最凶の暴君・董卓、 養子・呂布による衝撃の「裏切り」と連環の計

最凶の暴君・董卓、 養子・呂布による衝撃の「裏切り」と連環の計

かつてこれほどまでに民を震え上がらせ、そしてこれほどまでに無惨な最期を遂げた男がいたでしょうか。
後漢末期、腐敗した王朝にトドメを刺し、恐怖のどん底に突き落とした「魔王」董卓。彼の天下は盤石に見えました。しかし、その崩壊は身内から、しかも最も信頼していた「最強の息子」の手によってもたらされたのです。


洛陽炎上! 魔王・董卓の降臨

洛陽炎上! 魔王・董卓の降臨

洛陽炎上! 魔王・董卓の降臨

物語の舞台は、後漢末期の都・洛陽。
黄巾の乱が収束し、ようやく平和が戻るかと思われた矢先、西涼の荒野から20万の大軍を率いて現れたのが董卓仲穎(とうたくちゅうえい)でした。

狼が羊の群れに入ったような暴政

狼が羊の群れに入ったような暴政

狼が羊の群れに入ったような暴政

董卓が都に入ってからの悪逆非道ぶりは、筆舌に尽くしがたいものでした。

皇帝のすげ替え: 少帝を廃し、9歳の陳留王(献帝)を擁立。権威を完全に私物化。
略奪と殺戮: 「ごみあつめ」と称して民家を襲い、財産を奪い、女性を暴行。
残虐な処刑: 逆らう官僚を宴の席で四肢切断し、釜茹でにする。

洛陽は血と腐臭にまみれた魔都と化しましたが、誰も彼に逆らえません。なぜなら、彼の隣には「人中の呂布、馬中の赤兎」と謳われる最強の武将、呂布奉先(りょふほうせん)が控えていたからです。

「俺のバックには呂布がついている」

この最強のカードがある限り、董卓の天下は永遠に続くかと思われました。

老臣の執念と「美女連環の計」

老臣の執念と「美女連環の計」

老臣の執念と「美女連環の計」

絶望的な状況の中、一人の老臣が立ち上がります。司徒の王允(おういん)です。
武力で勝てないなら、知略で勝つしかない。彼が仕掛けたのは、天下を欺く「連環の計(れんかんのけい)」でした。

老臣の執念と「美女連環の計」

老臣の執念と「美女連環の計」

老臣の執念と「美女連環の計」

絶望的な状況の中、一人の老臣が立ち上がります。司徒の王允(おういん)です。
武力で勝てないなら、知略で勝つしかない。彼が仕掛けたのは、天下を欺く「連環の計(れんかんのけい)」でした。

絶世の美女・貂蝉(ちょうせん)の登場

王允の切り札は、月も恥じらって隠れるほどの美貌を持つ歌姫・貂蝉。
王允の策は、シンプルかつ残酷なものでした。

1. 呂布に貂蝉を見せ、「妻にやる」と約束する。
2. 董卓に貂蝉を見せ、その美貌で骨抜きにし、連れ帰らせる。
3. 二人の間に「嫉妬」という猛毒を流し込む。

父子の亀裂

「約束が違う!」と激怒する呂布に対し、王允は「太師(董卓)様が、息子のお前を驚かせるために連れて帰ったのだ」と嘘をつきます。
しかし、貂蝉は董卓の屋敷に留め置かれたまま。さらに貂蝉は、呂布には「太師様に無理やり……」と泣きつき、董卓には「呂布将軍が乱暴で怖い」と訴える命がけの演技を見せます。

ある日、董卓の愛妾となった貂蝉と呂布が密会している現場を、董卓が目撃。激昂した董卓は、あろうことか呂布の方天画戟を奪い、呂布に向かって投げつけたのです。

「あの老いぼれ、俺を殺そうとしたな……」

最強の父子の絆が、一人の美女を巡って完全に決裂した瞬間でした。

未央宮の惨劇「奉先はいずこ!」

未央宮の惨劇「奉先はいずこ!」

未央宮の惨劇「奉先はいずこ!」

192年4月。王允と呂布は、ついに実行へと移ります。
「皇帝の快気祝い」と称して董卓を未央宮(びおうきゅう)へ呼び出したのです。

道中、車輪が壊れるなどの不吉な予兆がありましたが、権力を過信した董卓は止まりません。
宮殿の門をくぐった瞬間、伏兵たちが一斉に襲いかかりました。

しかし、董卓は分厚い鎧を着込んでおり、刃が通りません。車から転げ落ちた董卓は、恐怖に歪んだ顔で叫びました。

> 「誰かおらぬか! 呂布! 奉先(ほうせん)はいずこ!」

絶体絶命のピンチに、彼が助けを求めたのは、やはり「最強の息子」呂布でした。
しかし、土煙の中から現れた呂布の瞳にあったのは、忠誠心ではなく冷徹な殺意でした。

「詔(みことのり)を奉じ、逆賊・董卓を討つ!」

驚愕する董卓の喉元を、呂布の方天画戟が一閃。
「黙れ、肥豚!」という罵声と共に、暴虐の魔王はその生涯を閉じました。

燃え続ける脂と、終わらない乱世

燃え続ける脂と、終わらない乱世

燃え続ける脂と、終わらない乱世

董卓の死に、長安の民衆は歓喜しました。
市中に晒された董卓の死体はあまりに肥満していたため、へそに灯心を挿したところ、その脂肪を燃料にして数日間燃え続けたといいます。
民の膏血(こうけつ)を吸い続けた暴君の、あまりに皮肉な最期でした。

