【三顧の礼】~臥龍、目覚める時~ 孔明の「天下三分の計」

【三顧の礼】~臥龍、目覚める時~ 孔明の「天下三分の計」

雪深き山道、度重なる不在、そして三度目の訪問。
劉備の誠意が、ついに「臥龍」を目覚めさせる時。
二人の運命的な出会いと、その後の歴史を大きく変える「天下三分の計」の提示がされる【三顧の礼】について、物語風でお楽しみください。


荊州にて人望を集める日々

荊州にて人望を集める日々

荊州にて人望を集める日々

201年、新野の城では、劉備が着実に基盤を築いていた。
彼のもとには、関羽、張飛、趙雲といった歴戦の勇将たちがおり、その人徳を慕う者も少なくなかった。

ある日、劉備が町を巡視していると、一人の老農が近づいてきて言った。
「劉備様、あなたが来られてから、賊の襲来が減り、年貢の取り立ても穏やかになりました。これこそ仁政というものです」

劉備は深く頭を下げた。
「私はただ、人として当然のことをしているまでです。この地の平和が、一日でも長く続くことを願うばかり」

しかし、内では深い焦りがあった。
歳月が過ぎるごとに、曹操は北で勢力を拡大している。
自分は、このまま劉表の客将として、平和な日々を送っていていいのか。
天下の民を苦しみから救うという大義は、いったいどこへ行ってしまったのか。

夜、独り書斎に座り、天を仰ぐ。
「私はいまだ、龍が昇るべき雲を得ていない。水はあれど、天に駆ける風がない」

その風が現れるのは、まだ少し先の話だった。

冬の茅廬

冬の茅廬

冬の茅廬

建安十二年、冬。
新野の城は、浅い雪に覆われていた。

劉備は書斎で、地図を見つめながら深く息をついた。荊州北部の守りを任されてから数年、歳月だけが過ぎていく。北では曹操が華北を統一し、その視線は確実に南へと向けられている。

「私は何をしているのか……」

窓の外では、関羽と張飛が兵士を訓練する声が聞こえる。信頼できる義兄弟と、わずかな手勢。仁徳を慕って集まる民は増えても、天下を動かすほどの力はない。

「皇叔、またそんな顔を」
簡雍がそっと声をかける。

「憲和よ、私はまるで籠の中の鳥のようだ。翼はあるが、飛ぶべき空を知らない」

その時、一人の客が劉備を訪ねてくる。水鏡先生こと司馬徽だった。

「玄徳公、ご無事で何よりです」
「水鏡先生、こんな雪の中、よくいらしてくれました」

温かい茶をすすりながら、司馬徽は静かに語り始める。
「この地には、伏龍と鳳雛と呼ばれる二人の俊英がおります。どちらか一人を得れば、天下は安らかになるでしょう」

劉備の目が輝く。
「そのお方はどこに?」

「伏龍は諸葛亮、孔明と名乗る若者。襄陽の西、隆中に草廬を構え、晴耕雨読の日々を送っております。年は二十余りですが、その才は管仲や楽毅にも匹敵すると噂されています」

