占領してしまったのです。
この乗っ取りには、協力者がいました。
曹操の部下であった陳宮というキレ者が、曹操への反逆を思い立ち、呂布を招き入れたのです(この後、陳宮は呂布がもっとも頼りにする重臣となります)。
しかし……相手は三国志でも随一の戦上手とされる曹操。やられっぱなしでいる男ではありません。反撃に出た曹操との戦いが始まりました。そして血みどろの戦いの末、呂布は敗れ去り、やっと手にした領土も失ってしまいました。

流浪生活に疲れはてた呂布が、最後に頼ったのは……三国志の主人公である劉備(玄徳)でした。
「裏切り者」として、中国全土に周知されていた呂布。「こんなヤツを受け入れたら、ロクなことにならない」というのが、当時の群雄の共通認識でしたが……劉備(玄徳)は呂布の受け入れを決断します。
ところが!
ここでも呂布は、裏切りをしでかします。戦いのため、劉備(玄徳)が領地を留守にしたところを、まんまと乗っ取ってしまったのです。
「留守にしたスキに、領土を乗っ取る」―――曹操相手にやったお得意の戦法を、劉備(玄徳)にまでやらかし、しかも今回は成功したのです。

裏切りに乗っ取り。ここまでくると、「ある意味呂布ってスゴイ」と感心してしまいますね。
(しかし……裏切り者として有名な呂布を受け入れて、案の定、領土をそっくり取られてしまった劉備(玄徳)は、なにを考えていたのでしょう。とんでもないお人好しだったのか、あるいは呂布の武勇に魅力を感じたのか……)

裏切り者の末路―――最後に見せた「神経の図太さ」

裏切りを重ね、乱世を強引に生き抜いてきた呂布。
しかしこの男にも、ついに最後が訪れます。「裏切りの人生」に幕を下ろしたのは、因縁浅からぬ曹操と劉備(玄徳)でした。

呂布に本拠地を追われた劉備(玄徳)は、曹操のもとを頼ります。曹操は呂布にトドメを刺すべく、攻め込んできました。
呂布は城の中に追い込まれてしまい、得意の騎馬戦術も役に立たなくなってしまいます。
そうこうするうちに、ついに軍団の内部でクーデターが起きました。反逆した部下たちは、呂布がもっとも頼りにしていた重臣・陳宮をとらえ、曹操の前に引き出したのです。
城に押し込められて騎馬戦術が使えないうえ、最後の頼みだった陳宮までいなくなり……さすがの呂布も戦意をなくしてしまいます。呂布はとうとう、曹操に降伏しようと決めました。

曹操の軍門にくだった呂布は、縄でしばられたまま、曹操の前に引き立てられます。そこで彼は、なんとも驚くべきことを曹操に言ったのです。

「貴殿(=曹操)が歩兵を率い、私が騎兵を用いれば、天下は容易に平定できるでしょう」

そう。呂布は曹操に向かい、自分を部下にして用いるよう求めたのです。
どうです? この神経の太さ。裏切りに裏切りを重ね、主人殺しをくり返した人間が、まだ他人に信用されると思っていたのでしょうか。しかも相手は、かつて領土の乗っ取りを仕掛けた曹操です。

ここで、曹操に向かい意見を述べたのは、これまた因縁の相手である劉備(玄徳)でした。彼は呂布のどうしようもない性格を、こう非難します。

「この男はかつて、主人である丁原や董卓を、ことごとく裏切ってきました。ここで命を助けても、また同じことを繰り返すはずです」

さすがは劉備(玄徳)。実際に裏切りの被害にあった人が言うと、説得力が違いますね。
曹操もこの進言を受け入れ、ついに呂布を処刑しました。
いくら呂布が勇猛といえど、いつまた裏切るか分からない武将を、使うことはできなかったのです。
裏切りを繰り返し、乱世を強引に生き抜いてきた呂布も、こうしてついに、最後の時を迎えたのでした。

しかし……この男にトドメを刺したのが、部下による「裏切り」というのはなんとも皮肉ですね。
そう。「裏切り」で生き抜いてきた呂布は、最後の最後に「裏切り」で万事休したのです。
自分がやったことは、いつか必ず、自分に返ってくるのですかね……。
首をはねられるとき、呂布はなにを思っていたのでしょう。
あるいは、かつて裏切った丁原や董卓のことを、思い出していたのでしょうか。

関連する投稿


曹操(孟徳)を寝込ませてしまった左慈(元放)仙人の奇妙な話

曹操(孟徳)を寝込ませてしまった左慈(元放)仙人の奇妙な話

漢中平定を成し遂げ、さらに大乱戦の末、降伏には至らなかったものの呉に毎年貢物を献上させることを約束させた曹操(孟徳)は、216年に魏王を名乗ります。献帝が健在であるにも関わらず、その勢力はまさに日の出。いよいよ益州(蜀)を攻略すれば天下統一も目前…というところまで来ました。しかし、そんな曹操(孟徳)の前に奇妙な人物が現れ、次々に不思議な出来事が起こります。曹操(孟徳)にとっては吉兆かはたまた凶兆か…見て行きましょう。


