三国志演義の見どころ 壮絶な一騎討ちの名場面

三国志演義の見どころ 壮絶な一騎討ちの名場面

三国志演義の見どころは武将たちの駆け引きもあります。戦場での一騎討ちや智謀の計略など、胸躍る場面が多く演出されています。漫画やゲーム、小説などでも人気の三国志演義において、一騎討ちはいくつも登場しますが、有名な戦いを時代背景とともにみていきましょう。


関羽の会心の一撃! 対華雄戦

黄巾の乱が終息するころ、今度は都を西涼の実力者董卓が仕切るようになりました。董卓は暴虐の限りを尽くし、現皇帝を殺害するなどだれも逆らえない暴君の時代が訪れていました。

それに待ったをかけたのが反董卓連合軍であり、袁紹や袁術、孫堅、曹操など各地の実力者が集結していました。しかし、董卓軍は強大であり、中でも将軍の華雄には連合軍も苦しめられていました。

関羽は義勇軍として劉備(玄徳)や張飛と共に参戦しており、立場的には大企業の重役たちが集まる中で孫請けの一般社員クラスといえます。華雄を倒すものは誰かいないのかという袁紹の檄に対し、ただ一人関羽だけが挙手しています。普通に考えて大企業の重役クラスの会議に孫請けの一般社員は参加することはおろか、発言することなどできません。

演義でも諸将たちが反対の姿勢になりますが、関羽は意にも介しません。曹操だけが関羽の胆力に関心して擁護し、潔く送り出しました。

関羽は曹操から注いでもらった酒を飲みほし、出撃するとたった一合で華雄の首を取ってきました。さすがの曹操もこれには驚き、関羽を欲しがるようになっていきます。関羽は帰参してから酔いが回ったことに気付くなど、底知れない実力に連合軍の諸将たちは唖然となってしまいました。

虎牢関の激戦 凌ぎ切った呂布対劉備(玄徳)・関羽・張飛

関羽が華雄を倒すと、反董卓連合軍は勢いに任せて虎牢関に攻め込みます。しかし、華雄は倒せても次は呂布が赤兎馬に乗って登場しました。演義では呂布は最強クラスの実力を持っており、有名でないところの武将たちは一撃で葬っています。

呂布の実力は天下に響いていますので、赤兎馬を見ると連合軍は一様に混乱することとなりました。「だれか呂布を倒せるものはおらんのか」という檄に対し、今度は張飛が単騎で挑みます。

まだ名前や顔も知られていない張飛に対し、呂布は軽く相手をしようと試みますが、張飛の繰り出す一撃に驚きを感じ、50合ほど打ち合いを演じています。張飛の実力に驚いたのは呂布だけではなく、連合軍も同じで袁紹や袁術、曹操らが度胆を抜かれます。

途中で関羽が加わり、呂布は張飛に劣らないその実力にまた驚かされます。そこへ劉備(玄徳)も参戦してきたので、さしもの呂布もこの3人を同時に相手するのはまずいと感じ、赤兎馬を走らせて逃げ出します。

結果を見ると呂布の敗走といえますが、関羽や張飛を相手にして凌ぎ切ったのはさすがといえ、どちらかというと引き分けとも感じられます。呂布が後退したことに驚いた董卓は慌てて洛陽に火を放ち、長安へと遷都することになりました。また、張飛や関羽の武勇はもちろんのこと、それを従えている劉備(玄徳)の人望も高まっていくこととなります。

互角の戦い! 孫策と太史慈

孫堅が戦死し、長男の孫策は袁術の元で庇護されていました。孫策はある時、叔父の救援を名目に袁術に兵を借りることに成功して1,000名の配下を持ちました。わずか1,000名ですが、移動中に孫策の元へかけ参じる者が多く溢れ、その数は5,000名にもなっています。しかも、周瑜や魯粛、諸葛㬎、周泰といった後の孫呉の中心となる優秀な配下が集結していきました。

孫策は袁術とも対立していた揚州刺史の劉ヨウに狙いを定め、両軍は対峙しています。孫策は周囲をよく見渡そうと自ら偵察に出かけます。劉ヨウ陣営には武勇に優れた太史慈がいましたが、直接的な部下ではなく、どちらかというと客将的身分だったので信頼されず、偵察を命じられていました。

