袁氏滅亡 ~郭嘉、北天に散る~

袁氏滅亡 ~郭嘉、北天に散る~

河北の雄・袁氏、ついに滅亡。骨肉相食む泥沼の抗争と、その裏で糸を引く曹操の非情な智略。北天の果て、道なき道を進む軍勢の前に、若き天才軍師・郭嘉が命を賭して遺した「最後の献策」とは?覇者が流した生涯一度の慟哭が、乱世の終わりと新たな戦乱を告げる。歴史の分岐点を描く、渾身の書き下ろし。


北天に刻まれた、天才の遺言

北天に刻まれた、天才の遺言

北天に刻まれた、天才の遺言

官渡の灰塵に消えた袁紹の夢から、わずか二年。
かつて「河北の雄」と恐れられた男は、血を吐き、失意の病床で事切れた。
だが、その死は終焉ではない。
それは、肉親同士が互いの喉笛を食い破る、地獄のような「骨肉相食む」序曲に過ぎなかった。

迷走する名門、漁夫の利を得る「奸雄」

迷走する名門、漁夫の利を得る「奸雄」

迷走する名門、漁夫の利を得る「奸雄」

残された広大な領土。長男・袁譚と三男・袁尚は、父の亡骸が冷える間もなく剣を抜いた。


「明公、天が袁氏を捨て、我らに授けようとしています」
軍師・荀彧の冷徹な声が響く。曹操は目を閉じ、かつての友・袁紹の顔を思い浮かべた。
「……旧友の息子たちを、この手で葬れというのか」
「救うのです。これ以上の内紛で泥にまみれる河北の民を。それこそが、覇者の歩むべき『大仁』にございます」

曹操は決断した。「弔問」の白旗を掲げ、北へ向かう。その旗は哀悼の意を示す一方で、獲物を狙う猛禽の鋭さを秘めていた。曹操は急がない。兄弟が争い、疲れ果て、泥沼に沈むのを待つ。熟練の漁師が網を絞るように、彼はゆっくりと、確実に袁氏の命脈を削り取っていった。

天才軍師の予言と、血塗られた抱擁

天才軍師の予言と、血塗られた抱擁

天才軍師の予言と、血塗られた抱擁

長男・袁譚が弟に追い詰められ、なりふり構わず曹操に縋った時、曹操は「救いの手」を差し出した。
娘を嫁がせ、同盟という名の首輪をかける。
「この縁組は、甘い毒薬に過ぎません」
そう断じたのは、曹操が最も寵愛する若き天才、郭嘉(奉孝)だった。
「袁譚は窮地を脱すれば、必ずその恩を仇で返します。奴の瞳には、感謝ではなく焦燥が宿っている」

予言は的中した。南皮の地で、再び反旗を翻した袁譚に対し、曹操の怒りが爆発する。
猛攻の末、追い詰められた袁譚の首が宙を舞った。その瞬間、曹操の脳裏を過ったのは、かつて都・洛陽で共に遊んだ幼き日の袁譚の笑顔だった。
「愚か者が……」
血濡れた剣を握りしめ、曹操は乾いた風に吐き捨てた。
「本初よ、聞こえるか。貴様の息子を、今、私が殺したぞ」

凍てつく死軍、盧龍塞の奇跡

凍てつく死軍、盧龍塞の奇跡

凍てつく死軍、盧龍塞の奇跡

生き残った袁尚と袁煕は、北の果て、異民族・烏桓の地へと逃げ込む。
王・蹋頓(とうとん)の精悍な騎馬軍団を盾に、彼らは再起を狙っていた。

「不毛の北地に深入りするのは自殺行為だ!」
重臣たちが反対する中、病に冒され、肌の白んだ郭嘉が、消え入りそうな声で、しかし断固として言い放った。

「……だからこそ、行くのです」

郭嘉の瞳には、死を悟った者特有の冷徹な光が宿っていた。
「敵は、我らが『常道』を往くと信じている。ならば、道なき道を進む。これぞ奇策。これぞ勝利の唯一の鍵」

建安十二年、夏。

曹操は郭嘉の策を信じ、千年の孤独に沈む廃道「盧龍塞(ろりゅうさい)」へ全軍を投じた。
食糧は尽き、水は枯れ、兵士たちは馬を殺してその血を啜った。曹操自らが泥にまみれて道を切り拓く。
その背中に、限界を超えた将兵たちは「狂気」に近い忠誠を見た。

白狼山の頂。眼下に広がる数万の烏桓騎兵を前に、曹操は咆哮した。

「見よ! あれは軍ではない、ただの烏合の衆だ!」

雷鳴のごとき進撃。名将・張遼の矛が烏桓王を討ち取った。袁氏の兄弟は、さらに北東、凍てつく遼東へと落ち延びていく。

奉孝、散る。そして「無音の勝利」

奉孝、散る。そして「無音の勝利」

奉孝、散る。そして「無音の勝利」

勝利の歓喜が冷めやらぬ陣営に、悲報が走る。
郭嘉、危篤。
曹操が幕舎へ駆け込んだ時、かつての天才は、もはや影のように細り果てていた。
「奉孝、安心せよ。すぐに遼東へ攻め込み、袁氏の息の根を止めてやる」
曹操の手を、郭嘉の冷たい指が弱々しく押し返す。
「……行かぬのが、最善にございます……」
彼は最期の力を振り絞り、未来を紡いだ。
「我らが動かねば、遼東の公孫康は彼らを疑う。
袁氏の兄弟は、その野心を抑えきれず、自ら破滅の種を撒くでしょう。待つのです……戦わずして、首が届くのを」

それが、郭嘉の最期の言葉となった。
曹操は冷たくなったその手を離さず、人目も憚らず慟哭した。
「哀しいかな奉孝! 痛ましいかな奉孝! 惜しいかな、奉孝!!」
覇者の涙が、北天の荒野に虚しく吸い込まれていく。一国を得るよりも、この男一人を失うことの方が、曹操には耐え難かった。

終焉、そして南風の予感

終焉、そして南風の予感

終焉、そして南風の予感

数ヶ月後。郭嘉の遺言通り、遼東から一つの漆塗りの箱が届く。
中には、塩漬けにされた袁煕と袁尚の首。
こうして、七年にわたる執念の追討劇は、一滴の血を流すこともなく幕を閉じた。

鄴城の楼閣に一人立つ曹操。
北風が、彼の白髪を激しく揺らす。
「奉孝……お前の見た景色は、これだったのか」
華北は統一された。しかし、曹操の心に宿るのは、達成感ではなく、底知れぬ喪失感と孤独だった。

風向きが変わる。
北風は止み、湿り気を帯びた南の風が吹き始めた。
曹操の視線の先には、悠久の時を湛える大河・長江。
そして、未だ見ぬ強敵たちが待つ「天下」そのものが広がっていた。





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