いくつもの国がしのぎを削り、三国に絞られた状態でも諸葛亮(孔明)は誰よりも南蛮の勢力を注視していました。魏に攻め込む際に南に憂いがあっては攻めこめない。そういう想いがあったのです。しかしそれだけではなく、何とかして南蛮の勢力を自分たちの力に変えられないかとも思っていました。ここでは蜀と南蛮のかかわりについて紹介しま
三国志演義では、「南中」と呼ばれる地域が登場します。蜀の南方での争乱を防ぐため、諸葛亮が向かった場所です。また、「七縦七擒」の語源や饅頭の由来となった場所でもあります。孟獲ら南蛮の中心人物や戦い・文化もご紹介します。