【三国志入門】黄巾の乱から赤壁の戦いまで、10分でわかる三国志前半

【三国志入門】黄巾の乱から赤壁の戦いまで、10分でわかる三国志前半

「三国志、興味はあるけど登場人物が多くて難しそう…」そんな初心者の方へ。黄巾の乱で世が乱れ、暴君・董卓が倒れ、曹操・劉備・孫権という三人の英雄が立ち上がるそして物語は、あの伝説の「赤壁の戦い」へ。三国志の“はじまりの20年”を、流れがスッと頭に入るように解説します。この記事を最初に読めば、三国志が理解しやすくなる!


三国志のはじまり 乱世を駆けた英雄たちの物語

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すべては「黄巾の乱」から始まった

西暦184年、中国を治めていた後漢王朝は腐りきっていました。重税と飢饉に苦しむ民の不満は限界を超え、ついに大爆発します。黄色い頭巾を巻いた数十万の農民が、いっせいに蜂起したのです。これが黄巾の乱。

この大反乱を鎮めるため、各地から名もなき若者たちが立ち上がりました。その中にいたのが、後に天下を三分する三人義に厚い劉備、知略の曹操、江東の猛虎孫堅です。乱世は、英雄たちの「産声」でもありました。

暴君・董卓と、最強の猛将・呂布

暴君・董卓と、最強の猛将・呂布

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乱がおさまっても、漢王朝は救われませんでした。西暦190年頃、暴君・董卓が都・洛陽を支配します。略奪と暴政に怒った諸侯は連合軍を結成しますが、董卓には「最強の盾」がいました。養子にして天下無双の猛将、呂布です。

三英戦呂布

三英戦呂布

三英戦呂布

虎牢関で連合軍の前に立ちはだかった呂布は、まさに無敵。そこへ飛び出したのが三人の男張飛・関羽・劉備でした。一対三の死闘の末、ついに呂布をたじろがせます。義兄弟の名が、乱世に轟いた瞬間でした。

なおこの頃、劉備は「平原の相」(郡の長官に相当)を務めていました。

そして西暦192年、董卓はあっけない最期を迎えます。最も信頼していた養子・呂布の手で暗殺されたのです。

しかし暴君の死は、より激しい群雄割拠の時代の幕開けにすぎませんでした。

【孫家三代】江東に根を張る虎の血脈

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ここで南の主役を紹介しましょう。「江東の虎」孫堅は早くに戦死。その志を継いだ長男孫策は「小覇王」と呼ばれ江東を席巻しますが、彼も若くして倒れます。すべてを受け継いだのが弟の孫権。派手な武勇はないものの、人材を束ねる「王の器」を持つ男でした。孫堅・孫策・孫権の三代が、やがて「呉」という国を築きます。

官渡の戦い・運命の夜

官渡の戦い・運命の夜

官渡の戦い・運命の夜

北の大地では、二人の巨人がにらみ合っていました。名門の袁紹と、成り上がりの曹操。兵力では袁紹が圧倒的有利。誰もが袁紹の勝利を疑いませんでした。

決戦の地は官渡。劣勢の曹操は、敵の兵糧庫・烏巣を夜襲し、すべて焼き払います。兵糧を失った大軍はもはや烏合の衆。運命の夜、官渡の戦いは曹操の歴史的大逆転で幕を閉じました。

袁氏滅亡と、天才軍師・郭嘉の最期

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敗北をきっかけに名門袁氏は滅亡。しかし栄光の影で、曹操は最愛の存在を失います。彼の戦略を幾度も勝利に導いた天才軍師・郭嘉が、遠征の最中、わずか38歳で病没したのです。郭嘉の最期は、曹操の覇業に落ちた大きな影でした。

義兄弟、乱世を駆ける 〜官渡から新野へ〜

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その頃、劉備たちは苦難の連続でした。戦に敗れ、ついには義兄弟さえ離ればなれに。劉備は袁紹のもとへ、関羽はやむなく曹操の陣営へと引き裂かれてしまいます。

