「泣く子もだまる」最強の武将 張遼(2) 真の主人との出会い

「泣く子もだまる」最強の武将 張遼(2) 真の主人との出会い

後に魏の名将となる張遼は、若いころは安住の地を得ることができず、苦労もしました。なにしろ主人の董卓が、同僚の呂布に殺されてしまうのです。結局彼はそのまま呂布の配下となるのですが、そこからさらに運命は急展開していきます。


またしても呂布にふり回される人生

またしても呂布にふり回される人生

またしても呂布にふり回される人生

張遼の若き日々は、とことんまで呂布に振り回されたといってもいいでしょう。
もともとは丁原に仕えていた張遼。しかし同僚である呂布が丁原を殺し、董卓に寝返ってしまったので、張遼もいっしょに董卓につくことになります。ところがその後、呂布が今度は董卓まで殺してしまったので、張遼も呂布の配下となりました。
呂布によって、何度も主人を替えるはめになった張遼。いろいろと思うところがあったのだろうと想像します。しかしここから、さらに彼の運命は激流に飲まれていくのです。

董卓を倒した呂布は、ともにクーデターを起こした王允(おういん)とともに、一時的に中央の政権を掌握します。しかし彼らの政権は長く続きませんでした。王允・呂布政権は、董卓軍の残党のあつかいに失敗したのです。
董卓残党をゆるして味方につける判断ができなかったため、王允と呂布は攻めかかってきた董卓残党に敗れ去ります。こうして王允は斬られ、呂布たちは命からがら長安を脱出しました。

放浪生活と呂布の最後

放浪生活と呂布の最後

放浪生活と呂布の最後

こうして放浪生活を送ることとなった呂布に、張遼もついて行きました(この人であれば、他に就職先がありそうな気もしますが……)。呂布は袁術(えんじゅつ)、袁紹(えんしょう)といった、かつて反董卓連合軍を組織した有力者たちに身を寄せますが、時には冷遇され、時には命をねらわれるなどし、安住の地を得るにはいたりません。

その後、曹操が本拠地を留守にしたスキに攻撃をかけ、領土を奪おうとしますが失敗します。各地をさまよい、疲れ果てた呂布を受け入れてくれたのは、三国志の主役でもある劉備(玄徳)でした。長年呂布のもとで苦労してきた張遼も、ホッとしたことでしょう。ちなみに張遼は劉備(玄徳)軍の関羽と親交があったということですが、この時期に仲良くなったものでしょう。
ところが呂布は、劉備(玄徳)の留守のスキに領土をかっさらうという、お得意の(?)戦法で自分の領土を手にします。しかしその後、曹操の攻撃を受け、ついに滅亡してしまいました。

真の主人に出会う

真の主人に出会う

真の主人に出会う

呂布の滅亡にともない、張遼は曹操にくだり、その配下となりました。
この経緯を、ある三国志の人気マンガなどでは「最強の武を極めるために、曹操に降った」などと、ドラマティックに描写しています。しかし現実はそんなカッコイイものではなかったでしょう。
張遼の想いとは、もっと生活に直結した、素朴ながらも切実なものだったはずです。
そもそも張遼の元々の主人は丁原でしたが、呂布が丁原を殺したため、いっしょに董卓の配下にならざるを得ませんでした。その後、呂布がさらに董卓まで殺してしまうため、そのまま呂布に仕えざるを得なくなったのです。

張遼は、複数の主人のもとを渡り歩いてきたものの、自分の意思で主人を選んでいたわけではありませんでした。自分の主人が呂布に次々と殺されてしまうため、そのつど仕官先を変えなくてはいけなかっただけです。ひたすら呂布にふり回され、放浪生活まで経験した張遼は、地に足をつけて戦うことができない面もあったと思われます。

張遼が求めていたのは「最強の武」などではありません。
安定した仕官先と、武将として力を発揮できる環境。
そしてそれらを与えてくれる、すぐれた主人―――それこそが、張遼の求めていたものだったはずです。
いくら「武を極める」などといっても、腹が減っては戦ができませんし、地に足をつけて戦えないことには、武人として功績をあげることもかないません。
張遼にとって、曹操との出会いは、まさに流浪の人生に光がさした一瞬だったかもしれません。

戦いだけではない「武将の手柄」

戦いだけではない「武将の手柄」

戦いだけではない「武将の手柄」

曹操軍は、張遼にとって安住の地だったのでしょうか。張遼はその後、水を得た魚のように活躍を続け、次第に曹操の信任を得て、重く用いられるようになります。
曹操が「官渡の戦い」で袁紹を破ったころ、張遼は曹操の重臣である夏侯淵(かこうえん)とともに別働隊を率いて、徐州(江蘇省などを中心とする一帯)の反乱鎮圧に出陣しました。しかし途中で食料が尽きてしまったため、軍を撤退することになりました。
しかし敵の状況を注意深く見ていた張遼は、ここで夏侯淵に進言します。

「敵将はいつも私の側を見つめており、矢を射かけてくることもほとんどありません。彼はきっとためらいがあるので、精一杯戦わないのでしょう。
 私が敵将と会って、降伏するように説得してみたいのですが、どうでしょうか?」

こうして張遼は敵将に会い、さらには敵将の家に行って家族にも会うなどして説得し、ついに降伏させることに成功します。これは武将として、戦って勝つ以上に大きな手柄でした。
兵法書にも「戦わずして人の兵を屈するは、善の善なるものなり」との言葉があります。敵を戦いで従わせる場合、自軍も被害を受けますし、食料などの物資も消耗します。その点、説得して降伏させるのであれば、兵力や物資の消耗をおさえることができるのです。

曹操の意外な苦言

曹操の意外な苦言

曹操の意外な苦言

こうして敵将を降伏させた張遼ですが、意外にも主人の曹操は、この行いを叱責(しっせき)したといいます。

「こんな行いは、大将のするべき事ではないぞ」

曹操は張遼をたしなめました。せっかく手柄を立てたのに、どうしてでしょうか?
思うに「大将」というところが、この話のポイントです。つまり曹操がいわんとしたことは「下の人間が敵の陣営に出向いていくのはいいが、大将の立場でそれをやってはいけない」ということなのでしょう。
軍を率いる武将の立場で、軽々しい行動は控えるべきだと言っているのです。敵の陣営に武将が自ら訪問して、人質に取られたり、あるいは殺されたりしたら大変です。また、武将を通して味方の機密情報が相手にもれることも考えられます。「大将の立場を自覚してふるまい、無駄なリスクをおかしてはならない」ということを、曹操は伝えたかったのでしょう。
この叱責に対し、張遼は素直に謝罪し、主人の忠告を受け入れています。曹操の張遼に対する期待がうかがえるとともに、君臣の相性のよさも感じさせるエピソードです。

いよいよ「真の主人」に出会うことができた張遼。ここから武人としての本領を発揮していきます。次回は彼のさらなる活躍を、じっくり見ていきましょう。





この記事の三国志ライター

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