三国志で天下に一番近かったのが曹操(孟徳)です。その曹操が苦しめられた敵将といえば、中盤以降では孫権(仲謀)や劉備(玄徳)、そして馬超(孟起)です。馬超はその武力で曹操軍を圧倒していき、一時は曹操を追い詰めています。そんな馬超と曹操が激突した潼関の戦いとはどんなものだったのでしょうか。
三国志では女性ながら戦闘に参戦したのは稀な存在でした。魏に仕えた趙昂(偉章)の妻だった王異は、馬超(孟起)にも一歩も引かない決死の覚悟で戦いました。この夫妻は協力して馬超に立ち向かい、子どもを殺されながらも馬超を退けることに成功しています。数多くの災難に遭いながらも魏に貢献した王異と趙昂を紹介していきます。
曹操に仕えたのがわずか5年ほどにもかかわらず強烈なインパクトを放った勇将「龐徳」。今回はそんな龐徳の壮絶なる生き様をご紹介いたします。
蜀の五虎大将の一人である馬超。煌びやかなその容姿から「錦馬超」とも呼ばれています。武勇、容姿ともに三国志最強の武将である呂布と共通点がありそうです。今回は馬超の謎についても触れていきます。
【三国志】英雄あだ名列伝~蜀編~の2作目です。この時代のあだ名はその人物の価値を高める効果もあったので、異名を持つということはそれだけで他の者より秀でていることを意味していました。
三国志演義にはさまざまな怪奇現象、怪談話が登場します。オカルトファン必見の三国志にまつわる怖い話をこちらの記事でご紹介します。
【武将考察】シリーズ第2回。西涼の錦と勇名をとどろかせた馬超。潼関の戦いでは曹軍を相手に奮戦し、その名は曹操を恐れさせます。また劉璋も馬超の名に恐れおののき劉備に降伏するなど、大きな威力を発揮しました。その馬超の光と影を見てみたいと思います。