太史慈は偶然ながら数騎の供しかいない孫策を見つけ、首を獲らんと一騎討ちに持ち込みます。総大将の孫策は逃げずに応戦し、馬上で打ち合いました。太史慈の鋭い突きにも孫策は怯まず、むしろ返す刀で反撃し、太史慈の馬を刺しています。すぐに両軍の援軍が駆け付けたので、両者は引き離されますが、太史慈と孫策は互いに実力を認め合うようになりました。

後に孫策は太史慈を降伏させますが、首は切らず、縄を解いて自らの配下になるように口説きます。太史慈はその器量に感服し、夕暮れまでに残った兵を集めて投降すると言います。孫策はその言葉を信じて太史慈を行かせますが、当然ながら他の諸将は太史慈が逃げ出して再度手向かうに違いないと心配します。しかし、太史慈は時間通りに残兵をまとめて孫策の元へと戻ってきました。互いに戦いを通じて信頼しあえた仲だからこそできた絆といえるでしょう。

数時間の激戦 馬超対張飛・許チョ

槍の達人といえば趙雲といえますが、その趙雲に負けない実力と人気を誇るのが馬超です。演義では父や弟を曹操に殺された恨みで復讐を誓うので、少し同情的になる場面もあります。

馬超は曹操との対決となった潼関の戦いではその実力を十二分に発揮し、曹操軍を追い詰めていきます。立て直した曹操軍と対峙する場面では一騎討ちを申し出て、曹操陣営からは許チョが出撃しました。

馬超と許チョは互いに一歩も引かずに応戦し、馬を替えて水を飲み、許チョは鎧を脱ぎ捨てて上半身裸で応戦するなど白熱した戦いとなりました。許チョは曹操の護衛を務めるほど武勇に優れていたので、曹操は改めて馬超の恐ろしさを目の当たりにしています。結局曹操が疲れの見え始めた許チョを後退させて両者引き分けとなっています。

張飛とも対決

馬超は曹操に敗れた後、張魯の元へと身を隠し、劉璋軍の援軍として赴いた劉備(玄徳)との戦いで張飛と一騎討ちを演じています。張飛との戦いでも馬超は遅れを取らない実力を見せました。呂布が死んだあとは関羽と張飛が最強武将として描かれ、その関羽は自ら張飛の方が強いと言っていたほどで、張飛の矛を受け止めて槍を突き返す馬超は呂布に匹敵する武将という見方もできます。こちらの戦いも長い時間の末決着が付かず、劉備(玄徳)が割って入り、両者引き分けで終わりました。

弓の名手と潔い戦い 関羽対黄忠

赤壁の戦いが終えると、曹操が一時的に支配していた荊州を奪還しようと劉備(玄徳)軍の諸葛亮は考えていました。荊州の南四郡を照準にし、関羽が長沙の太守韓玄を攻めています。韓玄には60歳を過ぎた老将軍の黄忠がおり、弓の名手として有名でした。黄忠は関羽のことを若造となめきっており、互いに城外で一騎討ちに応戦しています。数合打ち合ってこれは並みの相手ではないと両者が感じますが、黄忠の馬が運悪く躓いて転んでしまいます。

無防備で放り出された黄忠は斬られる覚悟でしたが、関羽は黄忠の武勇に尊敬を感じ、馬を替えてまた戦おうと言い放って命を助けます。黄忠は関羽に恩義を感じ、城内に戻って馬を用意します。途中で太守の韓玄に呼び止められ、弓を使えば倒せるのになぜ使わないと問責され、あれほどの使い手を弓で倒すのは忍びないと感じていました。

黄忠は再出撃して弓を放ち、関羽の兜の緒に命中させました。黄忠は命を助けてくれたお礼とばかりに弓を放って退却します。関羽はその腕前に驚き、最初から弓を使っていれば自分は負けていたが、それをあえてしなかった黄忠の男気に惚れ込みました。黄忠は城内に戻ると、わざと弓矢を外したと韓玄に疑われ、捕えられてしまいます。しかし、すぐに解放されて劉備(玄徳)軍に降伏し、劉璋軍や曹操軍との対決には大活躍をして劉備(玄徳)を助けるようになっていきます。

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