呂布は、どうして強かったの?
■ 呂布は、どうして強かったの?
呂布は、どうして強かったの?
三国志で最強の武将として名高い呂布は、并州(へいしゅう)の五原郡(注1)というところで生まれます。いまの中国ではモンゴルの近く、内蒙古自治区に当たる場所ですので、呂布はモンゴル流の騎馬戦術、弓術を身につける環境にめぐまれたのでしょう。
漢民族というのは基本的に農耕民族であり、馬を使うことについては北方の異民族(モンゴルなど)の方が得意でした。北の騎馬民族に近く、馬や弓を使った戦い方に熟練しているというのは、戦争において大きなアドバンテージとなったのです。
ともあれ、後漢王朝がおとろえ、時代が乱世に向かいつつあるなか、呂布はそのすぐれた武勇によって、一目置かれる存在となります。
最初、呂布が仕えたのは、并州の刺史(しし)である丁原(ていげん)でした。呂布はここで早くも頭角をあらわし、丁原に重く用いられています。
州のトップに可愛がられるというのは、当時としてはなかなかの出世コースといえました。それだけ呂布の武勇が人並み優れていたことが、容易に想像できます。また丁原自身も、盗賊の逮捕などで活躍し、武勇で出世した人物だったので、同じ「武闘派」として呂布を高く評価したのでしょう。
(注1)州・郡・県……漢代の行政単位。州、郡、県の順に大きい。州は最大の行政単位で、三国志の時代には、中国全土に13の州があった。州の中に複数の郡が、郡の中に複数の県がある。
裏切りその1―――主人・丁原を殺害!
■ 裏切りその1―――主人・丁原を殺害!
裏切りその1―――主人・丁原を殺害!
しかし……同じ「武闘派」でも、もっとスケールの大きい人物が呂布の前にあらわれます。その男こそ、三国志序盤で最大の悪役・董卓だったのです。
大将軍・何進(かしん)の死後、朝廷の混乱に乗じて政府の実権を握った董卓。しかし意外なことに彼の兵力は不足しており、首都・洛陽(らくよう)に入った時点で、董卓の軍勢は3000人くらいしかいなかったといいます。
この兵力では、天下を取るにはあまりにも足りません。そこで董卓は、他の群雄の軍勢を横取りして、自分の兵力を増強しようとしたのです(さすがは三国志で随一の悪役、考えることがちがいますね)。
董卓がねらいを定めたのは、呂布の主人である丁原の兵力でした。まずは丁原を暗殺しようとしますが、丁原のそばには勇猛で鳴る呂布がいて、うまくいきません。
しかしそこはさすが大物の董卓。簡単にはあきらめません。なんと、呂布を味方につけて丁原を殺させ、その兵力を横取りしようとしたのです。ほんと、レベルが高い悪党になると、考えることのレベルもちがいます。
普通に考えれば、呂布の立場でこんな誘いに乗ることは、考えにくいですよね。いい条件を提示されたからといって、世話になっている主人を殺し、寝返るだなんて……。
ところが、この呂布という男。誘いに乗っちゃうんです。
誘われるまま、本当に主人の丁原を殺し……丁原の軍勢をそっくり連れて、董卓の家来になってしまうんです(189年)。
このとき呂布は、董卓と親子の契りまで結びました。
なんというか……誘う方も誘う方、乗っちゃう方も乗っちゃう方。悪役として歴史に名を残す人は、レベルがちがいますね(震え声)。
しかし……この裏切り、呂布の「裏切り人生」においては、まだまだ序曲にすぎなかったのです。
裏切りその2―――三国志の魔王・董卓も殺害!
■ 裏切りその2―――三国志の魔王・董卓も殺害!
裏切りその2―――三国志の魔王・董卓も殺害!
