孔明VS司馬懿、割って入る李厳が面白い!

孔明VS司馬懿、割って入る李厳が面白い!

三国志を紐解くと国と国の争い以上に武将と武将の争いに焦点が当てられています。そして孔明をもってしても計算できないものがあります。それは敵の動きではなく味方の保身。天才がいるからと言って必ず計算通りに事を勧められるわけではないという人々の思惑がより一層三国志を面白くしています。今回紹介する李厳はなかなかの厄介者です。


優位に進めていた北伐

優位に進めていた北伐

優位に進めていた北伐

戦闘に関して言えば魏に対し有利に進めることができるものの兵糧において満足に供給できない蜀はなかなか北伐成功をおさめられないでいた。そんな中、諸葛亮孔明は230年に第4次北伐を行った。
蜀の兵糧不足を見抜いていた孔明のライバル司馬懿(しばい)は、自らは攻めこまずひたすら持久戦に持ち込む作戦に出た。
孔明は食料調達を現地で行うことに切り替え、麦の刈り取り時期を狙った。ちなみにこの策は「糧食は敵から奪え」という孫氏の兵法からとったものではないかと言われている。
麦の刈り取りに気づいた司馬懿はさらにこの策について察知した。しかし、孔明はそのための奇策まで用意していた。
孔明は自分と同じ背格好の3人を影武者としていた。同じ車、同じ衣装、同じ旗を持ちあちこちから司馬懿の前に現れ度々司馬懿の軍を翻弄した。
(この時の影武者は姜維(きょうい)、馬岱(ばたい)、魏延(魏延)の3人)
その後司馬懿は捕縛した蜀の兵士からこのカラクリを聞き今度は攻めに出る姿勢を現した。

司馬懿という男

司馬懿という男

司馬懿という男

三国志が面白いとされるのは呂布や関羽のような豪傑がいる傍らで孔明や周瑜のような知将がいるからだろうと思います。そしてそんな知将孔明の前に幾度となく立ちはだかったのが司馬懿である。
司馬懿は孔明ほど後世に語り継がれている訳ではないが、孔明のライバルとして三国志(主に蜀対魏)において大いに盛り上げる存在となった。
司馬懿は曹操の死後、魏王に即位した曹丕に重用された。陳羣(ちんぐん)、呉質(ごしつ)・朱鑠(しゅしゃく)の四人は曹丕の四友とされたほどである。
しかし曹丕の在位期間は短く、即位6年後には死去し、曹叡(そうえい)が王位についた。曹丕は死ぬ間際に司馬懿に曹叡の補佐を託した。曹叡は臣下たちとはほとんど面識がなく、曹丕の代からの重臣をそのまま重用し国をまとめていた。
司馬懿は230年に大将軍に昇進すると孔明と対峙することとなる。蜀に対しての総大将は曹真であったが、その曹真が死に、司馬懿がその後任として総大将を任された。
三国志では司馬懿が孔明を破ったという記述は無いものの、何度も孔明を悩ませたのは間違いない。
もし司馬懿がいなかったら孔明は簡単に前線を突破し、魏の喉元まで攻め込むことができたかもしれない。
孔明に勝てはしないがいつものらりくらり孔明攻撃をいなすようなスタイルは司馬懿でなければ成し得ない戦法だっただろう。
司馬懿は孔明を「諸葛亮は天下の奇才だ」と言うほど孔明の実力を認めていた。それくらい司馬懿は孔明の能力を買っていたため自分から攻めるのに関して消極的だった。
話はちょっと飛んで234年の五丈原の戦いに移るが、孔明が死んだという情報を聞きつけた司馬懿は一気に攻めに出る。しかし蜀軍は孔明が生きているかのように見せかけ反撃の姿勢を見せた。それに対し司馬懿は、孔明が自分をおびき寄せる作戦だと勘違いし、急いで撤退した。
これがのちに有名な「死せる孔明、生ける仲達を走らす」という言葉が生まれた由来である。この言葉に対し、「司馬懿は情けない奴だ」と思う人は多いかもしれないが、逆に孔明の凄さをそこまでくみ取ることのできる司馬懿はやはりただ物ではないと言える。

