三国志・良禽は木を択んで棲む!主君と家臣の難しい関係

三国志・良禽は木を択んで棲む!主君と家臣の難しい関係

三国志の時代の主君と家臣の関係はどのような価値観に基づいていたのでしょうか。孔子の「良禽拓木」という言葉に該当するような人物を探してみました。


良禽拓木とは

良禽拓木とは

良禽拓木とは

四字熟語の中には「良禽拓木」という言葉があります。良禽とは優れた鳥のことです。優れた鳥は棲む木を択ぶということになります。賢いので、安全に巣作りができ、食料確保にも困らないような木を択んで棲むわけですが、これは人間にも当てはまると言いたいわけです。「賢者は仕える主君を択ぶのが当然だ」という孔子の言葉で、「春秋左氏伝」に登場します。

江戸時代の日本の武士の「忠義」とは真逆の考え方かもしれません。どんなに主君が愚かでも家臣は忠義を尽くして盛り立てていくのがこの頃の武士道です。孔子ももちろん忠義を説いているわけですが、江戸時代の武士道とは異なり、主君が暗愚であれば取り換えてもよし、国を去って他の主君に仕えるのもよし、と論語には書かれています。忠義を尽くすのはあくまでも名君に対してのみということになるのです。この孔子の考え方が三国志の時代の価値観になります。

要するに裏切りもありという戦国乱世

要するに裏切りもありという戦国乱世

要するに裏切りもありという戦国乱世

良禽拓木の感覚は現代人の方が江戸時代の侍よりも理解できるのではないでしょうか。より環境や待遇の良い会社に移ることは罪なことではありませんよね。現代では、一つの会社で生涯をまっとうすることは別に美徳でもありません。ステイタスアップできる人物の方が尊ばれる時代です。三国志の時代も似たような価値観だったと考えるとわかりやすいのではないでしょうか。

自分の才能を殺してまで無能な主君(会社)に仕える必要はないということですね。でもこれって「裏切り行為」です。これまでの恩義を踏みにじる行為という側面は確かにあります。読者がネガティブに受け止めるのも無理からぬ話です。

しかし、己の野心のために主君を殺してしまうような「謀叛」は、「良禽拓木」とはまた別の話なのではないでしょうか。線引きは難しいのですが、良禽拓木とは、あくまでも新しい名君に仕えるために、これまでの主君を見限るということでしょう。

三国志の代表例

三国志の代表例

三国志の代表例

三国志で例えると、「荀彧」がこれに該当するのではないでしょうか。潁川に住んでいた荀彧は董卓らの侵略を懸念し、同郷の誼で韓馥を頼って一族と共に冀州へ向かいます。しかし冀州の牧は袁紹に代わっていました。上賓の礼をもって袁紹に迎えられますが、やがて袁紹の器量では乱世は鎮められないと判断すると、そのもとを去り、曹操に仕えました。まさに良禽拓木ですね。ちなみに郭嘉にも似たような話がありますが、こちらは袁紹に会って見切りをつけていますので一度仕えたという経歴にはなっていません。程昱も同じで、劉岱には仕えることをせずに曹操の求めには応じました。

同じような参謀役としては「許攸」もいますね。許攸もまた袁紹を見限り、曹操に仕えています。しかし許攸の場合は袁紹に重く起用されていながら、自分の家族が罪を犯して逮捕されたため、逃れるように寝返っています。これは良禽拓木とはいえないのではないでしょうか。

許靖の場合はどうなのか

許靖の場合はどうなのか

許靖の場合はどうなのか

仕える主君をコロコロ変えた人物に、人物評価で名高い「許靖」がいます。許靖は董卓に逆らい、都を出奔しました。当初は豫州の刺史・孔伷のもとに身を寄せ、その後は揚州の刺史・陳禕のもとへ、袁術が勢力を伸ばすと会稽郡太守の王朗のもとに身を寄せます。さらにここが孫策に侵攻されると南へ逃れ、交阯郡太守の士燮に迎えられました。そして益州牧の劉璋の求めに応じて仕え、ここが劉備(玄徳)に制圧されると逃げるところを捕らえられています。法正のアドバイスによって劉備(玄徳)に許され仕えることとなり、最終的には蜀の司徒まで昇進しています。

許靖の場合は、積極的に名君を求めるというより逃げ回っていた感じがありますね。良禽拓木という確固たる意志はほとんど感じられません。ちなみに、所属していた勢力の数は三国志の中でもトップクラスなのは間違いないでしょう。

賈詡の場合はどうなのか

賈詡の場合はどうなのか

賈詡の場合はどうなのか

仕える主君が様々変わっていくといえば名軍師として有名な「賈詡」がいますね。ただ、賈詡の場合は許靖とは正反対です。逃げ回ってではなく、立ち向かっていく中で所属する勢力を変えています。

当初は董卓の娘婿・牛輔に仕えていましたが、クーデターによって董卓も牛輔も殺されてしまいます。狼狽える李傕を支えたのが賈詡です。その後は李傕の政治を改善しようと試みるも邪魔者扱いされて、段煨のもとへ。段煨が賈詡を警戒し始めると家族を守るために南陽の張繍に仕えます。段煨は張繍と争うことを恐れて賈詡の家族を厚遇しました。そして曹操との争いの中で、一度は降伏するものの反旗を翻し、曹操をあと一歩のところまで追い詰めます。しかし袁紹の器量は見抜いており、最終的には張繍には再び曹操に帰順することを勧め、自らも曹操に仕えることになっています。

随所に積極的な姿勢が目立ちますね。曹操に再度降伏したあたりは良禽拓木の感じを受けます。ちなみに、賈詡も許靖と同じように最後には三公の一つである魏の太尉にまで昇進しています。

まとめ・武将では誰でしょうか

まとめ・武将では誰でしょうか

まとめ・武将では誰でしょうか

軍師・文官系の人物ばかりになっていますが、武将には良禽拓木を行った人物はいないのでしょうか。

いろいろな境遇の武将がいる中で、多くの主君に仕えた武将といえば「張遼」ではないでしょうか。猛将として有名な張遼は当初、幷州の刺史・丁原に仕えていました。洛陽に赴任してからは大将軍の何進に仕え、その後は朝廷を牛耳った董卓に仕えています。さらに董卓を倒した呂布に仕え、呂布を倒した曹操に仕えています。

張遼の場合は仕える主君が次々と滅んでいったという背景がありますね。ただし、かつての主君を倒した相手に仕えるケースが多く見られることから、かなり柔軟な思考の持ち主だったことがうかがえます。その点では関羽の対極に位置するようにも思えますが、その二人が親しかったわけですから不思議です。そう考えると張遼は良禽拓木というよりも、忠義に尽くす江戸時代の侍のようだったのかもしれませんね。ただし、主君の滅亡には殉じないという点だけが大きく異なるところでしょうか。切り替えが上手だったのかもしれません。現代でも張遼のようなタイプは生き残り、出世しそうですね。





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