司馬徽が去った後、劉備は直ちに関羽と張飛を呼び寄せる。

「雲長、益徳、私を隆中に連れていってくれ。天才の軍師に会いに行く」

張飛は満面の笑みを浮かべる。
「はは、ついに面白いことが始まるな!すぐに馬を用意する!」

関羽は冷静にうなずいた。
「評判だけの人物かもしれませんが、兄上があそこまで言うなら、付き従いましょう」

初めての訪問

初めての訪問

初めての訪問

雪の降る道を、三人は馬を進めた。
山あいの小さな村に、茅葺き屋根の粗末な家が見えてくる。

「ここが、かの諸葛亮の住まいか」

劉備は戸を叩く。
出てきたのは、若い小作人らしい男だった。

「ご主人の諸葛亮さんにお目にかかりたいのですが」

「申し訳ございません。主人は今朝、友人を訪ねて出かけております。いつお帰りになるかも……」

張飛が舌打ちする。
「ついてないな、兄者。帰ろう」

劉備はため息をつき、懐から短冊を取り出す。
「では、これをご主人に渡してほしい。劉備が訪ねたと」

短冊には、たった一行がしたためられていた。
「漢室末裔、劉備玄徳、賢才を求めて参ず」

帰り道、張飛が不平を言う。
「一体どんな偉い人物だ?わざわざ会いに行ったのに、留守とは!」

関羽がたしなめる。
「益徳、賢人は簡単には会わぬものだ。それだけの価値があると心得よ」

劉備は振り返り、雪に覆われた茅廬を見つめた。
「必ずまた来よう。たとえ十度でも」

二度目の挫折

二度目の挫折

二度目の挫折

春が訪れ、新野の柳が芽吹く頃、劉備は再び隆中へ向かった。

「今度こそ会えるだろう」
張飛も期待に胸を膨らませている。

しかし、運命は残酷だった。
応対に出てきたのは、前回と同じ小作人ではないか。

「ご主人はまたしても外出されておりまして……」

「どこへ?」
「名も告げず、ただ旅立たれました」

張飛の我慢は限界に達していた。
「ふざけるな!わざと逃げ回っているのではないか!こんな田舎者、放っておけばいい!」

「益徳!」
劉備の一声に、張飛はうつむく。

関羽が冷静に分析する。
「兄上、もしかすると本当に不運なだけかもしれません。しかし二度も空振りとは……わざとらしくも感じます」

劉備は再び短冊を残す。
前回と同じ言葉の下に、新たに一行を加えた。
「再び参ず。是非を請わんと欲す」

帰路、劉備は沈黙を守った。
疑念が胸をよぎる。もしかすると、諸葛亮は会う気がないのかもしれない。あるいは、本当に大した人物ではないのか。

しかし、司馬徽の言葉が脳裏に響く。
「伏龍と鳳雛、どちらか一人を得れば、天下は安らかになる」

「……もう一度だけ」
劉備は呟く。
「もう一度だけ、訪ねてみよう」

三度目の真実

三度目の真実

三度目の真実

それから数ヶ月、劉備はじっと時を待った。
秋が深まり、紅葉が山を染める頃、彼は決意する。

「雲長、益徳、もう一度だけ付き合ってほしい」

張飛は憤慨する。
「兄者!あんな傲慢な者、縄で縛って連れてくればよい!わざわざ三度も出向くことはない!」

関羽も同意する。
「確かに、兄上の身分を考えれば、これ以上は沽券に関わります」

劉備は二人の肩に手を置く。
「私が天下のために膝を屈するのは、恥ずかしいことではない。もし真の賢才なら、十度でも二十度でも訪ねよう。お前たちの兄は、そんなに度量の小さい男か?」

