張飛は女子ウケポイント少なめ?いやいや、そんなことない!
■ 張飛は女子ウケポイント少なめ?いやいや、そんなことない!
張飛は女子ウケポイント少なめ?いやいや、そんなことない!
『三国志演義』の主人公・劉備(玄徳)の義弟にして軍の中心人物であった、張飛益徳。24回行われた一騎打ちでは無敗、その武勇を敵国にまで轟かせたほどの猛将です。「三国志で一番好きな武将は?」という質問に対して、張飛の名前を挙げる男性は結構見かけるのですが、女性ファンは少ないという印象があります。理由は恐らく単純でがさつで酒癖が悪いという人物像、ギョロ目に虎髭、ガチムチ体型といった“イケメン”には程遠い容貌で描かれがちな点も大きいのではないでしょうか?
でも、そんな張飛にも、いや、そんな張飛だからこそ女性の心に訴えかける萌えポイントがいくつかあるのです。この先は是非とも「ギロ目虎髭ガチムチのおっさん」を思い浮かべながら読み進めてください!
正史と演義の張飛は別人?なぜ?
■ 正史と演義の張飛は別人?なぜ?
正史と演義の張飛は別人?なぜ?
さて、歴史書である『正史三国志』(以下正史)には、張飛の容姿についての記載はありません(張飛に限らず、容姿について書かれている方が稀)。それどころか、お酒に関する失敗談も見つかりませんし、単純でがさつというよりは、有能ながら残虐で冷徹な印象が……。『三国志演義』(以下演義)のイメージとは違いすぎる張飛像ですね。
さて、どうしてこのような違いが生まれてしまったのでしょうか?
陳寿(ちんじゅ)が『正史』の編纂を終えたのは晋が呉を滅ぼした280年前後と言われています。それに対して『演義』が書かれたのは14世紀後半、中国で言うと明代。実に1000年以上の開きがあるのです。
この間多くの民間伝承が語り継がれ、次第に張飛の姿も「ギョロ目虎髭、酒好きで単純なうっかりさん」としてキャラクター付けされたのでしょう。
ではなぜ張飛だったのか。恐らく理由は彼の出自。
張飛は劉備(玄徳)に仕える以前、肉屋を営み生計を立てており、つまりは庶民の出でした。そのために差別されることもあったようで、コンプレックスから目上の者に媚びへつらい、目下の者を軽んじる態度に繋がっていったのだと思われます。
とはいえ、庶民から将軍にまで成り上がった張飛は、民衆にとって夢を与えてくれ、なおかつ親近感を抱かせてくれる存在であったと考えても無理はありません。そして「粗暴なところはあるけれど、人間臭くて愛すべき人物」としての張飛像が作られていったのでしょう。
孔明の謎かけに挑んだ張飛。その結果は?
■ 孔明の謎かけに挑んだ張飛。その結果は?
孔明の謎かけに挑んだ張飛。その結果は?
では、民間伝承の中で張飛がどのように描かれてきたのか、いくつか紹介いたしましょう。
まずは劉備(玄徳)、関羽、張飛が諸葛亮孔明の庵を3度訪れた、いわゆる三顧の礼にまつわるお話です。
根負けした孔明は「私と問答をして、答えられたらご一緒しましょう」と言いました。劉備(玄徳)と関羽が答えようとすると、「孔明先生、私がお相手します」と張飛が割り込んできたのです。
その言葉を受け、孔明が天を指すと、張飛は地を指しました。片手を出す孔明を見て、両手を出す張飛。孔明が3本の指で小さな円を描くと、張飛は9本の指を使って大きな円を描きました。最後に孔明が胸元で大きな円を描くと、張飛はうなずいて袖の中を指したのです。
「張将軍、お見事です。約束通り、ご一緒いたします」
一体どういう謎かけだったのか、劉備(玄徳)は孔明に問いました。
「私が天文と申すと、張将軍は地理と答えたれた。私が天下統一と申すと、将軍は三国鼎立とおっしゃる。私が3回で元に戻ると問うたら、将軍は9回でも元通りだと答えられた。私の胸には陰陽八卦(易における8つの基本図)があると申したら、張将軍は太陽と月を袖の中に隠してあるとおっしゃるではありませんか。恐れ入りました」
張飛にこんなにも深い教養があったのかと驚いた劉備と関羽。なぜ孔明の問いがわかったのかと、あとでこっそり問うと、張飛は大笑いをしながら答えました。
「孔明先生が今日は雪が降るって言うから、俺は道が滑るって答えたんだ。すると先生が月餅を3つ持ってきたって言うんで、俺は9つくらいはないと足りないって返したんだよ。先生は自分の持ってきた月餅は大きいから食べきれないぞって言うんで、だったら袖に入れて持って帰るから大丈夫だって言ったんだ。え?これのどこが難しいんだ?」
伏龍と呼ばれる天才を軍師に迎えるべく、義兄弟たちと遠路はるばる訪れてお天気と月餅の話を!乱世の平定を慮る天才軍師の問いが張飛の脳内ではお天気と月餅の話に!寒くて疲れていてお腹が空いていたんですかね……。
筆者はこの話を読んで「腹ペコ張飛に大きな月餅を9個でも10個でも食べさせてあげたい!」と庇護欲のようなものを刺激されてしまいました……。いっぱい食べる人っていいよなあ……。
短気な張飛を案じた孔明が出した命令は、なんと刺繍!?