曹操は地位も金も惜しまず関羽を引き留めようとしますが、その心は微塵も揺るぎませんでした。劉備の生存を知った関羽は、財宝に封をして曹操のもとを去ります。義兄の二人の夫人を守りながら、行く手を阻む五つの関所を突破し、ひたすら兄を目指す五関を越え千里を駆けた、忠義の生き様。これこそ関羽・千里行です。

ついに義兄弟は再会を果たし、荊州の小さな町新野に身を寄せました。

【三顧の礼】〜臥龍、目覚める時〜

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【三顧の礼】〜臥龍、目覚める時〜

新野の劉備に欠けていたものそれは天下を描ける「軍師」でした。彼は噂の若者、諸葛亮孔明を訪ねます。一度目も二度目も留守。それでも劉備は三度、頭を下げて訪ねました。この三顧の礼の誠意に、ついに臥龍は目を覚まします。

孔明が語ったのは、壮大な構想でした。「北の曹操、南の孫権とは争えませぬ。ならば西を取り、天下を三つに分けるのです」天下三分の計。流浪の英雄・劉備に、初めて「未来の設計図」が手渡されたのです。

長坂の風、そして同盟

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しかし、北を平定した曹操の大軍が、ついに南へ迫ります。劉備は、慕ってついてくる十万の民を見捨てず、ともに逃げました。長坂坡では、張飛がたった一騎で大軍を震え上がらせ、趙雲は敵陣に斬り込んで劉備の幼子を救い出します。

そして孔明は単身で江東へ渡り、揺れる孫権を説き伏せました。孫権は剣で机を斬り落とし、決断します。劉備と孫権の同盟、ここに成立。弱者同士が手を取り合い、巨人・曹操へ立ち向かうのです。

〜赤壁の戦い〜 長江を、炎が染める

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西暦208年、中国史上もっとも名高い決戦赤壁の戦いが幕を開けます。

『草船借箭』諸葛亮の奇策

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連合軍の総司令官・周瑜は、孔明に「三日で矢を十万本そろえよ」と無理難題を吹っかけます。孔明は涼しい顔で、藁束を積んだ船団を濃霧の夜に曹操軍へ近づけました。奇襲と勘違いした曹操軍が放った矢は、すべて藁束に突き刺さる。孔明は一兵も失わず大量の矢を「敵から借りて」帰還したのです。これが草船借箭。

【苦肉の計】

【苦肉の計】

【苦肉の計】

火攻めを成功させるには、敵に信じ込ませる「裏切り者」が必要でした。老将・黄蓋が名乗り出て、わざと周瑜に逆らい、激しく鞭打たれます。これこそ苦肉の計わが身を裂いてでも敵を欺く、捨て身の芝居でした。曹操はすっかり黄蓋の「降伏」を信じ込みます。

炎、そして関羽の義

すべての策が整い、孔明が読み切った通り、奇跡の東南の風が吹きました。油を積んだ黄蓋の船団が炎の矢と化し、鎖でつながれた曹操の大艦隊へ突き刺さる。長江が真っ赤に燃え上がり、曹操の大軍は壊滅。天下統一を目前にした野望は、炎に焼き尽くされました。

敗走する曹操の逃げ道・華容道で待ち構えていたのは、関羽。首を取れば大功です。しかし関羽は、かつて曹操に厚遇された恩を忘れられませんでした。彼は刀を下ろし、道を開ける曹操を関羽が逃がしたのです。功よりも義を選ぶ。関羽という英雄の生き様が、ここに完成しました。

こうして「三国」が生まれた

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黄巾の乱の炎で始まった物語は、赤壁の炎で大きな節目を迎えました。曹操は北へ退き、劉備は天下三分の計に従って自国を築く足がかりを得て、孫権は江東を不動のものとします。魏・呉・蜀ついに天下は三つに分かれました。これが三国鼎立。英雄たちの物語は、まだ始まったばかりなのです。

三国志、ここから始める ―― 黄巾の乱・董卓・赤壁と、前半を気に解説させていただきました。後半にも、感動エピソードが盛りだくさんですが、YouTube連動をしている関係で、少々、お時間をください。その間、他の記事をお楽しみください。読みやすくなったのではないでしょうか?





この記事の三国志ライター

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