1.魏のダメ上司
■ 1.魏のダメ上司
1.魏のダメ上司
曹操
■ 曹操
曹操
魏のダメ上司のひとりが曹操です。曹操と言えば、強いリーダーシップを持っており、多くの有能な人材を発掘しているため理想な上司だと思えます。実際に、魏の礎を築いたのは曹操であり、能力として一級品です。しかし、ダメ上司な一面も持ち合わせているのです。ダメ上司であることがわかるのが、赤壁の戦いとなっています。
赤壁の戦いでは、曹操軍は大敗を喫しているのです。『正史』によると、曹操軍が敗れた理由は病疫とされています。実は、この近辺では病疫が流行していることが知られていたのです。実際に曹操の重臣である賈詡は、病疫が流行していることを踏まえ、「呉への侵攻は万全な体制を整えてからにするべき」と進言しています。しかし、当時の曹操軍は勢いに乗っており、その勢い任せに赤壁の戦いに臨み大敗を喫してしまったのです。
このことから、曹操が上司だったら勢いで仕事を任せる可能性があります。確かに勢いは大事ですが、上司には常に冷静にいて欲しいものです。ダメ上司にならないためにも、勢いだけでなく、常に冷静に考えられるようにしておくことが大切なのです。
曹丕
■ 曹丕
曹丕
魏のダメ上司と言えば曹丕です。曹丕は、曹操から勢力を受け継ぎ魏の初代皇帝となった人物です。しかし、曹丕はダメ上司であり、魏の戦犯のひとりとされています。その理由は、司馬懿に漬け込む隙を与えてしまったからです。当時の魏の国の勢力は強固なものだったのですが、曹丕は曹家一門の勢力を削ぐようなことをします。兄弟を僻地に遠ざけ、曹家の弱体化を招き、のちにクーデターを起こす司馬懿に漬け込む隙を与えてしまったのです。そのため、曹丕は魏滅亡の戦犯とされているのです。
曹丕が上司だったら、自分の地位を脅かす人物の足を引っ張る可能性があるでしょう。そんな人物はダメ上司であり、付いていきたくありません。ダメ上司にならないためには、部下を大事にするのが大切です。部下を遠ざけるのではなく、フォローするのが良い上司なのです。
2.呉のダメ上司
■ 2.呉のダメ上司
2.呉のダメ上司
孫権
■ 孫権
孫権
呉の初代皇帝である孫権もまた、ダメ上司となっています。若くして呉の棟梁となる孫権は、名君としての時代があります。しかし、晩年には暴君に成り果て、ダメ上司となるのです。孫権の晩年の失敗は2つあります。1つ目が後継者の指名であり、2つ目が佞臣である呂壱を重用したことです。後継者をなかなか決めないことにより、後継者争いによって幾人もの人物を亡くしています。また、呂壱を重用したことにより、重臣などが罪に陥れられ、呉に疑心暗鬼をもたらしてしまったのです。
このように、晩年の孫権はダメ上司となっています。優柔不断で後継者を指名できないため、仕事でも時を逸してしまう可能性があります。また、自分が気に入った人物を重んじるため、真面目に働きたくなくなる上司と言えるでしょう。ダメ上司にならないためにも、素早い決断や公平な人物評価をするようにするべきです。
孫晧
■ 孫晧
孫晧
呉の最後の皇帝である孫晧も、ダメ上司として有名です。孫晧は、呉滅亡の戦犯とされている人物のひとりとなっています。戦犯とされている理由は、暴君だったからです。孫晧は皇帝となった当初は、名君との評価でした。人民を憐れみ、官の倉庫を開き貧民を救ったりしたのです。しかし、次第に暴君としての一面を見せるようになっていきます。酒と女を好み、気に食わない人物には残虐な処罰を与えたのです。これにより呉の結束は失われることになり、司馬炎によって呉は滅亡させられてしまうのです。
孫晧が上司だったら、部下に圧政を敷くことでしょう。気に食わないことがあれば、左遷に遭ってしまうかもしれません。そんな上司のもとでは怖くてまともに働くことはできません。やはり孫晧はダメ上司であり、反面教師にしたい人物なのです。
3.蜀のダメ上司
■ 3.蜀のダメ上司
3.蜀のダメ上司
張飛
■ 張飛
張飛
劉備(玄徳)の義兄弟である張飛もまた、ダメ上司となっています。張飛と言えば劉備(玄徳)が挙兵したときから付き従っていた武将であり、勇猛果敢な武将として有名です。しかし、そんな張飛はダメ上司であり、最期は部下によって殺されてしまいます。張飛は酒癖が悪く、お酒で失敗することが多くありました。また、張飛は部下に厳しく、死刑が頻繫に行われていたのです。そして、張飛は恨みを抱いていた部下によって、殺されてしまうのです。
張飛が上司だったら、パワハラが横行することでしょう。飲み会を強要されたり、少しのミスで処罰されたりする可能性が高いです。それでは、ブラック企業であり、ビクビクしながら仕事をしなければならなくなります。ダメ上司にならないためにも、部下思いになる必要があります。
諸葛亮
■ 諸葛亮
諸葛亮
蜀の政治家・軍師である諸葛亮もダメ上司です。諸葛亮は劉備(玄徳)・劉禅に仕えており、名軍師のイメージが強いです。赤壁の戦いで勝利できたのは諸葛亮のおかげと言っても過言ではありません。しかし、上司としてはダメなのです。諸葛亮がダメ上な理由は、部下を成長させることができなかったからです。劉備(玄徳)の死後、諸葛亮は蜀の公務をほとんど自分で決裁していました。そうすれば当然、部下が成長することはありません。人材育成ができなかったため、諸葛亮が亡くなると蜀はあっさりと滅亡してしまうのです。
上司は、仕事ができることは大切です。しかし、それと同時に部下を育成することも重要となっています。諸葛亮のように、自分ですべて片付けてしまえば、部下の成長を促すことができません。そのため、諸葛亮はダメ上司であり、反面教師となっているのです。良い上司になるためには、部下にも仕事を任せ、成長できる環境を作ってあげるべきなのです。
4.まとめ
■ 4.まとめ
4.まとめ
今回は、三国志に登場するダメ上司を紹介してきました。三国志の登場人物の中には、数多くのダメ上司が登場しています。英雄とされている人物の中にも、実は上司としては『ダメ』なんてこともよくあるのです。曹操や孫権、諸葛亮などもダメ上司となっているのです。そんな三国志のダメ上司を反面教師にすることで、良い上司になることができるでしょう。このように三国志からは、さまざまなことを学ぶことができるのです。ぜひ、三国志から多くのことを学びながら、三国志の世界を楽しんでみてください。