■ 短気な張飛を案じた孔明が出した命令は、なんと刺繍!?
短気な張飛を案じた孔明が出した命令は、なんと刺繍!?
もうひとつ、こちらも孔明と張飛にまつわる民話です。
孔明は趙雲と張飛と共に、劉備(玄徳)を援護するために蜀(現在の四川省)に入ろうとしていました。張飛の無鉄砲さを案じた孔明は、出陣前の訓練の際、張飛に刺繍をさせることにしました。すると張飛は激怒。
「武人の俺がどうして刺繍なんてしなくちゃならないんだ!馬鹿にするな!」
すると孔明はこう返しました。
「将軍たるもの、文武両道でなければなりません。豪胆なばかりではなく、細部に心を配れてこそ大群を率いることができるもの。もし刺繍がお嫌とおっしゃるのなら、ここに残って見張りをお願いいたします」
出陣できないとなってはたまりません。張飛は仕方なしに布に花の刺繍を始めることにしました。
最初は針に糸を通すことも難しかったのですが、なんとか糸を通すと、その後三日三晩飲まず食わずで刺繍に打ち込んだ張飛。ところができあがったのは花には似ても似つかぬ代物。
「どうしよう……こんな出来栄えじゃあ軍師殿に叱られてしまうよなあ……」
想像してみてください。まずは花の刺繍。「やっていられるか!俺は武人だ!」と言っていた張飛が花の刺繍!ギョロ目虎髭のガチムチ大男が花の刺繍!
そしてでっかい体をちっちゃく屈めてちくちく刺繍に励んで、仕上がりを見て「軍師殿に叱られちゃう……」としょんぼりする張飛の姿。可愛過ぎやしませんか!?
張飛に刺繍を手渡された孔明は、にっこり笑って言いました。
「張将軍、よくぞ刺繍に打ち込んでくださいました。今度の戦は任せましたよ」
戦の最中、何度も頭に血が上りかけた張飛ですが、その度に刺繍のことを思い出して心を鎮めました。敵軍の将を生け捕りにした際、その将が投降しようとしないことに腹を立て、斬り殺してしまいそうになった際も、刺繍のことが頭をよぎり、冷静になれたのです。そして敵将に情けをかけて釈放したところ、心を打たれた将はその後張飛を助け、その戦いに勝つことができました。
「益徳、豪胆なお前に細心さも備わった。もう頭が上がらんよ」
劉備(玄徳)が張飛を称えると、張飛はこう答えたのです。
「軍師殿が俺に刺繍をさせてくれたからだよ。そのおかげで冷静になることができたんだ」
このときの張飛、大好きな義兄・劉備に褒められて照れ笑いしているに違いないですよ!「へへっ、軍師殿のおかげだよ!」とかなんとか言って。素直!可愛い!張飛素敵!!!
猛々しさと和ませキャラっぷりのコントラストがたまらない。
■ 猛々しさと和ませキャラっぷりのコントラストがたまらない。
猛々しさと和ませキャラっぷりのコントラストがたまらない。
民話でもさまざまな三国志関連の作品でも、オチ要員として扱われがちな張飛。それと同時に、言動で読者をクスッと笑わせてくれる、和ませ要員でもあります。冒頭にも書きましたが、武人としての猛々しさがあるからこそ、愛らしさが際立つのですよね。
また、物語を追っていくと、自分の酒癖の悪さを逆手に取った作戦に出るなどの知恵ものぶりも発揮、「ああ、成長したんだね……」と感じさせてくれる人物でもあります。母性本能をくすぐり、ギャップ萌えさせてくれるタイプなのではないでしょうか?
筆者の主観がかなり入ってしまっていますが、「あれ?言われてみると張飛ってかなり魅力的な男性かも!」と感じてしまったそこのあなた!共に張飛萌えしちゃいましょう!
三国志歴30数年ですが、訳あって初心者のフリーライターです。ぶっ飛んだエピソードの多い孫呉好き。でも本当は曹魏も蜀漢も好き。