孔明は引き返す

孔明は引き返す

孔明は引き返す

さて、話は第4次北伐に戻る。ここで孔明は司馬懿の裏をつき、影武者を何人も送り込みあたかも自分が出現したと思わせる。司馬懿が困惑している間にまんまと敵陣の麦を刈り取ったのである。カラクリを知った司馬懿は攻めに出るも四方から伏兵に襲われ退却を余儀なくされる。
孔明の策はまんまとはまり、北伐は成功まであと一歩だった。しかしそんな中、孔明を青ざめさせるほどの出来事が起きてしまう。なんと「魏と呉が手を組もうとしている」という報せが孔明の基に届いてしまうのだ。
この報せに対して孔明はその場で裏を取る時間はなかった。半信半疑だったがもしその情報が本当でこの場を戻らなかったら取り返しがつかないことになる。そう思った孔明は祁山(きさん)まで北上していたがそこからの撤退を余儀なくされた。
急いで成都に戻った孔明だったが、魏と呉の同盟などと言った話は全くなかったことに気づく。

李厳という男

李厳という男

李厳という男

さて、この第4次北伐の主役は誰か。主役はやはり孔明だろう。そして助演は司馬懿だ。しかし、はっきり言って脚本は李厳と言ってもいいくらい大きなこと(それがいい悪いは別として)をしでかした。
兵糧の準備を任されていた李厳だったが自分の怠慢さゆえに兵糧の準備が遅れたのだ。それを孔明に悟られてはまずいと思ったため、孔明には魏と呉が同盟を結んだとデマを流した。成都には孔明と司馬懿が同盟を結んで蜀に反逆したと弾劾した。もちろんそんな大きな嘘が見破られないわけもなく、大激怒した孔明は李厳を庶民に落とした。

現代社会で言うならば先方への商談に向かった部長が電車で寝過ごしてしまった。それを悟られたくない部長は先方に対し、
「あなたたちの求める商品は在庫切れで発注予定もない。どうか他社の違う商品をお使いください」といい、自分の上役には
「先方の求める商品とうちの商品に差異があるため今後発注しないと申していました」といった。
そんな感じの嘘を付いていたのです。(もちろんこんなレベルでは済まされませんが。)そして起こった社長に平社員まで降格させられました。処刑級の大失態を犯した李厳ですが、そうならなかった背景として、先代の王、劉備(玄徳)に気に入られていたからだと言われています。自分の失態を嘘で塗り固めようとするのはいただけませんがそういう気の弱い「ノー」と言えない人間が上司に好かれることはありますよね。

孔明は知徳があり完璧な人間に見えますがもしかしたら部下の失態は徹底的に叱咤していった可能性もありますね。もしそうだとしたら李厳が保身する気持ちも少しは分かってしまいます。ちなみにこの李厳。なんと庶民にまで降格させられたのにも関わらず孔明が死去した際「これで自分は二度と政治の世界に戻れないのだ」と嘆きまもなく病死してしまいます。

まとめ

まとめ

まとめ

孔明と司馬懿はいいライバル関係にありました。
孔明の方が一枚上手ではあったが、司馬懿は常にベストを尽くし、勝てないまでも最小限の負けで食い止めていた。
孔明は死してなお司馬懿の驚異となっていたが、司馬懿が孔明の実力を認めていたからのことであって決して凡人には理解できない領域の話なのである。
第4次北伐はもう一歩で孔明の圧倒的勝利で終わろうとしていたがまさかの「李厳の嘘」により失敗(痛み分けといった方が正しい)に終わる。
李厳の失敗談は現代社会にもありがちなことで(スケールは違うが)ここから学び取れることはたくさんある。
李厳が間違い(怠慢だが)を訂正できなかった理由として、孔明はもしかしたら「部下に超厳しかった」からかもしれない。
戦乱という中でも現代に通づる保身があり人間がいろんな感情をもって戦争をしているんだなというのが伝われば幸いです。
ちょっと間抜けな李厳という男はどうだったでしょうか。ちなみに私は憎めないキャラでちょっと感情移入してしまうところもあるのです(上司にミスを報告するのは誰でも嫌で保身を考えてしまいますよね)





この記事の三国志ライター

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