三国志・夏侯淵の息子である夏侯覇はなぜ蜀に亡命しても重用されたのか

三国志・夏侯淵の息子である夏侯覇はなぜ蜀に亡命しても重用されたのか

名門・夏侯氏の出である「夏侯覇」。あの夏侯淵の息子です。右将軍にまで出世した夏侯覇は突如、蜀に亡命します。なぜ夏侯覇は亡命したのか、蜀はなぜ夏侯覇を受け入れたのかについてご紹介します。


重臣・夏侯淵

曹操配下の名将の中で名前があがる一人に夏侯淵がいます。曹操の親族であり、夏侯淵の正妻は曹操の夫人の妹です。旗上げ当初から曹操に従い、いくつもの死線を共に乗り越えてきました。曹操からの信頼も厚く、経験豊富な夏侯淵はやがて西方の総司令官となります。しかし夏侯淵は劉備(玄徳)との漢中を巡る戦いで命を落としました。219年の定軍山の戦いで劉備(玄徳)配下の黄忠に討たれたのです。

曹操は夏侯淵の家督を長子である夏候衡に継がせます。三国志演義では長子は夏候覇となっていますので、ここは三国志正史とは異なる点になります。どちらにせよ夏侯淵には優れた息子が大勢おり、同族の夏候氏らと共に魏において絶大な権力を握ることになっていきます。曹氏と親族であるということと共に、夏候惇や夏侯淵の活躍があったからこその夏侯氏の隆盛でした。

蜀における夏侯氏の血統

魏の中で力を持つ夏侯氏ですが、実は蜀にもその血は受け継がれています。それが三国志の中でもトップクラスの猛将である張飛の妻となった夏侯淵の姪の存在です。この夏侯夫人は夏侯月姫とも呼ばれています。張飛と出会ったのは、劉備(玄徳)が徐州を追われ袁紹のもとに落ち延びた頃です。義兄の関羽は曹操に降っています。張飛は偶然出会った美少女を妻としました。そこに生まれたのが張苞、張紹です。さらに二人の娘も授かっています。この二人の娘がともに蜀の皇帝である劉禅に嫁いで皇后となっているのです。実に不思議な話ですが、夏侯氏の血は蜀の皇后にまで流れていたことになります。

夏侯覇の登場

夏侯覇、字は仲権。豫州沛国の生まれで、父親は夏侯淵です。三国志演義ではかなり早い段階で登場します。208年の赤壁の戦いが行われた年のことです。曹操軍は荊州へ進軍しました。このとき新野にいた劉備(玄徳)は民衆を率いて南へ落ち延びていきます。その追撃のメンバーの一人に夏侯覇の名前があるのです。長坂で殿を務めていた張飛は追っ手が夏侯覇であることを知ります。妻の夏侯月姫とほぼ同じ歳であり、共に親しく育ったことを聞いていた張飛は討ち取るようなことはせずに大喝して夏侯覇を落馬させたといいます。これに関しては同姓同名の別人であるという説や、まったくの別人である夏侯傑に修正されているものもあります。

諸葛亮の北伐と夏侯覇の登場

父親である夏侯淵、弟である夏侯栄を同時に討たれた夏侯覇は蜀への復讐を誓いました。やがて蜀の諸葛亮が魏を攻めてくるようになります。その後、何度となく行われることになる「北伐」です。魏は揚州の合肥で孫権と戦い、雍州・涼州で諸葛亮と対峙せねばならなくなり、同時に二つの戦線を抱えることになります。そのためにやや受け身だった魏ですが、合肥に新城を築き、230年には蜀に逆襲を仕掛けます。曹真を総大将としてあらゆるルートから漢中に攻め込んだのです。ちなみにこのとき司馬懿も漢水をさかのぼり西城を目指して進軍しています。蜀に恨みをもつ夏侯覇は曹真に従い、その先鋒として漢中を目指しました。このとき夏侯覇は蜀軍に包囲されて危機に陥りましたが、援軍により救い出されたと記されています。魏軍本隊も大雨が一ヶ月ほど続いために撤退を余儀なくされています。親兄弟の仇を討てると意気込んでいた夏侯覇としては無念だったことでしょう。

夏侯覇の亡命

名門夏侯氏の一員である夏侯覇はやがて右将軍にまで出世します。当時、魏で最も権力を持っていたのは曹真の息子である曹爽でした。政敵である司馬懿を追い落とし、曹爽は隆盛を極めるのですが、249年に司馬懿がクーデターを起こし、曹爽は処刑されてしまいます。このとき同族の夏候玄は中央に召し出されて応じましたが、夏侯覇はまったく逆のリアクションをしました。それが蜀への亡命です。これには夏侯覇と不仲だった郭淮が対蜀の総司令官に昇進したことも影響しているとされています。夏侯覇は夏侯玄に対し、共に蜀に亡命しようと呼びかけましたが断られたようです。夏侯玄はその後、司馬氏に対するクーデターに巻き込まれて処刑されています。曹氏、夏侯氏はこうして没落し、代わって司馬氏が力をつけていくことになるのです。

しかし、夏侯玄が中央の招きに応えたのに対し、蜀に亡命するというのは夏侯覇の行動も随分と大胆です。司馬懿、郭淮の台頭によって自らの命の危機を感じたのでしょう。子供たちを魏に残しての亡命であり、かなり突発的なものだったようです。夏侯覇の子供たちは夏侯淵の子孫であるということで処刑されることはなく、北の果てである楽浪郡に追いやられています。一方で夏侯覇の弟である夏侯威は司馬氏に協力し、婚姻関係を結び、その子孫は晋の時代になっても外戚として栄えています。夏侯覇の蜀亡命には個人的な理由が強く係わっていたことになります。曹爽と夏侯覇がそれだけ親しい関係だったこともあるのでしょう。

まとめ・蜀の受け入れ態勢

しかし亡命先の蜀も驚いたことでしょう。魏の右将軍が突如、投降してくるのです。かなりの重鎮です。しかもその父親を蜀は戦場で討っています。なかなか信じられないような出来事です。蜀の皇帝である劉禅は夏侯覇を成都まで呼び、そこで夏侯淵を殺したのは劉備(玄徳)自身ではないということ、蜀に夏侯氏の血を受け継ぐ者が存在することを伝えたそうです。夏侯氏の血筋にあたる張飛と夏侯月姫の娘が、劉禅の妻、皇后となっていることを夏侯覇も知っていたのかもしれません。さすがにそれを知らずに父の仇である国に亡命はしないのではないでしょうか。

この時期には諸葛亮も没しており、当時の北伐の司令官は姜維でした。姜維もまた魏から投降した者です。このあたりも何かしら関係があったのかもしれません。蜀は夏侯覇の亡命を歓迎し、車騎将軍に任じたとあります。夏侯覇は姜維と共に魏を攻め、254年には王経を倒して数万の被害を与えました。姜維と夏侯覇のコンビは三国志演義でも有名です。

実に数奇な運命ですが、夏侯覇は父の仇である蜀で重用され、生涯を閉じることになります。そこには張飛と夏侯月姫の息子や娘の存在が重要な要素を占めていたといえるでしょう。

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