【三国志の歴史を変えた!?】孔明と劉備(玄徳)の出会い三顧の礼とは

【三国志の歴史を変えた!?】孔明と劉備(玄徳)の出会い三顧の礼とは

三国志は魏・蜀・呉の三つの国が戦いを繰り広げた物語です。この三国の戦いには歴史の分岐点となる事件がいくつもありますが、今回は蜀の天才軍師・諸葛孔明と三国志の主人公・劉備(玄徳)。彼らは一体どのようにして出会うことになったのでしょうか。そして二人が出会うことによって歴史はどのように変化したのでしょうか。


兄は呉の重臣諸葛瑾

兄は呉の重臣諸葛瑾

兄は呉の重臣諸葛瑾

諸葛孔明は兄と弟の三人兄弟の次男として諸葛家に生を受けます。兄は諸葛瑾・弟は諸葛均。兄である諸葛瑾は孔明が劉備(玄徳)へ仕える前、呉の孫権に仕えることになります。彼は江東の各地にいた豪族達を討伐して統一し、天下の群雄から「小覇王」と呼ばれていた孫策が嫌いでした。孫策はその後暗殺されてしまい亡くなってしまいます。そして孫家が治めていた江東の勢力を引き継いだ孫権。彼は江東の基盤をしっかりと確立させようするため、多くの人材を配下に加えます。この時登用した代表的な家臣としては、後年新劉備派として知られることになる魯粛や孫家の宿敵と言われる黄祖の元から離れて呉へ降伏してきた甘寧などあらゆる人材を集めていきます。この時、孫権の妹を奥さんとして迎えていた弘咨が諸葛瑾の非凡な能力を見抜いて孫権へ推挙。孫権は諸葛瑾と会見して、彼の非凡な弁舌能力を知るとすぐに向かい入れます。もしこの時弘咨が孫権へ諸葛瑾を推挙していなければ、歴史に彼の名前が出て来ることはなかったかもしれず、孫呉の歴史も違った物になったでしょう。
こうして兄・諸葛瑾は孔明に先駆けて群雄のひとりである孫権に仕えることになりますが、孔明は何をしていたのでしょうか。彼は兄が孫権に仕えていた時、荊州の首都・襄陽で弟・諸葛均と共に晴耕雨読の生活を送っておりました。

二つの大事なものを手に入れる

二つの大事なものを手に入れる

二つの大事なものを手に入れる

兄・諸葛瑾が孫権に仕えることになった頃、荊州にいた孔明は晴耕雨読の生活を送っておりました。いかにものんびりして、マイペースな生活だと考えている人が多いと思いますが、実情は違います。孔明は弟と共に朝早くから畑を耕し、昼は学問を修めるために先生の所に行き勉学を学び、夜は一人で勉学の独学をしており、意外と忙しい毎日を送っておりました。そんな孔明ですが、この時に彼はかけがえのないものを二つ手に入れております。一つは徐庶と崔州平らと友人になったことです。彼等は孔明の非凡な能力を認めており、仲間内で自分の能力が一体どのくらいあるのか語った際、孔明は「俺の夢は軍人なら楽毅。文官なら管仲に匹敵する能力を持っていると思う」と言ってのけます。その場にいた人々は大いに笑いますが、徐庶と崔州平の二人は笑わずに孔明の言葉に頷いていたそうです。また徐庶は劉備(玄徳)に孔明を紹介した人物で、彼がいなければ孔明は劉備(玄徳)の軍師とならなかったかもしれません。すると三国志は成立することなく歴史はかなり変わっていたかも。そして孔明が晴耕雨読の生活をしている時に手に入れた大事な物の二つ目は奥さんです。彼は荊州の名士・黄承彦の奥さんを妻に迎えております。彼女は背が高くて色黒で当時としては醜女に分類される女性でした。だが孔明は彼女の才能に惚れ込み醜女でも奥さんに迎えたそうです。これら二つを手に入れた孔明はついに運命の出会いが訪れることになります。