三国志・もしもこの二人が激突していたら!?夢の対決を想像してみよう

三国志・もしもこの二人が激突していたら!?夢の対決を想像してみよう

三国志夢の対決「趙雲VS張遼」、「周瑜VS陸遜」、「曹操VS諸葛亮(孔明)」が実現した場合を想像してお伝えしていきます。


そこは違うぞ!!三国志のドラマや映画にひとこともの申す!

そこは違うぞ!!三国志のドラマや映画にひとこともの申す!

華流映画、ドラマでは三国志は人気の題材です。現地の監督や脚本家が筋書きや監修をしているので、私たち日本人はその描写を真に受けてしまいがちですが、史学的な観点から見ると「そこは違うぞ!」とツッコミを入れたくなってしまう描写が散見されます。今回はそういった相違点についてピックアップします。


三国志・曹操や孫策には評価されたが、孫権に疎まれた謀臣・虞翻

三国志・曹操や孫策には評価されたが、孫権に疎まれた謀臣・虞翻

あまり知られていない謀臣に呉の「虞翻」がいます。彼の才は孫策や曹操に認めらながらも孫権には評価されず、不遇を強いられています。三国志演義にはほとんど登場しない虞翻の活躍ぶりを見ていきましょう。


冷酷非道なだけではない 曹操(孟徳)の慈悲心が垣間見られる漢中攻略

冷酷非道なだけではない 曹操(孟徳)の慈悲心が垣間見られる漢中攻略

劉備(玄徳)が蜀漢を建国した翌年の215年、曹操(孟徳)は蜀漢討伐を目指しますが、まずは蜀の入口に位置する漢中を攻略すべく征西軍を編成します。険しい山岳地帯への行軍で緒戦は苦戦を強いられるますが、人的にも物量にも勝る曹操軍は次第に優勢となります。そして、そんな中で曹操(孟徳)は「冷酷非道」を行わず、むしろ慈悲心を見せる場面がたくさん登場します。この頃の曹操(孟徳)を見ると、一代で中国の3分の2を支配した「実力」に納得させられます。


最新の投稿


三国志から影響を受けた偉人たち

三国志から影響を受けた偉人たち

三国志の登場人物たちは古くから人々の憧れの的であり、武士の鏡、そして漢とはこうあるべきと彼らの生き方を人生の道しるべにしてきた人々は数え切れないほどいます。本記事では三国志から影響を受けた偉人たちについて紹介しましょう。


曹操(孟徳)を寝込ませてしまった左慈(元放)仙人の奇妙な話

曹操(孟徳)を寝込ませてしまった左慈(元放)仙人の奇妙な話

漢中平定を成し遂げ、さらに大乱戦の末、降伏には至らなかったものの呉に毎年貢物を献上させることを約束させた曹操(孟徳)は、216年に魏王を名乗ります。献帝が健在であるにも関わらず、その勢力はまさに日の出。いよいよ益州(蜀)を攻略すれば天下統一も目前…というところまで来ました。しかし、そんな曹操(孟徳)の前に奇妙な人物が現れ、次々に不思議な出来事が起こります。曹操(孟徳)にとっては吉兆かはたまた凶兆か…見て行きましょう。


もっと知ってほしい三国志後半の登場人物

もっと知ってほしい三国志後半の登場人物

三国志を知らない人でも劉備(玄徳)、諸葛亮(孔明)、曹操(孟徳)と言った名前は聞いたことがあると思います。しかし彼らは三国志の前半の方の登場人物で、特に諸葛亮(孔明)が死んでからは「そこで三国志が終わった」と思っている人もいることでしょう。ここでは三国志後半に出てきて、特に覚えておいてほしい登場人物について紹介したいと思います。


晋VS呉 三国の統一へ

晋VS呉 三国の統一へ

魏・呉・蜀漢が100年近くも争い続けた三国志も、蜀漢が滅び、魏は晋に禅譲し、残るは呉のみ。最後は呉が武帝(司馬炎)率いる晋に滅ぼされ、中国が統一されて終わります。これは正史でも演義でも同じです。最後の舞台となった晋と呉の決戦はどのように繰り広げられていったのでしょう!?


三国志・もしもこの二人が激突していたら!?夢の対決を想像してみよう

三国志・もしもこの二人が激突していたら!?夢の対決を想像してみよう

三国志夢の対決「趙雲VS張遼」、「周瑜VS陸遜」、「曹操VS諸葛亮(孔明)」が実現した場合を想像してお伝えしていきます。