兵力を増強し、呂布という猛将まで手に入れた董卓は、自分の権力を磐石のものとしました。漢の政府の権力をガッチリにぎった彼は、乱暴な政治で人々を恐怖におとしいれます。
大臣を勝手に辞めさせ、好き勝手な人事をするなんて、まだ序の口。富豪から金品を奪って我が物としたり、罪もない人をたくさん殺すなど、やりたい放題の政治を行います。
さらにはこの董卓、あろうことか、皇帝をクビにしてしまいます。
当時の漢の皇帝は幼い少年(劉弁)でしたが、董卓はこの何ら罪もない少年皇帝を退位させ、異母弟(劉協)を即位させます。
いくら権力者とはいえ、臣下の身で皇帝をクビにするなんて、あまりに大それたことでした。しかも後に、クビにした前皇帝の少年を、殺してしまうんです。背筋の凍るほどの冷酷さですね。
(ちなみに、このとき董卓によって即位させられた新皇帝が、漢のラストエンペラーとなる献帝です)。
こんなメチャクチャな政治に対し、ついに各地の有力者が立ち上がります。「董卓を倒し、好き放題の政治をやめさせよう」と、「反董卓連合軍」を結成したのです(190年)。
これは絶体絶命か?……と思いきや、さすがは董卓、悪役政治家としてモノがちがいました。連合軍が首都・洛陽に攻め寄せてくるや、なんと宮殿や街を焼き払って、強引に長安に遷都(せんと)してしまったのです(首都を焼き払って、別の場所にうつすなんて……もうスケールが大きすぎますよね)。
しかし……反董卓連合軍にも揺るがなかった董卓の権力が、ついに終わる日がきます。
そう。呂布の裏切りによって、魔王・董卓は悲惨な最期をむかえるのです。
まず、朝廷の有力者であった王允(おういん)という人物が、董卓暗殺計画を立てました。この王允の誘いに乗って、呂布はまたしても主人への裏切りを決意したのです。
しかし呂布にとって、董卓は親子の契りまでかわした「義父」にあたるわけです。その相手を、どうして殺そうと思ったのでしょうか?
いくつかの理由が挙げられています。
あるとき、腹を立てた董卓に、刃物を投げつけられたとか……。
呂布が、董卓の侍女(身の回りの世話をする女性)と男女の仲になってしまい、バレてしまうのを恐れたとか……。
前者の説は「暴君」董卓ならいかにもありそうな話ですし、後者の説も、欲望に忠実な呂布ならやりかねない事です。
ともあれ、呂布が味方についた「董卓暗殺計画」は見事に成功。三国志序盤の魔王・董卓は「義理の息子」に裏切られ、あえなく最後を迎えたのです。
裏切りその3―――三国志の主役・劉備(玄徳)を裏切り!
■ 裏切りその3―――三国志の主役・劉備(玄徳)を裏切り!
裏切りその3―――三国志の主役・劉備(玄徳)を裏切り!
董卓を倒した呂布は、暗殺計画の首謀者である王允とともに、一時政権をにぎります。
しかしそれもつかの間、董卓の残党たちの巻き返しにあい、敗れ去った呂布は、都を追われてしまいました。
ここから、呂布の流浪の人生が始まります。
呂布には自慢の強い軍団がありますが、自分の領土を持っているわけではなく、このままでは兵士たちを食べさせることができません。いくら戦いに強いといっても「腹が減っては戦ができない」のです。
呂布は各地の群雄たちに自分を売り込み、受け入れを頼みに行きます。しかし2度も主人を裏切り、殺してきた男が、簡単に受け入れてはもらえません。
そこで呂布はついに、他人の領地を乗っ取りを考えます。
相手はあの曹操です。曹操が本拠地を留守にしたスキをついて、そこを占領してしまったのです。
この乗っ取りには、協力者がいました。
曹操の部下であった陳宮というキレ者が、曹操への反逆を思い立ち、呂布を招き入れたのです(この後、陳宮は呂布がもっとも頼りにする重臣となります)。
しかし……相手は三国志でも随一の戦上手とされる曹操。やられっぱなしでいる男ではありません。反撃に出た曹操との戦いが始まりました。そして血みどろの戦いの末、呂布は敗れ去り、やっと手にした領土も失ってしまいました。
流浪生活に疲れはてた呂布が、最後に頼ったのは……三国志の主人公である劉備(玄徳)でした。
「裏切り者」として、中国全土に周知されていた呂布。「こんなヤツを受け入れたら、ロクなことにならない」というのが、当時の群雄の共通認識でしたが……劉備(玄徳)は呂布の受け入れを決断します。
ところが!