歴史への教訓

歴史への教訓

歴史への教訓

しかし、これでハッピーエンドとならないのが三国志です。
この後、権力を握った王允は厳格すぎたために反乱を招き、殺害されます。呂布もまた都を追われ、放浪の身となりました。

董卓という「必要悪」が消えたことで、群雄割拠の時代はさらに加速し、英雄たちが覇を競う真の乱世へと突入していくのです。

洛陽の焦土から長安の政変へ。
董卓と呂布の物語は、権力と欲望、そして裏切りの連鎖が、いかに儚く残酷なものであるかを今に伝えています。

絶世の美女・貂蝉はどこへ消えた? 董卓暗殺後の「4つの結末」

絶世の美女・貂蝉はどこへ消えた? 董卓暗殺後の「4つの結末」

絶世の美女・貂蝉はどこへ消えた? 董卓暗殺後の「4つの結末」

董卓と呂布という二人の怪物を手玉に取り、見事に漢王朝の仇を討った歌姫・貂蝉。
彼女の役割は「連環の計」の成就をもって終わったかのように思えますが、実はその後の彼女を巡っては、悲劇から伝説まで様々な説が飛び交っています。

歴史の闇に消えた彼女の足跡。その主な4つのルートを追ってみましょう。

説その1:【演義ルート】呂布と共に滅びの道を歩む

最もポピュラーな小説『三国志演義』での描かれ方です。

董卓が殺された後、貂蝉は正式に呂布の妾(愛人、または第二夫人)となります。ここまではハッピーエンドに見えますが、呂布はその後、曹操や劉備と戦い続け、徐々に追い詰められていきます。

下邳(かひ)の城で曹操軍に包囲された際、呂布は出撃しようとしますが、正妻の厳氏と貂蝉が「行かないでください」と引き止めます。呂布はこの言葉に惑わされ、引きこもって酒に溺れ、結果として部下の裏切りにあい処刑されてしまいます。

では、残された貂蝉は?
演義の記述では、呂布の処刑後、「家族と共に許都(曹操の本拠地)へ送られた」とあるだけで、その後の消息はプッツリと途絶えてしまいます。
曹操の庇護下で余生を送ったのか、それとも……。読者の想像に委ねられた、静かなフェードアウトです。

説その2:【関羽ルート】軍神・関羽との悲恋と死

これは『三国志演義』以外の民間伝承や、京劇(雑劇)などで非常に人気のある展開です。
呂布を倒した曹操は、呂布の名馬「赤兎馬」を関羽に与えたことで有名ですが、「実は貂蝉も関羽に贈ろうとした」という説があります。

ここから物語はさらに分岐します。

A:関羽が斬り捨てる(斬貂蝉)

貂蝉の美貌が「国を傾ける(傾国の美女)」であることを危惧した関羽が、「このまま生かしておけば、また英雄を堕落させる」として、涙を飲んで彼女を斬り殺すというパターン。
月明かりの下、彼女の影を斬ったという幻想的な演目もあります。

B:自害を選ぶ

関羽は貂蝉を憐れみ、「尼になって静かに暮らせ」と諭します。しかし、貂蝉は呂布への操を立てるため、あるいは波乱の人生に疲れ果て、関羽の前で自害して果てるという悲劇的なパターンです。

いずれにせよ、武神・関羽と絶世の美女・貂蝉という、三国志の二大スターを絡ませたドラマチックな結末です。

説その3:【殉死ルート】使命を終えて……

これは近年の創作や一部の解釈で見られる説です。

董卓暗殺直後説: 「連環の計」が成功し、董卓が死んだのを見届けると、「汚れた身で生き続けることはできない」として自害する。
呂布殉死説: 当初は利用するために近づいたが、次第に呂布を本当に愛してしまい、呂布が処刑された後を追って自害する。

「強い意志を持った女性」としての貂蝉を強調する結末と言えます。

説その4:【史実ルート】そもそも彼女は……?

最後に、歴史的な事実(正史)という冷や水を浴びせなければなりません。

正史『三国志』には、「貂蝉」という名前の女性は登場しません。

ただし、モデルになった人物はいます。
歴史書には、呂布が董卓の「侍婢(じひ=侍女)」と密通しており、それが発覚するのを恐れていた、という記述があります。
この「名もなき侍女」との密通エピソードと、王允による董卓暗殺計画が、物語として結合し、「貂蝉」という魅力的なヒロインが誕生したのです。

ちなみに「貂蝉」という言葉自体は、当時の官僚がかぶる帽子についていた飾り(貂のしっぽと蝉の飾り)を指す言葉。
「名もなき侍女」は、歴史の隙間から生まれた幻影だったのかもしれません。

まとめ:幻だからこそ美しい

まとめ:幻だからこそ美しい

まとめ:幻だからこそ美しい

いかがでしたでしょうか。

1. 呂布と共に捕まり、歴史からフェードアウトした。
2. 関羽と出会い、悲劇的な死を迎えた。
3. そもそも実在せず、名もなき侍女がモデルだった。

どの説を信じるかは、三国志ファンのロマン次第です。
しかし、彼女が「呂布と董卓」という二つの巨星をぶつけ合わせ、歴史の歯車を大きく回したことだけは、物語の中の真実として輝き続けています。





この記事の三国志ライター

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