孔明の名を知った劉備(玄徳)

孔明の名を知った劉備(玄徳)

孔明の名を知った劉備(玄徳)

孔明はこうしてお嫁さんと大事な友人と付き合いながら、晴耕雨読の生活を継続していきます。そんな中友人のひとりである徐庶が度々劉備(玄徳)の元に遊びに行っていることを知ります。そして彼は劉備(玄徳)に「もし殿が天下を望むのであれば、臥竜を手に入れないと無理だと考えます。」と話します。
劉備(玄徳)は「臥竜とは何者ぞ?」と訪ねます。すると徐庶は「臥竜・諸葛孔明です。彼こそ天下統一を行う際に手に入れておかなければならない人材です。」と進言。劉備(玄徳)は徐庶へ 「孔明をここに連れてきてもらえないか。」と相談します。しかし徐庶は「殿。自ら足を運んで孔明の元へ行かなければ彼は仲間になるすることはできないでしょう」と劉備(玄徳)に孔明の元へ足を運べと提案します。このようなやり取りを行った後、徐庶は孔明の元を訪れて、「今日劉備劉備(玄徳)ところへ言って君の話をしてきた。近いうちに君へ会いに来ると思うからその時は追い返さないで、会ってくれないか。」と相談を持ちかけます。孔明は友人である徐庶の願いを聞き入れることにします。

三顧の礼と天下三分の計

三顧の礼と天下三分の計

三顧の礼と天下三分の計

劉備(玄徳)は徐庶に促されて孔明達が住んでいる庵へ出向きます。一度目に孔明の庵に出向いた時は孔明が留守にしていた為、会うことができませんでした。劉備(玄徳)は留守をしていた諸葛均に自分が訪ねてきたことを伝えて、帰っていきます。二度目に訪ねた時は、孔明が風邪をひいて病に伏せていたので、劉備(玄徳)は孔明に会うことをせずに帰ります。そして三度目に孔明を訪ねた時にやっと彼は孔明と面会を果たします。孔明は劉備(玄徳)と会見した際にある計略を語ります。彼は「今中原は曹家が占領しており、この土地を領有するのは非常に難しいと考えます。そして東には新興勢力として孫家が江東一帯を治めております。新興勢力と言っても孫権は優れた君主で優れた配下にも恵まれており、今すぐ攻撃を仕掛けたとしても、この地を奪うのは難しいでしょう。それではあなた様が天下に身を寄せる土地は一体どこのなのでしょうか。私が考えるにこの荊州の土地と西の益州を奪って領有すればいいと考えます。荊州は曹家や孫家に比べれば比較的に奪いやすく、西の益州においても同じことが言えます。その為あなた様は曹操に対抗するため益州を自ら統治し、荊州は信頼できる部下に預け、孫家と同盟しなさい。そして益州と荊州で力を蓄えた後、益州の玄関口である漢中から軍勢を北上させて涼州の豪族達と手を組んで長安を攻撃。そして荊州から洛陽目指して軍勢を出撃させれば曹家を打倒することは簡単にできると考えます。」と劉備(玄徳)が次に取るべく行動指針を提案します。この提案を聞いた劉備(玄徳)は孔明に「君を私の家臣として迎えたいがいかがであろうか」と訪ねます。すると孔明は「わかりました。謹んでお受けいたします。」と快諾。こうして劉備(玄徳)の元へ天才軍師として名高い諸葛孔明が劉備の配下として加わることになります。
孔明が劉備(玄徳)の配下に加わったことによって曹操の天下統一を阻む第三勢力が出現したことになります。もし徐庶が孔明を推挙しなければ、三国志が出現することなく曹操によって天下は統一されていたことでしょう。孫家にとっても孔明が劉備(玄徳)の配下として加わったことで、曹操に降伏する事なく江東を維持することを考えれば、三顧の礼によって歴史が変わったと言っても過言ではないと私は考えます。





この記事の三国志ライター

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