二人はしばし黙り、やがて深々と頭を下げた。

三度目の道は、前とは違って見えた。
まるで山そのものが、真摯な訪問者を迎え入れているようだった。

茅廬の前にたどり着くと、小作人が待ち構えていた。
「ご主人はおります。どうぞお入りください」

天下三分の計

天下三分の計

天下三分の計

草廬の中は、驚くほど質素だった。
書物が積まれ、地図が壁に掛けられている。
そして、部屋の中央で、若い男が目を閉じて座っていた。

目を開けると、その瞳は深い知性に満ちていた。

「劉備様、ついにご対面できました」
声は穏やかだが、芯の通った響きがあった。

「孔明先生……」
劉備は感極まり、言葉を詰まらせる。

「三度も足を運んでくださるとは、恐れ多いことです」
諸葛亮は深々と頭を下げる。
「実は、初めの二度は確かに避けておりました」

「なぜです?」
「劉備様が、どのような方かを確かめたかったのです。一度や二度の挫折で諦めるような方なら、私の力を必要とされないでしょうから」

張飛が口を開こうとするが、関羽に制止される。

諸葛亮は続ける。
「しかし、三度目に雪の中をやって来られるのを見て、わかりました。劉備様こそが、私が仕えるべき主君だと」

劉備の目から涙がこぼれた。
「先生……どうか、この愚かな私を導いてください。漢室は傾き、民は苦しんでいる。どうすればよいのか、もうわかりません」

諸葛亮は静かに立ち上がり、壁の地図の前に立つ。

「では、天下の形勢を申し上げましょう」

彼の指が地図の上を滑る。

「まず曹操。百万の軍勢を擁し、天子を奉じて諸侯を号令しています。今すぐ対抗することはできません」

「次に孫権。江東に三代続く基盤があり、民も心を寄せています。これも味方にすることはできませんが……」

ここで諸葛亮の目が鋭く光る。

「援軍として頼ることはできます」

劉備の息が詰まる。

「では、我々はどこへ向かえばよいのでしょう?」
関羽が真剣な面持ちで尋ねる。

諸葛亮の指が、荊州と益州を指す。

「ここです」

「まず、荊州。北は漢水、沔水に臨み、南海の利を尽くし、東は呉や会稽と繋がり、西は巴や蜀に通じる。これは用兵の地であり、その主・劉表は守ることもできません。これは天が将軍に与えた土地です」

「次に益州。険しい土地で肥沃な野は千里、天府の土と呼ばれます。高祖皇帝(劉邦)はここを拠点に天下を統一されました。その主・劉璋は暗愚で、民は困窮しています。賢君を待ち望んでいるのです」

張飛が興奮して立ち上がる。
「つまり、この二州を手に入れろというのか!」

諸葛亮はうなずく。

「荊州と益州を手に入れた後は、西の諸戎、南の夷越を和睦させ、外には孫権と結び、内では政治を修めます」

「そして時機を見て――」

諸葛亮の声が力強くなる。

「一軍を荊州から率いて宛や洛陽へ向かい、もう一軍を益州から率いて秦川へ出る。そうすれば、霸業は成就し、漢室は再興されるでしょう」

静寂が部屋を包んだ。

劉備は震える手で顔を覆う。
涙が止まらない。

「これが……これが私が探し求めていた答えだ……」

長い間、暗闇の中で手探りしていた。何度も敗れ、何度も逃げ、ただ「民を救いたい」という思いだけを頼りに生きてきた。

そして今、この若き軍師が、明確な道筋を指し示してくれた。

「先生!」
劉備はひざまずく。
「どうか、私と共にこの道を歩んでください!この劉備の、愚かで未熟な主君でよければ!」

諸葛亮もひざまずき、劉備の手を取る。

「私は、野に伏していた一匹の龍に過ぎません。しかし劉備様が、私を天へ昇らせてくださるのであれば……」

「私の全ての知恵を、全ての力を、劉備様と天下万民のために捧げましょう」

関羽と張飛も、自然とひざまずいた。
涙さえ浮かべる張飛の顔は、感動に輝いている。

「先生……私、張飛はがさつで無学ですが、この命、先生と兄者のために使わせてください!」

関羽は深く頭を下げる。
「関羽もまた、この剣を先生のご策略のために捧げます」

その日、草廬を出る時、夕日が山々を黄金に染めていた。
劉備は振り返り、茅廬を見つめる。

「先生、ここで暮らす日々に、未練はありませんか」

諸葛亮は穏やかに微笑む。
「晴耕雨読の日々も良いものでした。しかし、書物の中の天下を救うより、現実の天下を救う方が良いでしょう」

四人は馬に乗り、新野へと向かう。
道すがら、諸葛亮が言う。

「まずは荊州の情勢を整えましょう。そして孫権との連携を模索します。曹操が南へ下ってくるのは、時間の問題ですから」

劉備は深くうなずく。
「全て、先生のご指示に従います」

背後で、張飛が関羽に囁く。
「雲長、なんだか……ついに、本当の戦いが始まる気がするな」

関羽は目を細めて前方を見つめる。
「ああ……長かった流浪の日々に、終わりが告げられる。そして新たな戦いの始まりだ」

劉備は胸を張って馬を進める。
これまで何度も敗れ、何度も逃げてきた。
しかし今回は違う。明確なビジョンと、天才の軍師がいる。

暗かった未来に、一筋の光が差し込んだ。
長く苦しい道のりではあるが、確かな道筋が見えた。

天下三分の計――
それは、ただの戦略ではなかった。
劉備と彼に従う者たち全てに、希望を与える壮大な物語の始まりだった。

やがて来るべき戦いのために。
そして、乱世に喘ぐ民すべてのために。

新野の城へと続く道を、四人の影は夕日に長く伸びていく。
歴史は、この日から、新たなページをめくり始めるのである。





この記事の三国志ライター

古代の雑学を発信

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