ここでも呂布は、裏切りをしでかします。戦いのため、劉備(玄徳)が領地を留守にしたところを、まんまと乗っ取ってしまったのです。
「留守にしたスキに、領土を乗っ取る」―――曹操相手にやったお得意の戦法を、劉備(玄徳)にまでやらかし、しかも今回は成功したのです。
裏切りに乗っ取り。ここまでくると、「ある意味呂布ってスゴイ」と感心してしまいますね。
(しかし……裏切り者として有名な呂布を受け入れて、案の定、領土をそっくり取られてしまった劉備(玄徳)は、なにを考えていたのでしょう。とんでもないお人好しだったのか、あるいは呂布の武勇に魅力を感じたのか……)
裏切り者の末路―――最後に見せた「神経の図太さ」
■ 裏切り者の末路―――最後に見せた「神経の図太さ」
裏切り者の末路―――最後に見せた「神経の図太さ」
裏切りを重ね、乱世を強引に生き抜いてきた呂布。
しかしこの男にも、ついに最後が訪れます。「裏切りの人生」に幕を下ろしたのは、因縁浅からぬ曹操と劉備(玄徳)でした。
呂布に本拠地を追われた劉備(玄徳)は、曹操のもとを頼ります。曹操は呂布にトドメを刺すべく、攻め込んできました。
呂布は城の中に追い込まれてしまい、得意の騎馬戦術も役に立たなくなってしまいます。
そうこうするうちに、ついに軍団の内部でクーデターが起きました。反逆した部下たちは、呂布がもっとも頼りにしていた重臣・陳宮をとらえ、曹操の前に引き出したのです。
城に押し込められて騎馬戦術が使えないうえ、最後の頼みだった陳宮までいなくなり……さすがの呂布も戦意をなくしてしまいます。呂布はとうとう、曹操に降伏しようと決めました。
曹操の軍門にくだった呂布は、縄でしばられたまま、曹操の前に引き立てられます。そこで彼は、なんとも驚くべきことを曹操に言ったのです。
「貴殿(=曹操)が歩兵を率い、私が騎兵を用いれば、天下は容易に平定できるでしょう」
そう。呂布は曹操に向かい、自分を部下にして用いるよう求めたのです。
どうです? この神経の太さ。裏切りに裏切りを重ね、主人殺しをくり返した人間が、まだ他人に信用されると思っていたのでしょうか。しかも相手は、かつて領土の乗っ取りを仕掛けた曹操です。
ここで、曹操に向かい意見を述べたのは、これまた因縁の相手である劉備(玄徳)でした。彼は呂布のどうしようもない性格を、こう非難します。
「この男はかつて、主人である丁原や董卓を、ことごとく裏切ってきました。ここで命を助けても、また同じことを繰り返すはずです」
さすがは劉備(玄徳)。実際に裏切りの被害にあった人が言うと、説得力が違いますね。
曹操もこの進言を受け入れ、ついに呂布を処刑しました。
いくら呂布が勇猛といえど、いつまた裏切るか分からない武将を、使うことはできなかったのです。
裏切りを繰り返し、乱世を強引に生き抜いてきた呂布も、こうしてついに、最後の時を迎えたのでした。
しかし……この男にトドメを刺したのが、部下による「裏切り」というのはなんとも皮肉ですね。
そう。「裏切り」で生き抜いてきた呂布は、最後の最後に「裏切り」で万事休したのです。
自分がやったことは、いつか必ず、自分に返ってくるのですかね……。
首をはねられるとき、呂布はなにを思っていたのでしょう。
あるいは、かつて裏切った丁原や董卓のことを、思い出していたのでしょうか。