三国志では豪傑や天才のエピソードに目が行きがちですが、その裏で不幸な目にあった物も少なくありません。戦って負ける、策にはめられるというのは日常茶飯事ですがその中でも群を抜いているエピソードを持つ登場人物を紹介したいと思います。
三国志・徐庶はなぜ強烈なインパクトを放ちながら、一瞬で退場していったのか
劉備(玄徳)に諸葛亮(孔明)を推薦して陣営を去っていった徐庶。一瞬の登場でしたが、そのインパクトはまさに衝撃的でした。なぜ徐庶はここまで強烈なインパクトを放ちながら、すぐに消えてしまったのでしょうか。
まさに波乱万丈! 劉備(玄徳)に軍略を教えた徐庶(元直)の生涯
劉備(玄徳)に仕える軍師といったら真っ先に諸葛亮(孔明)を思い浮かべることでしょう。しかし、彼の存在を劉備(玄徳)に教えた人物が徐庶(元直)です。ここでは波乱万丈に満ちた徐庶(元直)の生涯について紹介します。
三国志で最大の戦いの一つといっても過言ではないのが赤壁の戦いです。数で圧倒する曹操軍に対して孫権軍・劉備軍の連合軍が勝ったわけですが、この戦いでは「えっそんなことがあったの?」と拍子抜けしてしまうことも多々ありました。そんなエピソードについて紹介したいと思います。
「才能がないわけじゃない、本気を出していないだけだ」という言葉とともに「明日から本気出す」というネット上の若者。でも、三国時代にもそんな人がいました。蜀の軍師中郎将・龐統(士元)です。
三国志きっての天才・蜀の軍師である諸葛亮(孔明)を育んだのは襄陽の隆中でした。そこは英傑がこぞって在野で知を競い合う土地だったのです。どんな人物たちが切磋琢磨していたのでしょうか。
みなさんお待ちかねの良妻賢母シリーズ第2弾ですよーーー!!内容は前回よりもパワーアップ。「母は偉大なり」をおのずと感じてしまったエピソードを記事に盛り込みました。