三国志・一騎打ちの勝率で父親である張飛と関羽を凌駕した張苞と関興の活躍ぶり

三国志・一騎打ちの勝率で父親である張飛と関羽を凌駕した張苞と関興の活躍ぶり

蜀の猛将「関羽」と「張飛」にはそれぞれ息子たちがいました。三国志演義ではその息子たちが、父親以上の活躍を見せているのです。 「張苞」と「関興」の一騎打ちの成績に注目してみましょう。


蜀の若獅子

劉備(玄徳)・関羽・張飛ら義兄弟の子供世代で、大きな活躍をしたのが、張飛の息子である「張苞」と関羽の息子である「関興」です。さすが猛将の子供たち。獅子の子はやはり獅子でした。
三国志演義に登場する張苞と関興は、父親の敵討ちの舞台である夷陵の戦いで華々しくデビューし、蜀の未来を明るく照らしました。
その一騎打ちの勝率はなんと、父親たちを上回るというのです。関羽や張飛といえば三国志トップクラスの武勇の持ち主です。それを上回ってくるとは、蜀の若獅子、恐るべしです。

ちなみに関羽と張飛では、関羽が年上のため義兄という設定ですが、息子たちは逆で、関興よりも張苞の方が年上のため、張苞が義兄という関係になっています。
三国志正史にはそのような記載はまったくなく。両者ともに若くして亡くなったとしか記されていません。つまり両者の活躍は完全に三国志演義の脚色ということになります。

張苞の一騎打ち(夷陵の戦い)

張苞の戦場での活躍は、三国志演義の第82回以降になります。
張苞は、父親である張飛が部下に裏切られ殺された報告を劉備(玄徳)に行い、そのまま夷陵の戦いに参加するのです。
ですから張飛を討ったのはあくまでも蜀の部将なのですが、逃亡先が孫権の下だったので、夷陵の戦いはいわば敵討ちの義戦となります。

最初の相手は呉の将軍である謝旌です。謝旌は、三国志正史では、関羽を討った後、陸遜の指示で蜀の領土をどんどん侵略していった戦上手として記されています。三国志演義では張苞と三十合ほど打ち合い、劣勢になって逃げ出しました。さらに翌日に張苞に討たれています。
続いて対戦したのが孫桓の部将である李異です。謝旌が敗れたのを見て張苞に立ち向かい、二十合ほど打ち合いましたが、引き分けています。
さらに登場するのが朱然の部将である崔禹です。張苞と対戦し、わずか一合で捕縛され、劉備(玄徳)の前に引き出されて斬首されています(三国志演義のみに登場します)。
同じく三国志演義のみの登場となる夏恂も一突きで張苞に倒されました。
夷陵の戦いで張苞は4勝1分けという活躍ぶりです。

張苞の一騎打ち(北伐)

劉備(玄徳)亡き後、諸葛亮(孔明)は南征を実行しますが、ここでは張苞は留守役を命じられていますので、活躍のシーンはありません。
再び大活躍を始めるのが、第92回になります。南征を無事に完了した諸葛亮(孔明)は、次に魏を攻め滅ぼすために北伐を開始するのです。

何せ張苞の活躍が三国志演義の脚色なので、対戦相手も同じく架空の人物というケースが多くなります。
北伐の際、薛則は夏候楙の部将として伏兵を率い、趙雲を追い詰めますが、援軍に駆けつけた張苞に突き殺されました。架空人物だけにあっさりと討ち取られても問題はないのです。
続いて登場するのが、崔諒です。こちらは三国志正史にも登場しますが、晋の時代まで生きて尚書大鴻臚まで昇進しています。三国志演義に登場するのは、別人の設定の可能性がありますが、安定太守として蜀に一時降伏し、謀って諸葛亮(孔明)を捕らえようとしますが、見抜かれて張苞に討たれています。(実際は生きて続けているのに、三国志演義では蜀の武将に討たれるという脚色が多々あります)

張苞は、その後も羌族との戦いや、陳倉城攻めでも活躍を見せますが、第99回で谷底に転落して重傷を受けます。成都に帰還するものの、その傷が癒えずに亡くなってしまいました。
諸葛亮(孔明)は張苞の訃報を聞いて吐血して昏倒したと記されています。

関興(夷陵の戦い)

関興が、義兄の張苞と同じく、活躍を始めるのは第82回の夷陵の戦いからになります。
張苞と李異の一騎打ちは引き分けに終わるものの、この時、張苞は譚雄の矢で落馬してしまいます。そこに襲い掛かった李異をすかさず討ったのが関興です。張苞は関興に命を救われた形になります。

さらに敵軍の大将格である孫桓と対戦。孫桓は敵わずに退散します。
孫桓の副将で張苞の馬に矢を放って落馬させた譚雄も、関興が一騎打ちで捕らえています。張苞は喜んでその首を刎ねて、馬の霊前に供えたといいます。
続いて周平を一刀両断にしました。
そして、父である関羽を捕らえ青龍偃月刀を奪った潘璋も討って、仇をとり見事に青龍偃月刀を奪い返しています。
ちなみに三国志正史では潘璋は関興の討たれておらず、右将軍まで昇進し、諸葛亮(孔明)が亡くなる234年まで生きています。

関興(北伐)

南征時には、張苞同様に留守役をしており活躍の場面はありません。
第92回の北伐から再登場。まずは夏候楙の部将である董禧を討ちました。
南安太守の楊陵が、崔諒と共に謀って諸葛亮(孔明)を捕らえようとした際には、関興が楊陵を討ち取っています。

第94回には西羌の元帥である越吉が登場。鉄車部隊を率いて、蜀軍を打ち破り、ここで関興と越吉が対戦して、関興は敵わず退散。しかも鉄槌の攻撃を受けて落馬してしまいます。関興にとっては、初めての負けとなりますが、関羽の霊が現れて、越吉を退けました。
翌日は、落とし穴の策にはまり大混乱したところを関興に一刀両断されて、越吉は戦死しました。

第101回では、魏の勇将・張郃と対戦。ここは魏延と協力して張郃をおびき出すために、十合打ち合ってわざと退却しています。結果として無理な追撃をした張郃は、木門道において蜀軍の迎撃を受けて戦死しています。
この辺りは三国志正史と設定が逆で、三国志正史では追撃を焦る司馬懿に対し、張郃はその危険性を指摘していますが、司馬懿に追撃を強いられて戦死したと記されています。

その後、関興は諸葛亮(孔明)よりも早く病没し、その訃報を聞いた諸葛亮(孔明)は昏倒しました。

まとめ・張苞と関興で17戦14勝

ということで、三国志正史ではまったく活躍が記されていない張苞と関興ですが、三国志演義では、なんと一騎打ちを17戦して14勝しています。勝率にして「82.4%」となります。
この数値は、父親世代の五虎大将軍の誰よりも高く、蜀軍では馬岱に次ぐ優秀な成績です。

もちろん倒した相手は架空の人物であったり、三国志演義の仮想設定だったりするのですが、二人の活躍があってこそ、関羽や張飛の亡き後も蜀は勢い失わず、読者も期待を膨らませて応援することができるのです。

ちなみに張飛、張苞ともに一騎打ちでは一度も負けていません。張飛の血統が、三国志演義では最強という設定になっているのかもしれません。

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